作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

山椒大夫

2017年08月27日 | 日記・紀行

 

山椒大夫

先週に丹後由良へ海水浴に行ったとき、浜辺の東北にある公園に森鷗外の文学碑が立っていた。そこに鷗外の作品『山椒大夫』の文章が刻まれていた。

『山椒大夫』については、はるか昔に⎯⎯多分まだ十代の頃だと思うけれど、読んだ記憶があるが、その小説の細部についてはもうほとんど忘れていた。アニメ映画にもなっていたらしいけれどもそれは見た記憶はない。

鷗外の文学碑には次の二節が刻まれていた。

「厨子王が登る山は由良が嶽の裾で、石浦からは少し南へ行って登るのである。柴を苅る所は、麓から遠くはない。」

「浜辺に往く姉の安寿は、川の岸を北へ行った。さて潮を汲む場所に降り立ったが、これも汐の汲みようを知らない。心で心を励まして、ようよう杓をおろすや否や、波が杓を取って行った。」

碑文を立ち読みしてから、厨子王の姉の安寿が汐汲みに出たらしい浜辺の岩場を眺めた。そこには海水浴客が泳いでいたり、釣り人が糸を垂れていたりしていて、その昔に安寿が汐を汲んだ往時の面影は感じられない。厨子王が柴刈りに登ったと語られている由良が岳の麓には今は国道178号線が走っている。安寿と厨子王の姉弟は、この由良の港に近い石浦に大きな屋敷を構えて住んでいた山椒大夫のところに、七貫文で奴として売られてきた。


小説の舞台は平安時代の末期というから、歌人の西行などが生きた時代と重なる。由良の浜の記憶がまだ鮮やかに残っている今日の日曜日に、森鷗外の『山椒大夫』読み返してみようと思った。短編でネットの青空文庫にあったのでタブレットで読んだ。

そして、小説を読んだ後、溝口健二監督作品で知られる映画『山椒大夫』もYOUTUBEに見つけたので、それも見た。
鷗外の原作が味わい深く印象が強かったので、映画の方は今ひとつの気がした。芸術作品としての完成度は鷗外の小説の方が上だ。特に、映画では厨子王と安寿は兄と妹として逆の設定になっており、それに厨子王はミスキャストだと思った。戦後思潮の露骨な脚本家の気持ちもわからない。それでも、進藤英太郎や田中絹代、香川京子などの一昔前の映画俳優に出会えたのうれしい。

由良の浜はきれいだった。穏やかな海に、わずかな時間だったけれど、少し沖合に出て青空を眺めながら浮かんでいた。


青空文庫
森鷗外 作『山椒大夫』https://goo.gl/Ueg6QE
Youtube
溝口健二監督作品『山椒大夫』https://goo.gl/kpwT2k

現代語訳『説経節』https://goo.gl/yBmDRt

第15回   山椒太夫 その1 厨子王丸は母、姉、乳母と都への旅に出るが...

 

                    

                       

 

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