「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

          「生活不活発病」からの脱出

2011-05-21 07:11:45 | Weblog
「生活不活発病」という聞きなれない病気が東日本大震災の被災地の避難所の間で問題となっている。国の中央防災会議の専門委員が被災地の避難所4か所で調べたところ、65歳の高齢者約100人のうち6割に、この症状が出ていたとのことだ。高齢者は、被災前、介護保護の要介護認定を受けていた人たちではない。健康な方々である。

「生活不活発病」とは「廃用症候群」とも言うそうで、被災地の狭い避難所などで高齢者が身体を動かす機会が少なくなり、ごろごろしていると起こる症状だそうだ。重くなると、心肺機能が低下し、鬱病を併発することもあるという。これを防止するため、避難所では出来るだけ高齢者に対して散歩したり、運動を勧めているが、避難所ではその設備もかぎられている。

馬齢をかさねると、被災者ではなくても後期高齢者は「生活不活発病」に陥りやすくなる。僕も昨年、2回にわたる膀胱ガンの入院手術いらい、めっきり体力に自信がなくなった。それに膝の痛みも加わって、毎朝続けてきたラジオ体操も中止した。このためか外出の回数も減ってしまった。

被災地の「生活不活発病」の話を聞いて僕も気がついていなかったがいつかこの症状になっていた。そういえば、僕の周囲の長寿の先輩たちは、昼間電話しても家にいたことがない。何か用を見つけて外出している。たしかに膝が痛むと、歩くのが億劫になる。しかし、これを堪えても歩くほうがよいようである。被災地の避難所に比べれば、はるかに良い環境にいるのだから、頑張ることにしよう。


          おかしな内閣官房参与さんたち

2011-05-20 07:06:55 | Weblog
劇作家の平田オリザ内閣官房参与がソウルでの講演で”福島原発事故で汚染された放射能水を海に流したのは米国政府の強い要望があったからだ”と発言したとか、しないとか物議をかもしている。ご本人はこれを否定しているが、何故内閣官房参与という立場の人間が、こんな誤解を呼ぶような発言をするのか、理解できない。

先日も別の内閣官房参与の評論家、松本健一氏が”原発事故周辺では10年、20年人が住めない”と菅総理が言ったとか言わなかったとか発言し問題になった。枝野官房長官は、この発言について記者会見で、参与を解任するようなことを匂わせたが、その後松本氏の処分がどうなったのか知らない。

失言ではないが、放射能問題の権威で、菅総理が懇請して内閣官房参与に就任した小佐古敏荘・東大大学院教授が”政府の放射能漏れへの対応は法にのっとってない”と辞任氏、記者会見では目に涙を浮かべて抗議していた。

内閣官房参与は、東日本大震災の後、菅総理の要望で一気に6人も増員されて15人となったそうである。内閣官房参与とは何をする仕事なのかー。英語では”Special Adoviser"と翻訳しているようだが、要するに内閣官房に対して特別なアドバイスをする重要な役割の人たちである。この人たちが国の政策を惑わすような発言をしたり、あるいは最初から政策に反する人と判っていながら、その人物を任命するのは、どんなものなのか。国民にとっては迷惑だし、多分、高額な給料を支払っているのだろう。税金の無駄使いでもある。

         児玉清さんの死と一病息災

2011-05-19 06:55:06 | Weblog
俳優の児玉清さん(77)が亡くなられた。いわゆる学童疎開の世代で、僕よりも若いが、あの戦争を体験した仲間である。お悔やみ申し上げます。映画やテレビドラマに疎い僕だが、毎週日曜日、児玉さんが司会していたクイズ番組「アタック25」は、なぜかかかさず見ていた。やはり児玉さんの持つあの出場者への暖かい配慮が魅力的であった。

昨年暮れ頃からであっただろうか、児玉さんにうっすらと無精ひげがみえ、心なしか痩せたようにお見受けした。いつもテレビを一緒に見ている老妻も、どこか体調が悪いのではないかと気にしていた。案の定、昨年秋ごろから、周囲の人からそれを指摘され、胃カメラを撮るよう勧められたが、病院嫌いの児玉さんは断ったという。

