「老人タイムス」私説

昭和の一ケタ世代も高齢になりました。この世代が現在の世相をどう見て、考えているかーそのひとり言。

      戦災の瓦礫を埋めて出来た上智大グランド

2011-05-09 07:08:37 | Weblog
東京メトロ(地下鉄)丸の内線が地上の四ツ谷駅に入る僅かの間だが、上智大学のグランド(都所有)が見える。ここには昔、江戸城の外壕、真田堀があったが、戦後の昭和23年、東京空襲の瓦礫などが埋められてグランドに造成された。ちょうど僕が大学に入學した年で、毎日何台もトラックがやってきて、お堀を埋める作業をしていたのが、昨日のように想い出される。

東京は昭和20年月10日の下町大空襲を始め4月15日、5月23日と大きな空襲が3回もあり、中心部から渋谷、新宿、池袋などどこも、見渡すかぎり焼野原となり、その瓦礫が戦後もかなり長い間、大通の道脇にうず高く積まれていた。その撤去と処理は政府にとって大事業であった。撤去には当時中学生だった僕らも動員された。真田堀をはじめ都内には、こうして撤去された瓦礫で造成された道路や公園、運動場が数多く存在する。

東京湾岸の初期の埋め立て工事にも戦災後の瓦礫が使用されている。戦争中連合軍の捕虜収容所のあった今の平和島公園の埋め立てもそうである。戦争中は捕虜収容所のあった島と陸とは一本の狭い木の橋で結ばれていたが、瓦礫の埋め立て工事で、今は見違えるような立派な公園に生まれ変わった。

横浜の山下公園も大正12年の関東大震災後の瓦礫を埋めてできた場所だ。ついこの百年たらずの間でも地震などの自然災害や戦災で新しい街が生まれている。今回の東日本大震災でも今、災害による瓦礫の撤去と処理が当面の大問題となっている。先人たちの智恵と経験を学んで一日も早い復興を期待している。