うっかりユーザのパソコン奮闘記

パソコンを使っていて感じたあんなこと、こんなこと、気ままに書いていきます。

Scholar

2011年01月16日 | 忘れかけていたこと
Google 検索サービスの最終項は Scholar である。
ここは学術資料を検索するところ、出版社、学会、大学ほか学術団体から提供されたあらゆる分野の資料を見つけることができる。

こういうところで資料が簡単に手に入るようになると、便利なのはよいが、資料集めが調査研究だと思ってしまう学生が増えてくる。
自分は何も考えずに、電子資料を切ってつなげると、即製の偽装論文ができ上がる。
ひどいのになると、切ってつなげもせず、名前だけ書き換えて平気で提出するずうずうしいのもいるだろう。

Google Scholar のトップ画面に「巨人の肩の上に立つ」というニュートンの言葉が載っている。
「もし私が他の人よりも遠くを見ているとしたら、それは巨人の肩の上に立っているからだ」と自身の偉業について語った謙遜の意を込めた言葉だが、これを都合よく読み替えて、巨人の肩の上なら楽でよいとしてしまっては、世も末というしかない。

iGoogle

2011年01月15日 | 忘れかけていたこと
ホームページは持ち家のようなもので、ブログは借家だろうか。

Google の「iGoogle」は、自分のページを30秒で作れる作業場の入り口だ。



世の中には、自分のものをだいじにする人と、自分のものなら粗末に扱っても他人に迷惑はかからないだろうという人がいる。

ホームページでは、持ち主が粗末に扱うことが人の迷惑になる。
初めに作って見ることだけを楽しみ、「ああできた」あとは放りっぱなし。これが宇宙のごみのようにどんどん増えていく。
検索に引っかかって開こうとすると何も出てこない。
あけて見ると、いちばん新しいのが3年も前の記事、広告に出ている催し物は半年前、そういう放置ページにときどきお目にかかる。
持ち主がいなくなってしまった場合には始末のしようがなくなる。

1年間編集されなければそのホームページの作者に警告が届き、そこで1ヶ月無反応なら自然消滅、1年間ヒットされなければ検索サイトから外れる、そうなっていればよいのだが。

Earth

2011年01月14日 | 忘れかけていたこと
Google の「さらにもっと」で「 Earth 」にたどり着く。earth にいながら earth を眺めるのか。
「そこをどんどん西へ行くとどへ」と果てしなく尋ねる落語もあった。
Google earth は「地球上のどんな場所にもすぐに移動」と、地の果てまで連れて行ってくれる。



いまは、とても地の果てまで行ってはいられないので、これもとりあえず敬遠。
手元には、1月号が待っているのに、これから12月号を読みにかかる雑誌があるから。

MPSの会で最初にTさんに見せていただいたのがこの Google earth だった。
マチュピチュがすぐ目の前に現れて驚いた。その次には、会場に来るときに降りてきた家の前の坂道が映っている。

これではどこかの山奥で危ないものを造っていてもすぐばれそうだ。

Google Chrome

2011年01月13日 | 忘れかけていたこと
Google Chrome を使っているのに、Google の「さらにもっと」で、また Google Chrome の看板に行き当たった。
イエローカンパニーというスープカレーの店が人気らしいが、入ってメニューを見たらイエローカンパニーという名の料理に出会ったような気分だ。

「Chrome がもっと便利になる、2分で分かる拡張(Extensions)機能の説明はこちら」と書いた目立たない看板もある。
「3分美顔極上美肌をGET!」と本の広告にもあったような気がする。
見る範囲をあわてて拡張しすぎると、2分どころではすまなくなるのはわかりきっているからひとまず敬遠しておく。



歩きやすそうなところをうろうろしていたら、Google Chrome のヘルプにたどり着いた。
さしあたりヘルプさんに用はないが、Google Chrome のカスタマイズなどは面白そうだ。
Chrome 街を一回りしたら、また寄ってみることにしよう。

昨年の大宅壮一ノンフィクション賞作で「日本の路地を旅する」という本があった。
路地の多い街は歩きでがあって、通り抜けるだけでも楽しいものだ。

マップ

2011年01月12日 | 忘れかけていたこと
Google の「ブログ検索」の次は「マップ」である。
ここでは普通の地図と航空写真を見ることができる。
航空写真は、地図には描きにくい狭い道筋まで写る。地図というものは、だいたい初めて訪ねるところを確かめるのに使うから、これはありがたい。

