先日、「吉野家」の牛丼をいただきました。
現在、大手牛丼チェーン店の値下げ競争が激化しているようです。
牛丼は牛鍋をどんぶり飯にかけたのが始まりだといわれています。
明治十年代、日本最大の牛鍋チェーン店は東京芝に本店を構える「いろは」でした。
この「いろは」の誕生には、川路大警視が関わっているようです。
明治維新後、牛肉を食べることが文明開化の象徴のようになり、急速に牛鍋店が増えました。
牛肉需要の増加に伴って民間の屠場が増えましたが、不衛生な屠場が多かったため、警視庁が管轄することになりました。
衛生的な屠場の整備を急ぐ川路大警視は、それを京都商人の木村荘平に任せようと考えました。
木村は鳥羽伏見の戦で薩摩藩の御用達を務めた人物ですが、借金を踏み倒されたため大損をしていました。
川路にとしては贖罪のつもりがあったのかもしれません。
川路に誘われ東京にやって来た木村は、官営屠場の払い下げを受けることに成功し、牛鍋店「いろは」を開業します。
「いろは」は大繁盛し、東京市内の20の支店にはそれぞれ木村の愛人が支配人として配置されたそうです。
先日、港区の正覚寺を訪れ、「いろは大王」と謳われた木村荘平の掃苔を行ってきました。
日本最大の牛鍋チェーン店となった「いろは」ですが、今はその牛鍋を味わうことはできません。
木村の死後、まもなく潰れてしまったようです。
川路がきっかけをつくった牛鍋を、一度味わってみたかったです。
※写真は明治村で食べた牛鍋
現在、大手牛丼チェーン店の値下げ競争が激化しているようです。
牛丼は牛鍋をどんぶり飯にかけたのが始まりだといわれています。
明治十年代、日本最大の牛鍋チェーン店は東京芝に本店を構える「いろは」でした。
この「いろは」の誕生には、川路大警視が関わっているようです。
明治維新後、牛肉を食べることが文明開化の象徴のようになり、急速に牛鍋店が増えました。
牛肉需要の増加に伴って民間の屠場が増えましたが、不衛生な屠場が多かったため、警視庁が管轄することになりました。
衛生的な屠場の整備を急ぐ川路大警視は、それを京都商人の木村荘平に任せようと考えました。
木村は鳥羽伏見の戦で薩摩藩の御用達を務めた人物ですが、借金を踏み倒されたため大損をしていました。
川路にとしては贖罪のつもりがあったのかもしれません。
川路に誘われ東京にやって来た木村は、官営屠場の払い下げを受けることに成功し、牛鍋店「いろは」を開業します。
「いろは」は大繁盛し、東京市内の20の支店にはそれぞれ木村の愛人が支配人として配置されたそうです。
先日、港区の正覚寺を訪れ、「いろは大王」と謳われた木村荘平の掃苔を行ってきました。
日本最大の牛鍋チェーン店となった「いろは」ですが、今はその牛鍋を味わうことはできません。
木村の死後、まもなく潰れてしまったようです。
川路がきっかけをつくった牛鍋を、一度味わってみたかったです。
※写真は明治村で食べた牛鍋