児玉さんは9年まえに長女を同じ胃がんで亡くされているという。普通考えると、身内に不幸があれば、余計に病気に気を配るものだが、なぜ児玉さんは配慮しなかったのであろうか。多分、自分の健康に人一倍自信があったのであろう。悪いことに、胃がんは初期の段階では自覺症状がほとんどないそうだ。児玉さんが今年2月下旬、病院で精密検査した時には、手術も出来ないまでに病状がすすみ、肝臓にまで転移していたとのことだ。

児玉さんもそうだが、戦争中教育を受けた世代には変な”頑張りズム”がある。少しばかりの病気には負けるな、と学校でも家庭でもそう教えられてきた。僕も若い時には、その傾向があったが、厄年の時に高血圧が原因で倒れた。以来、降圧剤のお世話になっているが、これが結果的には一病息災となり、健康な生活を送れている。一病を勧めるわけではないが、健康への過信は禁物である。

       政府は実現性のある”指針”や”工程表”を!

2011-05-18 06:39:20 | Weblog
政府は昨日、東日本大震災の政策順位を決める「政策推進指針」や東電福島原発事故の被災者支援などに関する「工程表」を矢継ぎ早に公表した。とかく政策が後手後手だとの批判のある菅内閣にしては珍しいことだが、内容を見ると果たして工程どおり実現できるのかどうか疑問もある。民主党の方々はマニフェストの例もある。政策が画餅にならなければよいのだが。

早いものだ。菅内閣が発足してそろそろ一年になるが、この一年何をやってきたのだろうかー。”小鳩”体制が普天間問題で迷走のあげく崩壊したのは、昨年の6月2日だったが、あれから一年、懸案だった”政治とカネ”の問題はまったくウヤムヤのまま、その上に”想定外”の東日本大震災が発生してしまった。

”先送り”は民主党政権の得意技だが、昨日の「政策推進指針」で、あれだけ大騒ぎしていたTPP(環太平洋連携協定)への交渉参加時期を先送りすることに決定した。大震災で、とうてい6月までに決定することは難しいのはわかるが、一つの参加表明のメドである11月のアジア太平洋経済協力会議(APEC)までには間に合うのだろうか。

原発事故被災者に対する賠償支払いに関する「工程表」では、東電の「工程表」のステップ1にあたる7月中旬をメドに損害賠償紛争委員会の中間指針をまとめ、ステップ2の秋ごろから賠償を受け付け、支払いを開始するというものだ。また、避難している住民に対して8月半までに仮設住宅1万5千戸を確保するとしている。”国策の被害者”に対する政府の「工程表」だから間違いないと信じているが、マニフェストの例もある。実施できないことをいうことを京都では”連木(すりこぎ)で腹を切る”というそうだ。そうならないことをせつに望んでいる。



        図々しい”親しい隣国”の人たち

2011-05-17 07:03:34 | Weblog
イワノフ副首相らロシアの四閣僚が、まるで”泥棒猫”のように、大震災で混乱しているこの時期をねらって、国後、択捉のわが国の領土に足を踏み入れて来た。松本外相は駐日ロシア大使を呼んで形ばかりの抗議をしているが、図々しい国である。もっと強い態度に出なければ彼らには通じない。

東日本大震災の翌日だったプーチン首相は”親しい隣国”日本のためにと”人道救援隊”160人を被災地に派遣、液体天然ガス(LNG)を復興のために役立ててくれと供給を申し出ててきた。”親しい隣国”の有難い行為だと思ったが、それから、僅かニか月で、手の裏を返すようにこの行動である。

中国の温家宝首相が21日から東京で始まる日中韓三国首脳会議に併せて被災地を視察したいと申しいれてきた。中国も巨大地震と大津波のあと16人の救助隊と捜索犬3頭を派遣してくれた。有難い行為だが、これと温家宝首相との今回の被災地視察とは、どうも僕には結びつかない。僕の脳裏には、昨年のあの尖閣諸島での中国漁船衝突事件の後、温家宝首相がとった、あの居丈高の態度が残っている。

温家宝首相は、被災地視察の際、宮城県女川町を訪れ、自分の生命を犠牲にして大津波から中国研修生を救ってくれた企業主の関係者にもお礼を言いたいという報道もある。日中友好に通じる美談である。素直に受入れるべきだろうが、温家宝首相の尖閣問題での言動が言動だっただけに僕には、たんなるパーフォーマンスとでしか映らない。

       「社会保障改革」 おカネはどうするの?

