作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

初詣

2020年01月03日 | 日記・紀行

2020年令和二年一月三日(金)翳


2020年令和二年、今年の初詣。大田神社へ行ったのちに、上賀茂神社へも行きました。混雑を避けて時間をずらして訪れました。大晦日や元旦の人々の雑踏や混雑を想像しながら境内を回りました。

大田神社には2017年の葵祭の日に訪れて以来。薫風に揺れる新緑とカキツバタの記憶が今も鮮明に残っているだけに、この神社の境内の冬枯れた佇まいを見て、その春の一日の記憶と眼前の現実の冬の境内とのギャップは言葉になりませんでした。同じ場所が季節によってこれほどまでに相貌を変えるとは。

日記用として立ち上げたこのブログも、もう今年で15年近くになります。ブログのありがたさで、昔に書いた記事へも瞬時にたち帰ることができ、その時の記憶もその強弱に応じて蘇ってきます。

せっかくにブログタイトルを「作雨作晴」としたのに、現実はあまりにも怠惰な日記ブログになってしまっています。今年は少しでも改善してゆきたいという気持ちだけはあるのですが。

いずれにしても、この堅苦しいこの上なきマイナーのブログ、あまりプライベートのことは書けませんが、世間の片隅に生きる「ほどなき身」の詮なき自己満足のつぶやきにすぎなくとも、日々感じたこと考えたことを今年はさらにつとめて記録してゆきたいものです。コメントもほとんどない本当に寂しいブログではありますが、それでも現在、日々のUUは200程度、PVは500ぐらいが平均のようですから、訪問者数の割にはページは読まれているようです。

十五年もブログを継続していると、その間に長く馴染みになったブログやサイトも様々な事情で消えてゆくようです。この拙なブログもいずれ同じ行く末を辿ることも理の必然ですが、行けるところまではゆきたいという気持ちもあります。

何はともあれ、明けましておめでとうございます。


 

今年の年賀状の画像には柿本人麻呂に登場していただきました。

昨年の秋に、京都国立博物館で行われた「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」 展に訪れたとき、そこで柿本人麻呂が歌聖と崇められていることを知りました。

歌仙にして歌聖の柿本人麻呂に少しでもあやかって、今年こそ何とか和歌でも作れるようになればと、少しの願いを込めて使わせていただきました。

年頭にあたって、もう少し述べさせていただくなら、ブログでの論考をこれまで継続していて、その途上に現在の憲法学の通説というか、もと東大名誉教授の故奥平康弘氏や樋口陽一氏らの国家観などの「偏り」に気づいて、それなりに批判もしていますが(「夕暮れのフクロウ」https://blog.goo.ne.jp/aowls)、現在の東大法学部の学生たちやその弟子筋の人、教え子たちからなんの反応もないのは、残念なことではあります。

しかし、所詮他人は他人です。私にできることは私なりにこれからも引き続き「真なるもの」を追求してゆくことだけだと思います。

 

 

 

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