1676/西行法師/しげき野をいくひと村にわけなして更に昔を忍びかへさむ #tanka #waka
— 新古今和歌集_bot (@shinkokinshu) 2016年8月7日 - 18:43
こういう運動の中での罪状などというものは、いくらでも湧いてくるものだ。一つが解決されるとまた一つ。次から次へと攻撃の種は尽きない。要は誰を標的に選んで自らの身を守るか、その一点に尽きる。……登下校の途中によくすれ違う、気の狂れた女性がいる。彼女は背が高く、
— Tukihosi (@soratine) 2016年8月7日 - 20:54
むくんだように太っている。黒い髪の毛は腰まで垂れ、おそらく何年も洗っていないであろう皮膚は、どこも黒光りだ。虚ろな目を宇宙に泳がせ、うっすらと笑いを浮かべながら
— Tukihosi (@soratine) 2016年8月7日 - 20:54
彼女はいつも同じ歌を歌いながら歩く。フーケユク、アーキノヨ、タービノ、ソーラノワービシキ、オーモイニ、ヒートリ、ナーヤムコーイシヤ、フールサト、ナツカシ、チチハハユーメジニ、タードルハ、サートノ、イーエジ彼女が歌う歌だ。(ibid.,s.347)
— Tukihosi (@soratine) 2016年8月7日 - 20:54
飛び魚の群れを見ながら海を渡り、舞鶴の港に着いてから60年の歳月が流れた。中国では「日本鬼子!」と罵られ、日本に帰国してからは「赤が帰ってきた」として苛められた。生き続けていくことの困難さを思い、「この世とは何か」を追い求めるうちに
— Tukihosi (@soratine) 2016年8月7日 - 21:08
「存在とは何かと」という哲学にぶつかり、その結果、理論物理学の世界に入り込むことになった。紙と鉛筆一本あれば方程式が解ける時代から、大型計算機を使ってコンピュータ・シュミレーションを行う時代に入った時のこと、
— Tukihosi (@soratine) 2016年8月7日 - 21:08
大学のキャンパスに中国人留学生が溢れるようになった。あれだけ忘れようとし、そして忘れたつもりだった「中国」が再び私の前に姿を現したのである。(遠藤 誉著『チャーズ 中国建国の残火』s.367)
— Tukihosi (@soratine) 2016年8月7日 - 21:08
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます