ビター☆チョコ

店じまい後も変わらずご訪問ありがとう。
新居をかまえましたので
お近くにお越しの際はお寄りくださいませ。

チョコクロ

2007-03-07 | 食べたり飲んだり

季節が冬から春に移り変わる頃になると
毎年、毎年、繰り返して思うのが
「やばい。。。。」

体重は変わってないのに
冬に着膨れてぬくぬくしてる間に
どうもあちらこちらが、微妙にたるんでいるのが
春めいてくると急に気になってくるんですね。

今年もまたそんな季節になりました。

そして、そう思いながらも
またとんでもないものにハマってしまってるのも
毎年この季節の「お決まり」です。



サンマルクカフェの「チョコクロ」。
「ヘーゼルナッツチョコクロ」と日替わりで交互に食べてるような(汗)

ストレスを食べ物で発散しないように
食べるなら自転車で買いに行くとか
もっと自分に厳しくしないといけないんですけどね。

分かってるけど
今日も車のエンジンをかけてしまうのでした。





パフューム~ある人殺しの物語~

2007-03-05 | 洋画【は】行

18世紀、パリ。
当時の都会は悪臭に満ちていた。
その悪臭に満ちた都会に、異常に嗅覚の優れた赤ん坊が生まれた。
母に産み捨てられた赤ん坊は、ジャン・バディスト・グルヌイユ(ベン・ウィショー)と名づけられ
まるで奴隷のように育てられる。
彼は愛を知らず、愛を求めず、ただひたすらに「永遠の香り」を求めるのだった。

フランス革命前のフランス。
知ることのない世界に、私たちは華やかな想像をしてしまう。
しかし、当時は入浴の習慣もなく、排泄物は道に投げ捨てられていたそうだ。
道を歩いていても、いつ排泄物が降ってくるか分からない状況で
その災難から淑女を守るために紳士のマントが流行し、ぬかるんだ道をドレスのすそを汚さずに歩くためにハイヒールが作られたのだそうだ。
そして、その悪臭や、体臭を消すために高貴な身分の人たちの間で香水がもてはやされたのだそうだ。

悪臭のなかには全ての生き物の生と死や、生活や、そんなものがごった煮になって混じっていたのだろう。
グルヌイユの優れた嗅覚は、その全てをかぎ分けてしまう。
彼にとって嗅覚だけが情報の全て、世間とのつながりの全てなのだ。

映像は、当時の混沌とした空気とともに、グルヌイユが感じているであろう「匂い」を伝えてくれる。
グルヌイユが鼻で感じてる世界を、私たちは目と耳で体験する。
それは、時にグロテスクで清浄で甘美で、あまりの濃厚さにめまいがするほどだ。

嗅覚だけが全てのグルヌイユにとって、自分に体臭がないというのは、自分の存在する意味がない、というのと同じことだったのだろう。
「究極の香り」を美少女の体臭に見つけてしまった彼の悲劇が始まる。

グルヌイユのとった行動は、とても人間のすることと思えない非道なものなのだが、
不思議なことに、怒りや嫌悪を感じないのだ。
あまりにも一つの道を追求しすぎてしまった男の「究極の純粋さ」への恐れと哀れみの感情が
胸の中にあふれてくるばかりだ。

『この香水の力の前に、世界はひれ伏す。
しかし、香水は彼を愛し愛される存在にする力はなかった。』

もし、彼が普通の青年だったら愛を語り合ったかもしれない少女達を
彼は「香り」にして閉じ込めてしまった。
「香り」という、はかないものに愛を求めた男は「香り」をまとって消えてしまうしかなかったのかもしれない。
人殺しの物語、というよりも
「香り」というはかないものに、愛と永遠を求めてしまった男の悲劇、のような気がした。




沈丁花とビオラ

2007-03-04 | 

暖かな日ですね。

庭先に出て、どこからともなく香ってくるなーと思っていたら、
2軒お隣の玄関先で
沈丁花が咲いているのでした。



いよいよ春かな、と思っていたら
次の日は手のひらを返したように寒くなったり
そうやって少しづつ春本番になるのでしょうね。

うちは北玄関なので、玄関先のビオラの成長がとてもゆっくりです。
あまりに元気がないので
(ダンナが)一部を小さい鉢に植え替えて、家の中にいれました。
そしたらみるみる元気になって
すごい勢いで花を咲かせています。



きれいに咲いたビオラは、家の中を明るくもしてくれるのですが
外に置いても、たぶん時期が来れば咲いたのだと思うと
少しせっかちすぎたかなぁ~という思いもあります。

春はゆっくり待ったほうがいいかもしれませんね。