幕末掃苔屋 公式ブログ

幕末掃苔屋のブログです。掃苔録不定期更新中。ご意見、ご感想はご自由にどうぞ。

猫の島の東京巡査(後編)

2011年04月08日 | 侍たちの警視庁

掃苔の後、墓地からほど近い場所に住んでいると聞いていた長井能道御子孫のお宅を探しました。
ベンチで日向ぼっこをしていた地元のおばあさんに長井家の場所を教えてもらいお訪ねしましたが、留守のようでした。

フェリーが到着して30分で、平群島で予定していたことのすべてが済んでしまいました。
帰路のフェリー出発までは、まだ四時間半あります。
平群西地区には食堂も喫茶店もコンビニもありません。
猫を眺め、カモメを眺め、町を散策し、寺や廃校を訪ね、浜辺で眠り、泳ぐ魚を眺めましたが、時間はまだあります。
フェリー乗り場の待合所で新聞や本を読んで時間を潰していると、切符売場の方が話しかけてきました。
「どこからいらっしゃった?」
「東京です 猫が多い島ですね」
「おばあさんが餌をあげたりしているからね。何しにいらっしゃった?」
「西南戦争で亡くなった長井能道という警察官のお墓参りに来ました」
切符売場の方はご子孫の長井さんをご存知で、ちょうど待合室にやってきたご婦人に「こちらの方、長井さんに会いに東京から来たそうだよ」と伝えていました。
そのご婦人は、先ほど町をぶらぶらしていた際に寺で会った方でしたが、なんと長井家に縁のある方とのことでした。
来島した理由を説明すると、ご婦人は「なるほどそんな用事だったのですか。先ほどお会いしたのも縁があったのですね」とおっしゃり、待合室の公衆電話で長井家に電話をし、「会いたがっている人がいるからフェリー待合室まで来て」と伝えてくださいました。
その後すぐに、トラクターに乗って男性とおばあさんがやってきました。
お二人とも長井家の方で、おばあさんは長井能道の兄の孫にあたり、一族の歴史に詳しいということでした。
待合所のベンチに座り、長井家に伝わっている長井能道についての話を聞かせていただきました。
以下、お聞きしたことの要点です。
○能道は次男
○柳井市で西南戦争に出征した二人のうちの一人
○足に銃弾を受け、東京の病院に運ばれた後に亡くなった
○享年二十三歳だった
○亡くなる前に父親が東京まで会いに行った
○結婚していなかったので、父親がたくさんのお金を受け取った
○そのお金で大きい墓を建てた
○お宅には長井能道のガラス写真が残っている

いずれも知らなかった情報ばかりで、ドキドキしながらおばあさんの話に耳を傾けました。
おばあさんの話が終わってすぐ、フェリーが港に入ってきました。
子孫の家だけに伝わる貴重な話を聞かせてくださったおばあさん、長井家に連絡を取ってくださったご婦人、トラクターを運転してきてくださった男性に心からお礼を申し上げ、フェリーに乗り込みました。
旅先でのこのような出会いは私にとって宝物です。
喜びをかみしめながら、帰路につきました。

「侍たちの警視庁 改訂版」を仕上げるため、どうしても訪れたいと焦がれていた墓はこれですべて掃苔ができました。
ひとまずこれで旅の区切りとしたいと思います。
最後に良い取材旅行ができ、満足しています。

おわり

※写真は長井能道の墓