面白いサイトを検索するには、キーワードの創造力と構成の巧さがものをいいます。
面白さは創り出すもの、繰り出すものだからです。
ものごとの「なぜ」を考えるのも、検索で面白さを見つける入り口になります。
人は、元来面白さをもっている生きものです。
何でもどうでもよいと思っている人は、面白さを見つけることができずに、毎日を過ごさなければなりません。
まことにお気の毒ですが、いたしかたありません。
面白いサイトを検索するには、キーワードの創造力と構成の巧さがものをいいます。
面白さは創り出すもの、繰り出すものだからです。
ものごとの「なぜ」を考えるのも、検索で面白さを見つける入り口になります。
人は、元来面白さをもっている生きものです。
何でもどうでもよいと思っている人は、面白さを見つけることができずに、毎日を過ごさなければなりません。
まことにお気の毒ですが、いたしかたありません。
XXの一つ覚えということわざがあります。
得られる情報の範囲が限られていた時代に、思い込んだらそのことしか考えない人をそう呼んだのでしょう。
パソコンを動かすたびに、不思議なことを続ける人がいます。
毎日変わったことが載るサイトがあって、どういうキーワードで検索すれば、いちばん上にそれが出てくるかもわかっています。
その人は、キーワードをその都度う打ち込まなくてもよいように、単語登録しました。
一文字でそこが出てくるようにしたので、たいそう便利です。
毎日の検索がとても早くできます。
しかし、変ですね、それならデスクトップに呼び出し用のアイコンを作っておけばよいのに。
何かを探すのが検索です。
探さなくてもすむときに、わざわざ探し方と同じ手順を踏むのは、なんというのでしょうか。
人間は、絶えず考え続けていることはできません。
もし、いつも何かを考え続けなければならないとすれば、それは脳の消化不良状態です。
Webの画面をただ見続けていなければならないとすれば、それも脳の消化不良状態です。
噛む力すらなくなっている、あるいは、力というより、噛む意欲がなくなっていることもあります。
右手に箸、左手に杯を持ったまま、肴を酒で流し込んでいる人がいますが、「旨い」と言っているのはほんとうでしょうか。
情報のタネを脳に流し込んでいるだけでは、タネの旨みも味もわからないでしょう。
よく噛まないことは、消化不良に最も寄与率の高い原因です。
稽古場では負けることが多いのに、本場所では滅法強い力士がいます。
稽古場での成績がよいのに本場所で勝てないのは、稽古のための稽古をしているからだという人もいます。
流れる雲を見るようにWebを眺めているだけの人は、たまに自分から検索することがあっても、そのときは、Webを見るための検索の路地に、誘い込まれているのかもしれません。
歌ことばは、一つひとつ意味の研削をはじめると、詠み人の意を感じとるのに邪魔になることもあります。
しかし、モジるときにはそうではなく、つなぎめのところをよく確かめておかないと、できの悪いオルゴールのような、ただ音が似ているだけのものになってしまいます。
小倉百人一首には、こんなありがたいサイトがありました。
< http://fusau.com/hyakuichi/hyakuichi009.html >
あ、今日はオルゴールの日でした。
名前だけ告げられて、だれだどこだ何だ彼だと探し回るのも検索の第一歩です。
それでも、流れる雲のうごきを、何も考えることなく眺めるように、空にかかったWebの画面をじっと見ているよりは、何かを探し出すのであれば、ああそうかという気分に、いくらかは近づくでしょう。
ナショジオというサイトがあります。
何でも短縮の仲間入りをした名前で、本名はナショナルジオグラフィックです。
科学の子は鉄腕アトムでしたが、科学のGと呼びたくなるような北海道の友人がいます。
先日同窓会で会い、S駅前のSBの、テラス席と言えば聞こえはよいのですが店前広場にはみ出しただけの、ごく風通しのよいところでコーヒーを飲んでいると、広場に1台の風力発電装置が回っていました。
羽根は3枚、回ってみたり止まりそうになったり、まあ仕方なしという感じです。
あのプロペラは何枚がいちばん発電効率がよいか、3か2か1か、さあどうだと、科学Gが言います。
3枚だろうとほとんどの人が思うのははずれで、1枚がいちばんなのだそうです。
こんな記事が載っている、ナショナルジオグラフィックを、面白いから読んでごらんと言われて、たしかWeb版もあったはずと探し当てたのがこのサイトでした。
検索館というのを作りませんか。
3音めは2ではなく9です。
そこには立派な建物も、大げさな天窓もいりません。
速く動いてくれるパソコンが何台かあれば十分なのです。
利用するときは、マイナンバーでサインイン、パスワードはマイナンバーです。
検索の履歴はバッチリ残り、劣悪文化に貢献する検索が増えると、住民税が増える仕掛けになっています。
検索できない言葉があると、検索で見つけました。
それを見ると、できないのではなく、相手にしてくれないということのようです。
検索できないのは、言葉ではなく、文字でもない、記号なのでした。
郵便番号マークや、アットマーク、これは I MEでは文字の仲間扱いで変換すれば出てきますが、こんな記号で検索窓に記入してみても、はいそれはという返事がこないのはあたりまえでしょう。
なんでもどうぞの検索エンジンでも、ただの暇つぶしでしかないことには、おせっかいもほどほどということなのでしょうか。
「教えて!Helpdesk」というサイトがあります。
こういう副題がついています。
Windows, Office製品を中心としたTIPSや裏技、パソコントラブルの解決法を一挙公開!
