小松格の『日本史の謎』に迫る

日本史驚天動地の新事実を発表

日本語の諸問題 (33) 山車(だし)と神輿(みこし)の語源

2015年02月09日 | Weblog

1.山車(だし)の語源

「だし」の語源はすぐ分かる。「出す」の名詞形(連用形)である。華やかに飾りたてた「出し物」の一つである。漢字「山車」をあてる。類似語の「出る」の名詞語幹は「出」であるので、(例. 出口、水の出が悪い)。 「出だしは良かった」という言葉は「出(で)」と「出し」の二つの名詞形がくっ付いたものである。また、料理で使う「だし」(昆布だし、イリコだし)も同源である。

2.神輿(みこし)の語源

「み」は敬語であるので、「輿(こし)」の語源であるが、「国語辞典」には次のようにある。「人が肩で担ったり手で持って運ぶようにした乗物。養老職員令主殿条や延喜内匠式等には,天皇が乗用するものとして供御輿輦や御輿,御腰輿の名が見える。平安時代の公家の日記に〈我朝,帝王,皇后,斎王の外,輿に乗る人無し〉と記されている」。 毎年、京都で行われる「葵祭」で、斎王代の乗り物としてよく知られている。これに敬語の「おみ」や「み」が付くと、現代では神様の乗り物「おみこし」となる。最近はどの神社も神輿を担ぐ人がいなくなって、車に乗せて巡行しているのが実情である。

 この「輿(こし)」の語源については「国語辞典」も「語源辞典」も納得ゆく説明がなされていない。その理由はやはり国文法の呪縛にある。結論から先に言うと動詞「越す」の名詞形「越し」にすぎない。「来(こ)し方行く末」という言葉があるように、「こし」は「来る」の意味にも使う。つまり、神様や貴人が「お越しになる」もしくは「お出ましになる」意味の「こし」なのである。「こし方」に漢字「来」が当てられているということは、日本語動詞の法則からすると、元は「来(き)し方」と言っていたのであろう。「来(き)」は「来る」の名詞語幹であり、古文に「いで(出)き(来)し・・」との表現があることから分かる。後に、「お越しになる」の「越し」の影響を受けて発音が「こし」に変わったと考えられる。文字表記はそのまま「来し方」を残して。つまり、この二通りの言い方は共に正しいと言える。

 「越す」は「越すに越されぬ田原坂」と西南戦争の歌にあるように文語表現であり、現代の日常語としてはほとんど使われない。「乗り越す」「追い越す」「年越しソバ」「窓越しに見る」のように複合語で使われる。この点では「盛(さか)り」も同じ、「花盛り」とか「真っ盛り」として使うが、「盛る」という動詞は単独では使われない。「燃え盛る」のように複合語として使う。例外的に「犬にサカリがつく」と名詞形は俗語としてある。「輿(こし)」の語源はいとも単純、「越す」の名詞形なのである。なお、「こす」(濾過する、)も同源であると「国語辞典」に出ている。(例、茶こし)。「こす」の本来の意味は「 通過する  passing 」であり、類似語「越える」(古語の「越ゆ」)とは微妙な意味上の違いがある。「越える」の語幹「越え」は「山越え」「天城越え」のように普通に使われている。

 <追記>

 前に「とどのつまり」の語源について書いたように、国文法の呪縛から解けていない人にとっては、「とど」はあくまでも普通名詞であり、それを探した結果、魚のイナ、ボラ、トド(出世魚)にたどり着いたのであろう。しかし、この「とど」は古語の「とどむ」、現代語の「とどまる」「届く」などの語幹「とど」であり、それが漁師仲間の俗称となったのであろう。また、「滞る」(滞留)も、「とど・凍る」であり、複合語としても使われる。動詞語幹が名詞化することは日本語文法の基本法則の一つでもある。「越し」は国文法では動詞連用形であるので、「輿(こし)」の語源を他の名詞に求めようとする。そこで、語源は不明になってしまうのである。日本語動詞の名詞形、あるいは動詞語幹の名詞化は非常に体系的、かつ一定の法則性がある。「日本語に文法はない」などと一体だれが言ったのだろうか。なお、古文の「おとど(大臣)」も同源であろう。臣下の最終官位であるので・・。

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