2011-05-16 07:00:33 | Weblog
東日本大災害後、落ちつかぬ日々続いているが、周りは、いつか葉桜からつつじが五月空に映える季節に移り変わった。菅政権が6月中にと約束していた”社会保障と税の一体化”改革案は、その後どうなってしまったのか心配してら、先日厚労省からやっと「社会保障制度改革案」が提出された。この改革案は政府・与党の集中会議で検討された上で公表される予定である。

結論からいって厚労省原案は、まったく”絵に描いた餅”である。例えば基礎年金の受給資格を今の原則25年を10年にするとか、不平の多い60代前半の受給資格の条件を緩和するとか、一見みかけはよいのだが、実施に当たっての財源はどうするのか明示していない。

後期高齢者の一人として、たしかに現在の社会保障制度には世代間格差があると思う。だからこそ改革が必要だが、厚労省原案は、出来もしないことを羅列したに過ぎない。現役世代に媚びているだけで次世代への配慮も展望もない。

何事も改革には苦痛が伴なうものである。例えば年金支給年限の引き上げである。毎年1兆円を超える社会保障費の現状からみれば、引き上げは必至だと思うのだが、触れていない。いずれにしても財源の裏づけのない改革案は意味がない。東日本大震災の復興計画にしても同じだ。復興構想会議でどんな立派な”構想”が生まれても、おカネをどうするのか。

民主党は一昨年の選挙の選挙公約で”絵に描いた餅”を国民に見せて騙してきた。まさか厚労省原案をそのまま認めるとは、思わないが、もっと足が地についた政策を望みたい。

         お茶の風評被害は政府の責任

2011-05-15 07:02:22 | Weblog
八十八夜をすぎ、野にも山にも緑がしげる新茶のシーズンだというのに神奈川県産「足柄茶」から暫定基準値を越える放射性セシウムが検出された。神奈川県では早速セシウムが検出された小田原市など5市町村産のお茶の出荷の自粛を要請したといわれる。

原発事故の東電福島第一原発から、この金時のお伽話で知られる足柄地区までは、多分直線距離でも100㌔以上は離れている。何故、こんな遠いところまで放射能チリが飛んできて、よりによってお茶の葉だけに付着するのだろうか。不思議だ。もちろん、この「足柄茶」を飲んだからといって、今すぐに健康に害があるわけではないと思う。

箱根山を越えれば、わが国有数のお茶どころ静岡がある。また埼玉県には首都圏一の「狭山茶」もある。新聞報道では、これらの地区でもあわてて、セシウムの暫定基準値を越えているかどうか、モニターリングして検査中とのことだ。

お茶は、われわれ日本人にとっては日常生活には欠かせない。「足柄茶」の報道を知って放射能チリの拡散が、事故地からの距離だけではなく、他の要因があることを僕は改めて知ったが、不思議なのは政府の対応である。神奈川県のとった出荷自粛措置に対して、何もコメントしていない。

先日も郡山市が市内の学校が校庭の表土を削っても直後には文科省は、なすがままにしていた。一体、政府と地方自治体との間の放射能被災対策の連携はどうなっているのだろうか。こんなところに風評被害が生まれる余地があるのではないか。すでにネットでは、お茶についての風評が飛び交っている。

        生活保護200万人だった昭和27年の頃

2011-05-14 07:01:49 | Weblog
全国で生活保護を受給している人は厚労省の統計だと、2月の時点で198万9769人で、この数は東日本大震災のあと、さらに増え、200万人を突破するのは確実だという。受給者数が月200万人だったのは昭和27年(1952年)以来、なんと59年ぶりとのことだ。

昭和27年とは、どんな年だったかー。日米平和条約が発効し、主権が回復した年だったが、経済は朝鮮戦争ブームが一段落してよくなかった。時の池田勇人通産相が国会で”中小企業の5人や10人倒産して自殺者が出てもやむをえない”と失言し、辞任に追い込まれた時代でもあった。