はじめに日本全体を見渡せる地図が出てくる。
「最初に表示する場所を変更」というメニューがある。
これをアメリカにしている人もいる。
「神奈川県横須賀市」としておいたら、横須賀市の中心部が真ん中にある地図が現れた。
だがそのとき、左側の地域選択の表示は「神奈川県」全体になっている。
さすがの Google マップも、そんなところにまで気を遣ってはいられないということか。



この画面は、地図の位置が変わる前の瞬間をとらえたPSマジックで、地区表示は横須賀市に変え、地図は三浦半島全体にしておいたものである。

ブログ検索

2011年01月11日 | 忘れかけていたこと
Google の「さらにもっと」で「ブログ検索」を覗いてみる。
ブログにこういう投稿があったという紹介窓口のようである。

「このページの記事は、コンピュータ プログラムにより自動的に選択、表示されています」と最下端に書いてある。恣意的選別はしていないという意味か。

左端に「トップ記事」というヒエラルキー好みの人が使う垂れ幕がある。
はじめは、それが9項目に分かれているのかと思ったが、早とちりだった。
「トップ記事」も検索項目のひとつで、全部で10項目なのだった。

右側には、「最近の投稿」という欄がある。
最近というから、ここ数日の新しいものかと思ったら7分前とか10分前とかの表示が出る。最近どころか最新の投稿紹介だ。
ここは投稿のあるたびにどんどん変わるから、滞空時間はごく短い。お目当ての記事がある場合は、じっとにらんでいるほどでなくても、ときどきは見回らないと見逃してしまう。

この検索メニューには利用価値の広がりそうなにおいがする。
もう少し頭のさっぱりしたときに、あらためて探して見よう。

ブックス

2011年01月10日 | 忘れかけていたこと
Google の「さらにもっと」には「ブックス」というメニューがある。
これによく似た「たなぞう」というサイトも別にある。名前が似ていることもあって、読書記録の保存に使わせてもらっていた。

本を読む熱の高さにも周期があって、私はいま低温期に入ってだいぶご無沙汰している。
こういうものの熱の上昇下降には、思い返してみると、かならずきっかけがある。
そう言ってみるのも、わが身の怠惰の原因を他にもっていこうとするけちな根性の端くれなのではあるが。

著者や愛読者には悪いが、わが読書熱低下のきっかけは「1Q84」あたりにあった。
たなぞうでは、「頭の良すぎる人の書いた本は途中で厭きる。残念だが読む根気が続かない」と言いぬけておいた。



Google の「ブックス」は、細部を見る興味熱がまだ上がってこないから詳らかでないが、応用範囲がなんとなく広いように感じられる。

こういうものは、あとからよさそうなものが出てきても、衣服の着替えや鞄の持ち替えと違って入れ替え作業が大変なので、なかなか手を出せない。
エキスポート・インポートがそれぞれ一発で片付く引越し用プログラムが付いていればユーザーにとっては最高なのだが。

ニュース

2011年01月09日 | 忘れかけていたこと
Google 「さらにもっと」には「ニュース」のメニューもある。
検索の中でいちばん難しいのはニュースの検索だろう。

ニュースの記事の現れる道すじは、誘導も自在、閉鎖も自在、どんなふうにでも見る人を連れ歩くことができる。
新聞や放送よりもはるかに広範かつ雑多に検索対象が散らばっている。
どこにも行けるゴチャゴチャの街、それがニュース検索の場だ。

毒にも薬にもならないというたとえがあるが、ニュースの場合は、検索で捕まえられる範囲を平均すれば、毒性のほうがやや強いのではないかと思う。
もし世界中のニュースが、薬になる効果の強いほうに傾いていれば、人類はもう少し賢くなってきているはずだからである。


毒沼から薬の成分を吸い上げる。それがニュース検索の難しさなのだ。

トランジット

2011年01月08日 | 忘れかけていたこと

Google 「さらにもっと」の「トランジット(乗換案内)」を見る。これは良い。


入出力に必要なことのほかには、一切余分なものを見せるようにしてないところが気に入った。

もうひとつ、日付をカレンダーで選べるところが良い。

日付の入力は、たいした手間でもないのに何となくわずらわしいものだから。

時刻の条件を変えるとき、わざわざ元の画面に戻らされるソフトもあるが、あれはよくない。そんなことぐらいと思う人がいるかもしれないが、いま出ている画面ですぐ変えられるほうがはるかに良い。

パソコンの手続きには、プログラムの組み方が下手で回りくどいことが多いから、行ったり来たりせずに、すんなりトランジットできると、そのプログラムが急に優れたものに思えてくるのである。


