作雨作晴


日々の記憶..... 哲学研究者、赤尾秀一の日記。

 

セキセイインコ

2007年06月11日 | 日記・紀行
セキセイインコ
 
もう遠い昔のことになってしまったけれど、懐かしい記憶として残っているは、二羽のセキセイインコのことである。その一羽は黄色の、というよりは全身山吹色といったほうが正確な、濃い美しい羽をもっていた。私がまだ小学生の頃に、父が会社から二羽のセキセイインコを持って帰ってくれた。どういう経路で、またどのような気持ちで父が小鳥を家に持ち帰って来ることになったのか、それは今もわからない。ただ、それまでにも、祭りの縁日で買って来た数羽のヒヨコを、兄弟で鶏になるくらいに育てたり、十姉妹などを飼ったりしていたから、父がそれを思い出して、会社の誰かに貰って来たのかも知れない。

父が持って帰って来たセキセイインコの一羽は、山吹に近い濃い黄色の、本当に美しい羽を持っていた。その鮮やかな色彩が今も目に浮かぶ。もう一羽は普通のセキセイインコだった。この二羽を自分たちは鳥かごに入れて飼っていたが、ある日、私が鳥かごを縁側に出して、餌をやろうと鳥籠のとば口を開けた途端に、一瞬のうちに、この山吹色のセキセイインコの方が、庭の方に向かって飛び去ってしまった。

その時の悔しい気持ちと、そのセキセイインコの美しい羽の記憶が、数十年を経た今でもはっきりと思い出される。それらのセキセイインコはつがいで父が貰って来たせいか、その後、同じ黄色のセキセイインコを父が再び貰ってきてくれた。それは、逃げたセキセイインコほど美しくはなかった。
 
それからしばらく経って、緑の羽のセキセイインコを、今度は二階の部屋で何かの折にまた鳥籠から逃がしてしまった。ちょうど締め切った部屋の中だったので、遠くに逃げ去る心配はなかったが、自分たちの手から逃れるために、部屋の中をそのインコはあちこち飛んで逃げ回って、なかなか容易に捕まえることができなかった。そうして捕り物に四苦八苦しているうちに、とうとうそのインコは違い棚の下の引き戸に激しくその嘴をぶっつけたかと思うと、ようやく落下して止まった。

それで、ようやく捕まえて手のひらに乗せて兄と見たが、小さな丸いまぶたは閉じられていた。たしか兄が嘴をいじって直そうとしていた。その体が温かかったかどうかは記憶にはない。ただその時、その小さな小鳥が、私の手のひらの上で、全身を反り返らせるようにして硬直していった。その時の手の感触が、なんとなく気の毒な思いといっしょに、今もはっきりと思い出せる。これが、生命の死というものについての私の最初の記憶だったと思う。死骸は庭に埋めた。
 
自分の手のひらの上で死んで行ったインコと、どこかに逃げ去った山吹色のインコのきれいな二羽の小鳥の悲しい記憶が今も残っている。それから中学生になって伝書鳩を飼うようになるまで、セキセイインコの後は何も飼わなかった。
 
 
※写真は大町市有線放送Blogさんよりお借りしました。差し支えあれば削除します。
 
http://ouh.blog61.fc2.com/blog-date-200610.html
 
 
コメント (3)
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