「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

       関東大震災で開発された目黒線沿線

2011-05-11 07:16:28 | Weblog
東京の私鉄目黒線の目黒ー多摩川駅間の沿線は関東大震災を契機に発展をみた。かって2000年まで、この線は目蒲線と呼ばれていたが、震災が起きた1923年(大正12年)4月に開業している。その5か月後にたまたま大地震が発生し、まるでそれが引き金みたいになって開発された。

目黒線の大岡山駅前には東京工業大学の広いキャンパスがあるが、この学校は震災前は浅草の蔵前にあって蔵前高等工業学校と呼ばれていたが、被災後の大正13年、今の地に引っ越してきた。我が家から大崗山までは自転車で行ける距離なので、時々買物に出かけるが、昔からある商店に大正13年創業という看板がかかっている。大学と一緒にこの町へ来たお店だ。

同じ沿線の不動前駅近くには、母校の中学(旧制)攻玉社がある。この学校も震災後この地に移転してきた。校歌には"窓には見ゆ舟の帆、庭には満つ汐の香”とあるように、震災で被災する前までは、東京湾に面した竹芝の浦(現在の芝浦)にあった。

渋谷の道玄坂の上にある「百軒店」(ひゃくけんたな)も関東大震災後に出来た繁華街だ。震災後、焼けた東京の有名店を一郭に集めて開業し、銀座や浅草が復興するまでの一時期、大繁盛したそうだが、僕が知っているのは、戦後の飲食店と映画街中心の繁華街だが。

目黒線の沿線も渋谷も関東大震災の頃は、東京府荏原郡碑衾町であり、豊多摩郡渋谷町だったが、88年の歳月の経過で、いまのような繁栄をみた。災い転じてである。東日本大震災被災地の一日も早い復興を願っている。