デスクトップ

2011年01月07日 | 忘れかけていたこと
Google の「さらにもっと」に「デスクトップの検索」というのがある。

ウィンドウズのデスクトップもいい加減目障りなのに、この上何を机上に並べ、何をさせようというのだろうか。
机の上には、メモと鉛筆のような毎日何度も繰り返して使うものだけで十分。
常日頃使うもののほとんどは、引き出しに入れておいてすぐ取り出せればよい。
机の上はさっぱりしておきたいのだが。

「デスクトップの検索」は、自分のパソコンに入っているデータを、ウェブ検索と同じような方法で検索できるというのだが、自分で入れたデータなどたかが知れているから、これでお世話になる必要もないだろう。
どこに入れるかをまったく気にせず、探すときに一声かければ出てくるという仕掛けなのかもしれないが、もしその一声が見当違いなら、ほぼ永久に見つからないのではないか。

「デスクトップの検索」に入っているもう一つの機能は、ガジェットつまり小道具を追加しようというもの。
こんなものはいかがと、時計、写真たて、メモ書き欄、検索窓が並んで箱詰めになっている。

時計はすでにタスクバーの右下にあるから二つはいらない。腕時計をはめていてケータイで時間を確かめる人もいるようだが。

デスクトップの壁紙さえ邪魔なのにこんなところに小さな写真などいらない。風景写真も、家族の写真も、ペットの写真も、毎日目の前に現れては親しみがかえって薄れるではないか。趣向を変えてここに空模様を映し出してもらっても、ちらちら動いて気になるだけだ。

メモは、ほかの方法でデスクトップに置いてはみたが、使いこなせず邪魔にしかならないのでやめた。

検索窓はグーグルのトップページのど真ん中にあるウェブ検索用だけでよい。あれがいちばん使いやすい。パソコンの中身は[スタート]→[検索]で見つかる。

あまり使いそうもないものを、なぜひろげておきたいのかと考えてみる。
そうか、着るものや持ちものをありったけ床に並べておいて、そこから選んで今日のいでたちを決める人もいたのか。

ディレクトリ

2011年01月06日 | 忘れかけていたこと
「ディレクトリ」は、ファイル群の階層構造をあらわす懐かしい呼び名である。
いまは見方を変え、ファイルの入れものとして、「フォルダー」と呼ぶ。

階層構造は抽象表現で感じをつかみにくいが、入れものなら具体表現だからわかりやすかろうというわけか。
だが、ものごとを具体的に、具体的にと、それにとらわれていると、かえってわかりにくくなることもある。そこを逆手にとる狡猾なやりかたもある。たとえば数字のマジック。



Google の「さらにもっと」で「ディレクトリ」をあけてみると、「カテゴリ別 Google !」と書いてある。
このメニューが何であるかがすぐわかる。
看板はこういう具合にしてもらうとわかりやすい。
看板を見なくてもわかるぞという声も聞こえるが。

検索、検索とCMにもたびたび出てくるようになった。
これだけ体感させられれば、検索の意味も薄々わかるから、検索とは何かとわざわざ問う人も少なくなっただろう。

検索にもふたとおりある、「自分はこれを」と「何かないか」だ。
探すと見つけるの違いか。いや、少し違う。
見つけると見かけたらの違いに近い。
検索を使う人の数では、多分見かけたらのほうが多いだろう。

見つける道すじは直線に近いほうがよいが、見かけたらは散歩に似て回り道を苦にしない。
見かけたらは、もう検索という行為とは別種のことではないかと思う。
そこで「カテゴリ別 Google !」としたのか、さすが、と思った。
しかし、最初の扉の看板は「カテゴリ別に検索」ではないか。うむ?

まあ、世の中には証を立てない検証もあるのだから、探すことの意味を持たない検索もありか。

ツールバー

2011年01月05日 | 忘れかけていたこと
Google の「もっと見る」→「さらにもっと」の4番めのメニューは「画像検索」だが、これも前の「ウェブ検索」と同様はじめのページに逆戻り。
入り口の扉を開けて入って、もうひとつ中の扉を開けたらまたもとの扉のところへ戻ってしまう。
魔法の館に踏み込んだというほどのものではないが、これは編集者のいたずらなのか、何なのか。

次の「ツールバー」に行ってみる。
「ブラウザに検索ボックスを追加」と書いてあるが、また入り口の扉が増えてぐるぐる歩かされるのは嫌だから敬遠しておく。

「Google ツールバーは Internet Explorer と Firefox でのみご利用いただけます」と書いてある。
では Google Chrome はどうなのか。まさか Google が Google を締め出すことはないと思うが。
「Google Chrome 以外には・・・」と書くのは、掻き分けオバサンに似て嫌だったからか。

