新鹿山荘控帳

山荘管理人が季節の移ろいを、書きとめました
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「ハクガン」のいた北千住あちこち

2020-11-11 18:02:45 | コロナ関連
「ハクガン」の飛来地がわからず探していたところ、投稿されたブログの1枚に目が止まりました。不思議な塔が写っているのです。それがこれです。

西新井水位観測塔というのだそうです。名称がわからず、荒川にあるのだけを頼りに、荒川河口からグーグルで航空写真で下流からさかのぼっていったのです。で見つけました。最寄り駅は北千住でした。
事件現場が判明したのです。!!

さて「ハクガン」を小1時間で切り上げ荒川の土手を超えて町家に降りうろうろ始めました。土手の下に小さな神社を見つけました。時間もあるのでお参りすることにしたのです。
そこで見つけたのが「かみすきの碑」です。そこでおもしろいものを発見しました。細かいことは覚えていませんので、正確を期すため当時報告したブログの記事を転載します。

かみすきの碑
【以下既報から】2015年11月16日
と、報告を終えたのですが、何気なく「紙すき碑」の情報を調べていましたら、なんと大発見。
この「紙すき碑」に、「几号水準点」が刻まれていたのです。
測量会社に勤務しておりましたし、その後ウオーキング途中で見つけた基準点や水準点をブログで報告いたしておりましたが、この「几号水準点」を知りませんでした。
「几号水準点」を調べてみて驚きです。
明治初めの関八州大測量を始めとし、明治8年から東京・塩釜間の水準測量が始まったそうです。英国人の指導で始まった水準測量は、イギリスで使用されていた「不」のマークに似た記号を鳥居や橋台、灯篭の基部などに刻まれたそうです。


さらに私が見つけた「紙すき碑」の台の記号(赤線で囲まれたところ)の「几号水準点」は長い間所在不明になっていた基準点だったそうです。
何故なら、荒川河川改修でこの神社が移設されていたからです。

なぜ「几号水準点」(きごうとよむそうです)と読むのか分かりません。他の件にも結構たくさんあるそうで、コツコツ探している方々がいらっしゃるそうですが、私が今更新しく始める趣味には、ちょっと無理です。

でも、古い社寺や碑などを見かけた時は注意してみようと思います。まだまだ忘れ去られた「几号水準点」を見つけられるチャンスはありそうですので。

碑の下部の問屋名の一部に、判読不明の記号には気が付いていたのです。まさかこのような史跡に後から誰かが、何かを刻むなんて思いもしませんでした。
この記事を書きだしてから1時間ぐらい、興奮しています。昔の同僚に話してみようかと思っています。

【本日の続き】
同僚に話したか記憶がありません。英国人指導の水準測量の記事が見つかりません。
コメント
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