たしかに失業者は巷(ちまた)にあふれ、政府は失業対策(失対)事業を起こし、職業安定所(ハローワーク)を通じて、主として道路補修に従事する作業人を募集した。一日の日当が240円だったので、多少蔑視をこめて”ニコヨン”という言葉まで流行った。それでも生活保護の受給者は200万人を越えていたのだ。

隅田川の言問橋の周辺に廃品回収業者の”蟻の街”が出来、カトリックのゼノ修道士や熱心な女性信者、北原玲子さんが、バラックに一緒に泊り込み、これが話題となって”蟻の街のマリア”という映画がヒットしたのもこの時代だった。

あの時代から、59年の歳月が経ったが、僕の生活実感は、今の方があの時代に比べてはるかに豊かな感じがする。あの時代、一般家庭では、まだテレビも冷蔵庫も電機洗濯機もなかった。東京のような大都会でも下水道は、ほとんど整備されず、バキューム・カーが日常的だった。エアコンなどなく、扇風機の時代であった。

          戦後の合言葉は「新生」だった

2011-05-13 06:50:38 | Weblog
愛煙家の間で国産の特定の銘柄の煙草が手に入らず困っているという話を聞いた。東日本大震災で全国六工場のうち郡山など二工場が被災し、操業がスットップ、その影響で品不足をきたしているとのことだ。三十余年前、禁煙した僕には一向に構わないが、愛煙家の気持ちはよく理解できる。でも、喫煙が健康に悪いことは判っている。この際、禁煙に踏み切ることをお勧めする。

僕が未成年なのに大人ぶって煙草を吸いはじめたのは、まだ戦後まもない頃だ。街には焼跡が残っており、人々は食糧難から誰も腹ペコだったが、何故か煙草だけは店先にならんでいた。当時の話題は、高級煙草の「peace」や「colona」が売り出され「peace」の箱のデザイン料として専売公社が米国のデザイナーに150万円も払った話だ。煙草の販売収入が国家財政の二割を占めていた時代だ。

貧乏学生の僕らは、とてもこんな高い煙草は吸えなくて、やはり戦後売りに出された一箱20本入り40円の「新生」だった。「新生」は1950年代の国民的大ヒットした煙草であった。「peace」「新生」「happy」など戦後の当時をいかにも反映している名前である。とくに「新生」は当時の流行語だった。

戦後の復旧という言葉も聞かれたが「新生」が、国民の間の合言葉であった。東京の世田谷の練兵場跡に学制改革で新設された中学校の名前は字は異なるが「新星」であった。国民だれもがが、戦災の復旧もさることながら国家の新生を期待し願っていた時代だった。

      ”がんばろう” は日本独特の言いまわし

2011-05-12 06:23:51 | Weblog
途上国の技術研修員の面倒をみていて通訳するのに困った日本語の一つに”がんばろう”があった。日本人同士なら、時と場合で”がんばろう”の意味が理解できるのだが、英語には残念ながら、ひとつの単語で、それを的確に表現するものがない。”がんばろう”はやはり日本独特の言いまわしなのだろう。

先日、ラジオで大学の英語の先生が”がんばろう”には、三つの意味ー”Do your best"(最善をつくせ)”Don't give up"(へこたれるな)”Let's do it"(さあ、やろう)ーがあるとと言っていた。”がんばろう”には、ケース・バイ・ケースでいろんな意味があって使われている。東日本大震災のあと、今、全国津々浦々で大合唱の”がんばろう東北””がんばろう日本”の”がんばろう”は、この三つだが。

外国では、日本のように日常の挨拶がわりに”がんばってね”という、言いまわしはないみたいだ。英語では”Take it easy"(お大事に)が普通である。友人のスペイン語の大家に聞いたら、スペイン語には がんばれに相当する"animo"という言葉はあるが、やはり挨拶がわりの”がんばってね"の場合は”divertato mucho"(楽しんで)という表現だそうだ。インドネシア語では”santai saja"(お気楽に)と言う言いまわしもある。中国では昨年の北京五輪のさい、応援に「加油」という言葉を使っていたが、日常の挨拶に「加油」は使用しないと思う。

日本人は狭い国土に住み、これといった自然資源に恵まれていない。だから昔からがんばって生きてきた。だから、日常の挨拶語に”がんばってね”があるのもしれない。