「New ! ツールバーを使用してウェブページを共有したり、ウェブページに情報を投稿できます」とあって、このあたりがミソのようだが、この共有という言葉が曲者のような気がする。
チャットのあとはツイッター、あほらしいから手を出さないが、まったく意味のない言葉をやりとりし合って時間をつぶす。つぶしているつもりが時間に追いかけられる。相手の言葉にすぐ反応、何でもよいからすぐ書く、また返ってくる、また書く、それだけの繰り返し。考え込んで黙っていれば相手にされなくなる。
追いかけられながら時間を共有しているつもりになるらしい。

国会でツイッターに夢中になっているM塾出身の大臣もいたから、極ごくまれには上ものもあるのかもしれないが。

検索

2011年01月04日 | 忘れかけていたこと
Google の「もっと見る」→「さらにもっと」の2番めのメニューは「ウェブ検索」だが、これははじめのページに逆戻りで、双六の落とし穴にはまったような具合になる。

次の「特殊検索」、普通では考えられないような、よほど特殊な範疇のメニューが用意されているのかと、多少のわくわく感を持ってクリックする。
ところが、現れるのは日常生活に便利だろうという検索項目のいろいろである。
「検索をさらに便利に使うコツ」という見出しのとおりなのだ。
よく見れば、アイコンの脇に「様々な検索機能の紹介」と書いてあった。



これは、初心者にウェブ検索の要領を教えるにはよくできたページで、インターネットという名に釣られて目的はないのがだが方法だけ知りたいという人に出会ったときには、定石入門書のように役立てることができる。
ただ「面白いからやって見なさい」だけでは、初心者はその先何をしてよいかわからないのだから。

Google が利用者を固定させていくわけは、こういうホスト感覚にあるのかもしれない。

もっと見る

2011年01月03日 | 忘れかけていたこと
Google に「もっと見る」というメニューがある。それを「さらにもっと」と探っていくと、これだけのことができるぞと30余りの項目が並ぶ。

気取ったレストランのメニューはわかりにくく、ファミレスのメニューには絵のくど過ぎるのが多いが、このメニューは、アイコンの図柄も文字とのバランスも巧くできている。
数が多いので、まだ全部ひろげてみてはいない。

いちばんはじめの、鐘のマークのついた「アラート」を覗いてみる。

「アラート」と名付けてあっても、パソコンで操作をやりそこなったときに「ピン・」と鳴る「ナンカオカシイヨ」の意味をもった警鐘とはややおもむきが違う。
ここでは、検索キーワードを指定すると、それに一致するウェブページ、ニュース記事、ブログなどが現れる。

登録しておくと、新しい検索結果が見つかったとき、その都度でも、1日1回でも、1週間に1回でも、指定しておいたとおりにメールが送られてくる。
こういう情報は、特に関心のあるものに限っておかないと、メールがたびたびやってきてうるさいことになる。

ネットに限らず、メディアの情報は、真偽五分五分ぐらいに見聞きしてちょうどよいと思っている。
そうしないと、意識の流れには逆らえず、いつの間にか正体の見えない手によるコントロールの対象に巻き込まれることになる。むやみに入り口を広げておくと、かえってボケが進むかもしれない。

そういうわけで、さしあたり突き詰めようということのないいま、まだ[アラートの作成]ボタンを押す気にはなっていない。

制御不能

2011年01月02日 | 忘れかけていたこと
ウィンドウズ・メディアプレーヤーが突然制御不能になった。
上の「プレイビュー」「ライブラリ」・・・と書いてあるバーと、下の「再生」ボタンのあるバーが、真っ白の無反応ボタンになってしまっていた。



それはもうボタンではなく、×印の付いた四角の枡でしかない。
音声も動画も再生はできるのだが、ただ見て聞いていられるだけである。
これでは途中で止めることもできないから、1時間ぐらい続くネットチャンネルなどは始末が悪い。いったん止めるとまた始めからということになる。

参ったな、もう再インストールしかあるまいと、ウィンドウズ・ダウンロードセンターを探し出し、いくつもあるメディアプレーヤーのなかから適合するバージョンを選んでダウンロードする。
途中で大丈夫なのかと思うほど、完了までに時間がかかったが、まあ何とか元に戻った。

幸い「ヘルプ」は使えたので、それまで使っていたメディアプレーヤーのバージョンを確かめることができた。
もしも、まったく動かない状態で、ヘルプを見ることさえできなければ、見当はずれのむだなことを、あれやこれやと試さなければ治まらなかったかもしれない。

大晦日のできごとだったから、まあよかったとしておこう。