「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

          戦後の合言葉は「新生」だった

2011-05-13 06:50:38 | Weblog
愛煙家の間で国産の特定の銘柄の煙草が手に入らず困っているという話を聞いた。東日本大震災で全国六工場のうち郡山など二工場が被災し、操業がスットップ、その影響で品不足をきたしているとのことだ。三十余年前、禁煙した僕には一向に構わないが、愛煙家の気持ちはよく理解できる。でも、喫煙が健康に悪いことは判っている。この際、禁煙に踏み切ることをお勧めする。

僕が未成年なのに大人ぶって煙草を吸いはじめたのは、まだ戦後まもない頃だ。街には焼跡が残っており、人々は食糧難から誰も腹ペコだったが、何故か煙草だけは店先にならんでいた。当時の話題は、高級煙草の「peace」や「colona」が売り出され「peace」の箱のデザイン料として専売公社が米国のデザイナーに150万円も払った話だ。煙草の販売収入が国家財政の二割を占めていた時代だ。

貧乏学生の僕らは、とてもこんな高い煙草は吸えなくて、やはり戦後売りに出された一箱20本入り40円の「新生」だった。「新生」は1950年代の国民的大ヒットした煙草であった。「peace」「新生」「happy」など戦後の当時をいかにも反映している名前である。とくに「新生」は当時の流行語だった。

戦後の復旧という言葉も聞かれたが「新生」が、国民の間の合言葉であった。東京の世田谷の練兵場跡に学制改革で新設された中学校の名前は字は異なるが「新星」であった。国民だれもがが、戦災の復旧もさることながら国家の新生を期待し願っていた時代だった。