熊本県の八代海に浮かぶ小さな島「大築島」
八代港から船で30分、周囲3.8kmの小島です。
船長の話によると、かつて「宝の島」と呼ばれたそうです。
左手前(東側)と右奥(西側)の一部が当時の島の原型が残っている。
東側部分
北側断崖(現在埋め立て工事)
最東先端部分
隣にある小築島
かつて島全体が良質の石灰岩でできており、
日本セメント株式会社八代工場の原料鉱山でした。
当時は採掘する従業員と家族が移り、
最盛期の昭和30年頃には50世帯約250人が生活しており、
小中学校の分校まであったそうです。
大築島の採掘方法は、島自体が石灰石で出来ているため
露天掘りという大地を切り崩していく方法だったそうです。
その後採掘が進むに連れて無人島となりますが、
石灰石の採掘だけは続き、島は削られ続けその地形を大きく変えていきます。
平成7年に閉山された現在の大築島はもちろん無人で、
島は一部を除き採掘によって広大な石灰石の平原になっています。
島の南側には石灰石の積み出しなどに使われた岸壁や施設の痕跡が残っています。
また、島内には住宅や建物の基礎も残っていました。
最西端
南側より
産業の発展と共に大きく姿を変えていき、
またその終焉と共に無人となった長崎の“軍艦島”同様に、
熊本県の八代海に浮かぶ小さな島「大築島」も規模は違いますが、
まさに島全体が一つの大きな産業遺産と言えます。
現在、島の北側では大規模な浚渫土埋立工事が行われており、
八代市によって島への上陸が禁止されています。
きょうは、仕事で上陸させていただきました。
大築島を後にしたのは午後5時過ぎ。
クリックで応援をお願いします。
↓
八代港から船で30分、周囲3.8kmの小島です。
船長の話によると、かつて「宝の島」と呼ばれたそうです。
左手前(東側)と右奥(西側)の一部が当時の島の原型が残っている。
東側部分
北側断崖(現在埋め立て工事)
最東先端部分
隣にある小築島
かつて島全体が良質の石灰岩でできており、
日本セメント株式会社八代工場の原料鉱山でした。
当時は採掘する従業員と家族が移り、
最盛期の昭和30年頃には50世帯約250人が生活しており、
小中学校の分校まであったそうです。
大築島の採掘方法は、島自体が石灰石で出来ているため
露天掘りという大地を切り崩していく方法だったそうです。
その後採掘が進むに連れて無人島となりますが、
石灰石の採掘だけは続き、島は削られ続けその地形を大きく変えていきます。
平成7年に閉山された現在の大築島はもちろん無人で、
島は一部を除き採掘によって広大な石灰石の平原になっています。
島の南側には石灰石の積み出しなどに使われた岸壁や施設の痕跡が残っています。
また、島内には住宅や建物の基礎も残っていました。
最西端
南側より
産業の発展と共に大きく姿を変えていき、
またその終焉と共に無人となった長崎の“軍艦島”同様に、
熊本県の八代海に浮かぶ小さな島「大築島」も規模は違いますが、
まさに島全体が一つの大きな産業遺産と言えます。
現在、島の北側では大規模な浚渫土埋立工事が行われており、
八代市によって島への上陸が禁止されています。
きょうは、仕事で上陸させていただきました。
大築島を後にしたのは午後5時過ぎ。
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