幕末掃苔屋 公式ブログ

幕末掃苔屋のブログです。掃苔録不定期更新中。ご意見、ご感想はご自由にどうぞ。

講演の告知②

2011年04月12日 | イベント

引き続き、4月23日(土)開催の第36回江戸史談会講演で披露する予定のお墓をご紹介します。
これからも数回に分けてご紹介したいと思います。

所郁太郎  岐阜県大垣市赤坂町 妙法寺
森の石松  静岡県周智郡森町橘249 大洞院
松本奎堂  愛知県刈谷市広小路4 十念寺
秋山正光  三重県伊勢市大湊町 袖野家内
朝比奈茂吉  滋賀県彦根市中央町3-64 蓮華寺
梁川星厳  京都府左京区南禅寺福地町 南禅寺天授庵
桃井春蔵  大阪府羽曳野市白鳥3 墓山古墳
野口富蔵  兵庫県神戸市中央区神戸港地方字堂徳山 追谷霊園
吉村寅太郎  奈良県吉野郡東吉野村鷲家
森田節斎  和歌山県那賀郡粉河町荒見地区内北家墓地
新門辰五郎  和歌山県伊都郡高野町高野山 奥の院
景山龍造  鳥取県境港市中野町 正福寺
玄丹お加代  島根県松江市石橋町 光徳寺
四つ塚  岡山県美作市土居

講演タイトル:幕末維新掃苔録
「忘れじの墓 ~素晴しかった、過酷だった、思い出の掃苔ベスト50~(仮)」

これまでに46都道府県をまわり掃苔してきた、幕末維新を生きた人物約800人の中から特に印象深い50人(予定)の墓を選び、その人物の事績を交えつつ、忘れられない掃苔の思い出を披露致します。

日時:2011年4月23日(土) 15:30より   
場所:春廼舎/幕末酒場・新選組屯所(釣洋一先生のお店です)
新宿区荒木町8 根本ビル1F
会費:4000円(講演後の懇親会費込みの金額です)  

ご多忙中とは存じますが、皆様のご参加をお待ちいたしております。


※写真は、長崎県の五島で出会った猫。
講演では旅の思い出の写真も一緒にご紹介させていただきたいと思います。


講演の告知

2011年04月11日 | イベント

先日もご報告いたしましたが、4月23日(土)に開催される第36回江戸史談会で講師を務めさせていただきます。

タイトル:幕末維新掃苔録
「忘れじの墓 ~素晴しかった、過酷だった、思い出の掃苔ベスト50~(仮)」

これまでに46都道府県をまわり掃苔してきた、幕末維新を生きた人物約800人の中から特に印象深い50人(予定)の墓を選び、その人物の事績を交えつつ、忘れられない掃苔の思い出を披露致したいと思います。

日時:2011年4月23日(土) 15:30より   
場所:春廼舎/幕末酒場・新選組屯所(釣洋一先生のお店です)
新宿区荒木町8 根本ビル1F
会費:4000円(講演後の懇親会費込みの金額です)  

これから数回にわたり、講演でご紹介する予定のお墓を紹介したいと思います。
ご多忙中とは存じますが、皆様のご参加をお待ちいたしております。

ご紹介予定のお墓 ①

大楽源太郎  山口県防府市大道
来嶋又兵衛  山口県美祢市西厚保町本郷 高岡墓地
田中河内介  香川県小豆郡内海町福田369 雲海寺
前原巧山  愛媛県宇和島市大宮町 西江禅寺
岡田以蔵  高知県高知市薊野 真宗寺山
宮崎車之介  福岡県朝倉市秋月野鳥792 長生寺
鍋島直正  佐賀県佐賀市大和町都渡城 鍋島家春日御墓所
沢村惣之丞  長崎県長崎市筑後町2-10 本蓮寺
横井小楠  熊本県熊本市沼山津 小楠公園
佐川官兵衛  大分県大分市大字牧1371 大分県護国神社
黒田の家臣  宮崎県日向市細島
小松帯刀  鹿児島県日置市日吉 園林寺跡

