もうすぐ坂本龍馬が長崎へやって来るらしい。
NHK大河の話。
家の前の通りにいつの間にか看板が建っている。
龍馬が勝海舟に随行して長崎に入るときには、
長崎街道を小倉から入ったとばかり思っていたが、
熊本から有明海を船で渡り、わが家の前の道を通ったそうだ。
島原街道の中ほど神代鍋島家の「鍋島日記」に
海舟一行が神代で休息をとったような記録が残っている。
「公役人長崎江御用筋二而罷越候段
島原向触帳別当所迄続来候由二而役所江相達候処
神代江休之由二付町内休所割付手当相成候事」
また島原藩多比良番所の「晴雨日記」には神代を通過したとある。
「御公役今朝六つ半時 湊船上速御出立 神代通愛津村御泊」
当愛野町(当時愛津)では元治元年2月22日愛津庄屋深浦家に宿泊。
翌23日に長崎に到着している。
当時もわが家が街道筋にあったかどうか定かでないが、
島原藩のお殿様が通られる時は、刀を差して表で迎えていたと聞く。
もしその時代に行くことが出来たら龍馬一行とお茶でも飲みながら、
今のこの日本をどう建て直したらよいか聞いてみたいものだ。
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家の前の通りにいつの間にか看板が建っている。
龍馬が勝海舟に随行して長崎に入るときには、
長崎街道を小倉から入ったとばかり思っていたが、
熊本から有明海を船で渡り、わが家の前の道を通ったそうだ。
島原街道の中ほど神代鍋島家の「鍋島日記」に
海舟一行が神代で休息をとったような記録が残っている。
「公役人長崎江御用筋二而罷越候段
島原向触帳別当所迄続来候由二而役所江相達候処
神代江休之由二付町内休所割付手当相成候事」
また島原藩多比良番所の「晴雨日記」には神代を通過したとある。
「御公役今朝六つ半時 湊船上速御出立 神代通愛津村御泊」
当愛野町(当時愛津)では元治元年2月22日愛津庄屋深浦家に宿泊。
翌23日に長崎に到着している。
当時もわが家が街道筋にあったかどうか定かでないが、
島原藩のお殿様が通られる時は、刀を差して表で迎えていたと聞く。
もしその時代に行くことが出来たら龍馬一行とお茶でも飲みながら、
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