いちばんはじめの、Word の先頭項目が「ページ設定、印刷設定」となっているのも、決められた大きさの紙との縁を断ちきれない、文化の転換の難しさがついてまわっているようで、やはりなあ、という感じがしています。
A列とB列、並べてみるとB列のほうが大きいのに、おや、と思うのは、いちばん身近な紙のイメージが、番号を忘れさせているからです。
検索は、もの探しですから、目を使います。
「目を注ぐ」、「目を凝らす」、「目を配る」、「目を光らす」といろいろな目の使い方のうち、検索のときはどれに近いでしょうか。
きょろきょろ見回すのではなく、じっと見つめるのでもありません。
何かないかではなく、これがどこかにあるか、という見方ですから、「目を光らす」がいちばん近い気がします。
「目を光らす」のふつうの使い方は、監視する意味が強いのですが、検索には、役立つ情報の収集と、もうひとつ有害情報への防御が必要なので、鈍いドロ目では用が足りないでしょう。
ときには熊手、ときには刺又、両方の役目を果たせる捕具のような、キラキラ光った目をもつことが、有効な情報を見つけるには、だいじであると思います。
何か知りたいことがあって検索を始めると、次々に知りたいことの枝が増え、ときには、はじめに問いたかったこととは無関係の、小枝の先まで行ってしまうこともあります。
深入りしすぎたときのために、はじめに探り当てたサイトのURLを、とりあえずブックマークバーに置いておくことを、忘れないようにすると便利です。
同じことを再び検索するという、よくある愚行の防止策になります。
履歴が残っているからといっても、それも再び検索と同類でしょう。
再び検索は、またたびを連想させます。
猫がそれを食べて酔ったような、あるいはサーカスなどの旅人が行く先々での珍しいことにのめり込んでしまったような、またたびと、どこかで縁がつながっている気がします。
検索で十分な効果を得るには、情報群にうまく引っかかるよう、爪をよく研いでおかねばなりません。
爪を噛むのはよくないわという歌がありましたが、爪を研ぐのはよいことです。
ネイルサロンは、爪をきれいにしてくれますが、検索の爪は、自分で研がなければ捉まえる力の足しにはならないでしょう。
検索という行為は、意思によってはじめられます。
その意思の持ち方は、ふたとおりあります。
ひとつは、これ見てごらんを素直に受けて、それではと動き出す意思です。
もうひとつは、自分から何かに疑問を持ったり、知りたい欲求が首をもたげたりして、動き出す意思です。
検索という行為には、型があります。
ズドンと一本立った電柱のような型もあれば、枝別れの多い樹木のような型もあります。
そこに降り注いだ雨が、すぐ流れ去って乾いてしまうか、葉や枝にゆっくりしみこんでいくかどうか、検索の効果は型次第です。
浮かんだ疑問を、どこまで持ち続けられるか、その力が検索の型にあらわれます。
それが筋力なのか精神力なのか、問い究めようとする人には出会いません。
ビジネスの種にならないことには、どなたも関心を寄せたがらないからでしょう。