近藤富蔵  東京都八丈町


※写真は、雨上がりの秋月です。
講演では旅の思い出の写真も一緒にご紹介したいと思います。


谷中霊園巡墓会のお知らせと小山内健のこと

2011年04月09日 | イベント

探墓巡礼顕彰会・全国歴史研究会墓碑研究部会の共催で、谷中霊園巡墓会を開催します。

この会で講師の一人を勤めさせていただきます。
谷中霊園は広く有名な墓もたくさんあるので、前編後編の二回に分けて開催します。
前編は5月29日(日)で、私は島田一郎・伊達宗城・上田良貞・覚王院義観の解説を担当します。
後編は11月27日(日)で、私は三間正弘・高橋お伝・赤塚武盛・安村治孝の解説を担当します。
巡墓会の詳細は、探墓巡礼顕彰会のブログをご覧ください。

私はお墓を解説する際にお配りするレジメに、関連史跡の写真を掲載するようにしています。
例えば、島田一郎の解説であればレジメには、
○金沢にある島田一郎の墓
○同志で墓前に灯籠を建立した松田秀彦の墓
○大久保利通の銅像
などの写真を載せます。

秋に開催する後編で高橋お伝の解説を担当するので、先日広島に行った際に小山内健の掃苔をしてきました。
小山内健は処刑されたお伝の遺体を解剖した人物です。
墓は広島県広島市南区比治山公園の比治山陸軍墓地にあります。
整然と並んだ墓石群の左奥の一区画に小山内の墓はあります。
レジメにはぜひ刑を執行した山田吉亮の墓も載せたいところですが、所在がわかりません。
残念です。

※写真は小山内健の墓


猫の島の東京巡査(後編)

2011年04月08日 | 侍たちの警視庁

掃苔の後、墓地からほど近い場所に住んでいると聞いていた長井能道御子孫のお宅を探しました。
ベンチで日向ぼっこをしていた地元のおばあさんに長井家の場所を教えてもらいお訪ねしましたが、留守のようでした。

フェリーが到着して30分で、平群島で予定していたことのすべてが済んでしまいました。
帰路のフェリー出発までは、まだ四時間半あります。
平群西地区には食堂も喫茶店もコンビニもありません。
猫を眺め、カモメを眺め、町を散策し、寺や廃校を訪ね、浜辺で眠り、泳ぐ魚を眺めましたが、時間はまだあります。
フェリー乗り場の待合所で新聞や本を読んで時間を潰していると、切符売場の方が話しかけてきました。
「どこからいらっしゃった?」
「東京です 猫が多い島ですね」
「おばあさんが餌をあげたりしているからね。何しにいらっしゃった?」
「西南戦争で亡くなった長井能道という警察官のお墓参りに来ました」
切符売場の方はご子孫の長井さんをご存知で、ちょうど待合室にやってきたご婦人に「こちらの方、長井さんに会いに東京から来たそうだよ」と伝えていました。
そのご婦人は、先ほど町をぶらぶらしていた際に寺で会った方でしたが、なんと長井家に縁のある方とのことでした。
来島した理由を説明すると、ご婦人は「なるほどそんな用事だったのですか。先ほどお会いしたのも縁があったのですね」とおっしゃり、待合室の公衆電話で長井家に電話をし、「会いたがっている人がいるからフェリー待合室まで来て」と伝えてくださいました。
その後すぐに、トラクターに乗って男性とおばあさんがやってきました。
お二人とも長井家の方で、おばあさんは長井能道の兄の孫にあたり、一族の歴史に詳しいということでした。
待合所のベンチに座り、長井家に伝わっている長井能道についての話を聞かせていただきました。
以下、お聞きしたことの要点です。
○能道は次男
○柳井市で西南戦争に出征した二人のうちの一人
○足に銃弾を受け、東京の病院に運ばれた後に亡くなった
○享年二十三歳だった
○亡くなる前に父親が東京まで会いに行った
○結婚していなかったので、父親がたくさんのお金を受け取った
○そのお金で大きい墓を建てた
○お宅には長井能道のガラス写真が残っている

