作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

このもとに

2013年11月12日 | 西行考

 

このもとに

那智に籠もりて滝に入堂し侍りけるに、この上に一二の滝おはします。それへまゐるなりと申す常住の僧の侍りけるに、具してまゐりけり。花や咲きぬらんとたづねまほしかりける折節にて、たよりある心地して分けまゐりたり。二の滝のもとへまゐりつきたる。如意輪の滝となん申すと聞きて、拝みければ、まことに少しうち傾きたるやうに流れて下りて、尊く覚えけり。花山院※の御庵室の跡の侍りける前に、年旧りたりける桜の木の侍りけるを見て、「すみかとすれば」※と詠ませ給ひけんこと思ひ出でられて


木のもとに  すみけるあとを  見つるかな  那智の高嶺の  花を尋ねて


那智の御社に籠もって、滝に身を清めておりましたときに、お堂の上方に一の滝と二の滝がありました。そこへお参りするという那智山に常住のお坊さんがおられたので、連れだってお参りしました。花が咲いているだろうかと尋ねてみたかった折りでしたので、頼み甲斐のある気持ちがして、ともに草木を分け入ってお参りしました。二の滝のところまで辿り着きました。如意輪の滝と申されるのを聞きましたので、拝みましたが、如意輪観音様のお姿と同じように本当に少しうち傾げられているように流れ下っていましたので、尊く思われました。花山院のお住みになっていたお庵室の跡の前に、年旧りた桜の木の立っていますのを見て、「すみかとすれば」とお詠みになったことの思い出されて、


桜の木の下に  心清らかにお住みになっていた跡を 私は見つけました
 
             那智の滝のある高嶺へと 花を尋ねました折りに

 


花山院

http://contest.japias.jp/tqj1999/20106/seimei/ookan.htm

木(こ)のもとをすみかとすればおのづから花見る人となりぬべきかな(詞花276)


http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/kazan.html




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