ビター☆チョコ

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旅立ちの時

2006-07-22 | 洋画【た】行


ダニー(リバー・フェニックス)の両親は反戦運動の活動家で、15年間もテロリストとしてFBIに指名手配されている。
半年ごとに髪の色と名前を変え、家族はアメリカ各地を転々とする。
ダニーが17歳になったとき家族はニュージャージーの田舎町に滞在することになる。
ダニーはそこで音楽教師のフィリップスにピアノの才能を見出され、フィリップスの娘ローナ(マーサ・プリンプトン)と恋に落ちる。
両親に言い出せないままフィリップスの薦めるジュリアード音楽院のオーディションを受けるダニー。
オーディションは成功したもののそれでも両親には言い出せない。
大学に進学するということは指名手配中の両親と離れ離れになってもう2度と会えなくなるからなのだ。
ダニーの苦悩を知った母のアニー(クリスティン・ラーチ)は15年間会うことのなかった自分の両親にダニーを託す決心をする。
大反対する父親(ジャド・ハーシュ)。
一家の中に重苦しい空気が流れる。
そんな矢先、一家に危機が訪れ慌しく町を去らなければならなくなる。


特殊な環境ではあるけど愛に満ち溢れた家族。
外の世界とは交わってはならないから、その愛情はより濃く繋がりは強く、成長していくダニーを縛りつけようとする。
その愛情が分かるから、自分の本心を言い出せずに悩むダニー。
出口はどこにも無い。
そして母のアニーはかつて自分が両親に味わわせてしまった辛さを、今度は自分が味わうことになるのだ。

かなり昔、子供のお昼寝時間に観た映画だった。
世間的には立派な大人で、「おかあさん」と呼ばれる立場にはなったものの
いつまでたっても自分の「おかあさん」という立場に慣れることが出来ずに、
毎日がいっぱいいっぱいの頃だった。
ダニーのどこにも属さない、これからなににでもなれる若さと可能性が羨ましかった。

その時隣の部屋で眠っていた息子はダニーの年頃になり、
今の私は母のアニーに想いを重ねる。
必ず来る子供の旅立ちの時、それは遠いものではないはずだ。
そしてそれは延々と順番に繰り返され、そのたびにひとつの家族の新しい旅立ちが始まるのだろう。



映画の中のリバーを見るとき、なぜこんなに胸が痛くなるのだろう。
自分が「青春」という時期に感じていた、漠然とした不安や希望や苛立ちや喜びや、そういうものの気配がリバーの中にある。
そしてそんな気配をまとったまま時間を止めてしまったリバーは、現れるたびに遠く過ぎ去ってしまった「青春」の時の想いをほろ苦さとともに思い出させるのだ。

リバーの生い立ちと驚くほど似ているストーリー。
恋人との共演。
つい余計なことも気になったりするのだが、
映画の中のリバーはそんな勝手な思いなどはねつけて、強い輝きを放っている。
その輝きはいつまでも強く美しい。

ダ・ヴィンチ・コード

2006-05-24 | 洋画【た】行


ベストセラー小説の映画化。
そしてキリスト教のタブーを扱った映画なので、教会の反発やソニーの不買運動(なんで?)があったりして、余計に映画を盛り上げているような気がする。

宗教を語らせたらたぶん世界一語れない日本の中で、「キリストが結婚していて子供がいたかもしれない」という説が,なぜこれほどまで波紋を呼ぶのか理解できる人はそうはいないと思う。
もちろん私もその中の一人。
映画の前に小説できっちり予習をしていったのだが、「キリストのタブー」や肝心の「謎解き」よりもキリストの妻とされる「マグダラのマリア」その人に興味を持ってしまった。
少し前にもキリストの生涯を描いた映画があったはずだ。
その中ではどのようにマグダラのマリアについて触れていたのか、近いうち観たいと思っている。

昔、世界史の時間にさらりと習った「十字軍」や「テンプル騎士団」。
単語として覚えていただけだったのだが、こんな風につながっていたのね。
そして神の名の下に張り巡らされた策略と流された多くの血。
キリストが神であろうと人であろうと、決して望んだものではないと思うのだが。
映画の中で語られてるように、思い込みによって物事がゆがんで見えることもある。
「信じる」ということは、もちろん素晴らしいことだ。
でも、何を信じるかは人によって様々だ。
その「信じる」という純粋な気持ちを良くない方向に利用することは、絶対にあってはならないことだと思う。

映画は2時間半の長さ。
とにかく展開が速いので、少しは予備知識があったほうがいいかもしれない。
小説の中では謎解きの部分が丁寧に描かれていたのだが、映画ではあっけなく解かれてしまうのでアレッ?という感じ。
でも読んでても良く分からないところもあった(爆)謎解きの解説を、映画で延々とやられたら寝ちゃったかも。
ロン・ハワード監督がうまくはしょってくれたんでしょう。

トム・ハンクスのヘアスタイルも見慣れれば知的に見えなくもないし「アメリ」も大人の女性になってました。
イアン・マッケランは光ってました。

さて、ダ・ヴィンチ・コードを観たからといって、キリスト教やオプス・デイに嫌悪感を持つということもないし、エンドロールの最後には「フィクションです」とちゃんと出てました。
これも監督の気遣い?でしょうか?