いずれも知らなかった情報ばかりで、ドキドキしながらおばあさんの話に耳を傾けました。
おばあさんの話が終わってすぐ、フェリーが港に入ってきました。
子孫の家だけに伝わる貴重な話を聞かせてくださったおばあさん、長井家に連絡を取ってくださったご婦人、トラクターを運転してきてくださった男性に心からお礼を申し上げ、フェリーに乗り込みました。
旅先でのこのような出会いは私にとって宝物です。
喜びをかみしめながら、帰路につきました。

「侍たちの警視庁 改訂版」を仕上げるため、どうしても訪れたいと焦がれていた墓はこれですべて掃苔ができました。
ひとまずこれで旅の区切りとしたいと思います。
最後に良い取材旅行ができ、満足しています。

おわり

※写真は長井能道の墓

猫の島の東京巡査(前編)

2011年04月06日 | 侍たちの警視庁

山口県柳井市の南約20キロの伊予灘に浮かぶ平群島(へいぐんとう)に行ってきました。
平群島は、鎌倉時代に木曽義仲の子・平栗丸(へぐりまる)が落ち延び、幼くして亡くなったことからそう名付けられたと伝えられています。
平群島にはタコやミカンなどの特産品がありますが、これといった観光名所もなく、古き良き雰囲気が残る小さな島です。

柳井港よりフェリー「へぐり」に乗り、出港します。
平群島を訪れた目的は、西南戦争で殉職した警視官の掃苔です。
平群島に警視官の墓があるということは、数年前にインターネットで知りました。
しかし掲載されていたのは「平群島に東京巡査の墓がある」という情報のみで、「東京巡査」がいつ頃の何者なのかはわかりませんでした。
「東京巡査」という呼ばれかたからして西南戦争時の警視庁巡査ではないかと予想しましたが、「柳井市平群島史」や「柳井市史」を調べてみてもわからず、そのまま数年間放置していました。
しかしこの度急に気になりだし柳井市に問い合わせてみたところ、平群島の歴史に詳しい伊藤先生を紹介してもらいました。
さっそく伊藤先生に「東京巡査」について電話でお尋ねしたところ、予想した通り西南戦争で殉職した警視官であることがわかりました。
その後、伊藤先生が送ってくださった史料のおかげで、「東京巡査」の氏名が長井能道といい、西南戦争では別働第三旅団警視局所属三等巡査として出征し、鹿児島県大隅曽於郡荒磯岳で殉職したことがわかりました。
私は大の墓好きですが離島好きでもあり、平群島の「東京巡査」こと長井能道を掃苔したい気持ちは日に日に高まりました。
そしてこの度、念願だった平群島を訪れることができました。

柳井港を出港して約一時間で平群西に到着しました。
船を降りるなり、目の前にのっそりと猫が現れました。
猫の多い島だとは聞いていましたが、船着き場を見渡すといたるところに猫がいます。
フェリーが去り波の治まった静かな港では、茶飲み話をしているおばあちゃんたちの笑い声と猫の鳴き声とウミネコの鳴き声だけが聞こえます。
「東京巡査」こと長井能道の墓がある墓地は港から徒歩10分ほどですが、その道のりで二十頭近くの猫を見かけました。
猫は逃げもしませんし、寄ってくることもありません。
皆、自由気ままに行動しています。
のどかとはこういう処のことをいうものかと感じました。

伊藤先生から墓の形を教えてもらっていたため、墓地に着いてすぐに目指す墓を見つけることができました。
石柵に囲まれた立派な墓で、正面には「東京三等巡査 長井能道墓」と彫られています。
墓の周りにはスイセンの花がたくさん咲いていて、良い香りがしました。

つづく

※写真は平群島で出会った猫