トーク・トゥ・ハー

2006-01-09 | 洋画【た】行
                   
青春の15年間を母の看病に費やしてしまったベニグノ(バビエル・カマラ)は、自宅の窓から見えるバレエ教室で踊るアリシア(レオノ-ル・ワトリング)に恋をする。
アリシアに自分の想いを伝えたいと悩むうちに、アリシアが交通事故で植物状態になってしまう。
そのときからアリシアの専任看護士としての幸せな日々が始まった。
アリシアの世話をし、休みの日は彼女の好きだった映画やバレエを観てはアリシアに語りかける日々。
そんな生活が4年を過ぎたころ、同じく植物状態になった恋人の闘牛士リディアに付き添うマルコ(ダリオ・グランディネッティ)と知り合う。
愛する人を看病する二人の間にはいつしか友情と信頼が生まれる。

休日の午後、時折暖かい日差しの入る静かな部屋で観た不思議な「愛」の映画。
ひとくちに「愛」と言っても、人の数ほど「愛」の形はあるのだろう。
そんなことを今さらながら気づかされてしまった。

ベニグノのとった行動は紛れもなく犯罪ではあるけれど、アリシアに捧げた献身は「愛」に他ならない。
それがなぜ、犯罪という行為に走らせてしまったのか。
きっかけとなったのがアリシアに語り聞かせるために観た映画だったというのは~ちょっと残酷。


アリシア側から見ればまったく迷惑で、ストーカーに付きまとわれる悲惨なお話になるのだけど、
アルモドバル監督はまたまた巧みにそんな危険な「犯罪」の匂いを隠してしまう。

闘牛士リディアの着る美しい芸術品のような闘牛服。哀愁を帯びたギターの音色。

そしてカエターノ・ヴェローゾが歌う、ククルク・パロマ・・・悲恋の果てに死んでしまうという歌なんだけど、これが心にゆるゆる沁みてくる。

実は評判があまりにも分かれていた映画だったので、ちょっと観るのをためらっていたと言うか・・・
観る前から軽く拒否反応を持っていた映画だったんだけど・・・観てよかった。。。

刺激的な内容の映画なのに、なぜかゆるゆると暖かな気持ちになってしまった。
ラストがこれからの「始まり」の予感を持たせているのも良かった。
主演の男性二人の静かな淡々とした演技も良かった。
リディアの力強い美しさ、アリシアの透明な美しさにも目を奪われた。
アルモドバル監督、これからもチェックします。








ドット・ジ・アイ

2005-11-09 | 洋画【た】行
カルメン(ナタリア・ヴェルべケ)はストーカーと化した恋人から逃げて,イギリスにやってきた。
クラブでフラメンコを踊るカルメンに魅かれた資産家バーナビ(ジェームズ・ダーシー)は,カルメンに結婚を申し込む。
一見,幸せの絶頂にいるかのように見えるカルメン。
しかし,独身最後のヘン・ナイト・パーティで運命の男,キット(ガエル・ガルシア・ベルナル)と出会ってしまう。

なんの予備知識もなしにガエル君目当てで観てしまったけど,それがとてもよかったかもしれない。
濃厚なラブストーリーだと思ってみてたが,後半から一気に加速。
どんでん返しの連続。あっと驚くラストだった。
まさに「dot the i」,細かいところまで注意を払う,だった。

ガエル君は,真顔と笑顔の差がほんとにキュートだ。
八重歯はハリウッド的にも歯科的にもNGなんだろうけど,
ガエル君の笑顔にはかかせないチャームポイントになってる。
バーナビ(ジェームズ・ダーシー)と比べると小柄だし,役の上では失業中の役者で,絶対分が悪いのだが独特のオーラが漂う。
1度のキスでヒロインと恋に落ちていく役なんて,(デップ以外では)彼しか思いつかない。
ナタリア・ヴェルべケも,気性が激しくて情熱的で,それでいて脆さをもったカルメンのイメージにぴったり当てはまる。
ガエル君とナタリアのツーショットは「ラテンの血」そのものだ。

絶対結末を話してはいけない映画だと思うのだが,
この映画のほんとの主人公は,キット(ガエル・ガルシア・ベルナル)でもカルメン(ナタリア・ヴェルべケ)でもなかったのではないかと思う。
愛を求めて,人の人生をもて遊ぼうとした哀れな人の物語。
人の感情はそんなに計算どおりに動きませんよ。

最後に・・・
ガエルファンは,途中ちらりと着ぐるみ姿のガエル君が出ますので必見です。