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Are Core Hire Hare ~アレコレヒレハレ~

自作のweb漫画、長編小説、音楽、随想、米ラジオ番組『Coast to Coast AM』の紹介など

011-説明して!

2012-09-24 21:32:39 | 伝承軌道上の恋の歌

 僕は電車の窓から流れる風景をただ眺めていた。僕はいきなり人も背景も見た目と質量が同じだけのまったく違う空間に連れてこられたようだ。スクランブル交差点を歩く人達はさっきと同じに笑ってる。同じ人じゃなくても笑い方は同じだ。当たり前に僕なんかどうでもいいって顔してる。僕にだけはあんなことが起こったっていうのに?
 アノンは行ってしまった。また一方的な謎ばかりを僕に押し付けて。マキーナと妹のヤエコの境遇が似てると、アノンはそう思って僕との関係を疑った。結局それは誤解だった。思い込みの激しい女の子が思いついたただのお伽話、つまり偶然。
 いや、偶然…のはずだった。今日聞いたマキーナの新曲『伝承軌道上の恋の歌』が生前のヤエコが歌っていたのを僕が知るまでは。駄目だ。頭が混乱して何も考えつかない。左手の五本の指から宇宙の真理を見つけることくらいあてもない出来事のつながりだ。
 いつしか僕は家路に向かう駅の階段を下りていた。そして、六畳一間のアパートのドアを開ければもう行き止まりだ。どこか遠回りでもしてとにかくとにかく落ち着かなくては…そう思っていると、いつもと変わりのないはずの駅前の光景に違和感を覚えた。ちょうど時計台を囲むようにして並んでるベンチの辺り。妙に目立つ格好で座ってる女の子がいる。遠目でもそれが何かが僕には分かった。今日アノンが着ていたあの格好と同じだ…マキーナだ。もしかして…


「…アノン?」
 そうだ。そうかも知れない。なんでこんな所に?それすら今日目の当たりにした奇妙さに比べればほんの些細なことだ。もしかしたら、あのデウ・エクス・マキーナの物語を考えたやつはあの事故のことを何か知って…僕は期待に胸を高鳴らせて階段を駆け降り、ロータリーを過ぎる自動車の間をかいくぐっていく。
『…アノン』変哲もない郊外の駅前で一人コスプレをして座っている女の子はだんだんと近づいて、マキーナの女の子は僕に気づいて立ち上がると、ゆっくりと僕に振り返って。そして僕の期待の方向は思わぬ方向にねじ曲がって、でも思いがけず進んでいった。
「説明して!」
 マキーナになっているアキラは僕の言いたいことを僕に向かって代弁した。
× × × × × × × × × × × × × × × × × × ×
「それって余程問題でしょ?」話を終えた僕にアキラが言う。
「ま、そういうことだ」
 僕は溜息を吐く。
「それでどうする気?」
 アキラはいつでも現実的だ。いつでも次の対応を考えてくれる。
「どうするって言ってわれてもな。あの歌自体が実は有名な曲でヤエコもマキーナとかいうやつのも元ネタが同じだけかもしれない。頭を冷やして考えればその可能性が一番高いだろうな。ただ…」
「ただ?」
「ただ、これが万が一でも偶然とか当たり前の結果じゃない何かを持っていたら?そう思ってる。現にアノンという女の子はヤエコの歌のことも知らないのにヤエコとマキーナのことを関係があると思っていたんだ。犯人につながる手がかりになる可能性が1%でもあるんなら、正直それに賭けたい気持ちはある。とにかく知りたいんだ。デウ・エクス・マキーナとか言うやつのことを」
「なら行くしかないでしょ?」
 アキラが不敵に笑った。
「どこに?」
「スフィア、デウ・エクス・マキーナに決まってるでしょ?!」
「…いつ?」
「今」
「お前それで…その格好して」
「…うん」
 アキラは少し恥ずかしそうに肩をすぼめた。
 × × × × × × × × × × × × × × × × × × ×
 僕の目の前にはアノンと同じ格好の、しかし大分縦に伸びたマキーナが窓の外を眺めて立っている。その横にはダッフル・コート姿のごく普通の見た目の男。そんな僕達は向い合って電車のドアに寄りかかっていた。
「…ん、どうしたの?」
 僕の視線に気づいたアキラが振り向く。
「今ここで間違い探ししたら百人が百人ともお前を指さすだろうな」
 僕はアキラの全身をまじまじと眺めていった。
「裏切ったのは世界、それとも自分?実に悩ましい問題だね。ま、ボクの場合、普段からコスプレみたいなもんだからさ」
「それもそうか…」
「もう、否定してよね」とアキラはむくれる。
 僕はすっかり暗くなった窓の外を僕は自分の姿を透かして眺めていた。
「…でも、三年忌迎えるこの時期にこんなことが起こるなんてね。こんなことがなければもっと静かに迎えられたのに」とアキラがつぶやく。
「まあな」
 でも、この偶然が今この時起こったことに意味があるのかもしれないと思う。
「この時期はボクも色々思い出すよ」
 強い風が正面から吹いてアキラは身を縮こませる。
「お前と研究所で会って三年目ってことだな」
「そうだよ。ボクにとってはその意味もあるんだよ。だからね、ボクも複雑な気持ち」
 僕達が出会ったのは『研究所』。僕達はその最後の患者だった。
「あーあ、ウケイ先生何してるかな」そう言ってアキラが窓の外の狭い空を見上げる。
「…さあな」
 それはヤエコの主治医でもあったウケイ先生が姿を消して過ぎた空白の間でもあった。

…つづく

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010-新曲発表

2012-09-23 21:03:00 | 伝承軌道上の恋の歌

 そして、その日が来た。アノンとの約束の日。アノンが僕の周知活動を手伝う日。それはあれから一週間後の週末。いつもの場所に立つ僕はショーウィンドウに張り付いてガラスの後ろのマネキンと一緒になって、人の波の向こうに霞むスクランブル交差点を眺めていた。こんな時に周知活動なんてできる訳がないのは分かってた。何を思ってアノンはこんな時を選んだんだろう。
「…はあ」と僕は思わず溜息をついた。
 そのくらいすごい人の波だったから。世界の危機がここに迫ってる訳じゃないし、年に一度の巡礼の日に集う異教徒でなければありえない量の人がごった返してる。
 しかし、今日はちょっと雰囲気がおかしい。普通じゃないのが普通のここの週末でも、視界をかすめる何かがそう感じさせる。人が多いのはいつものことだとしても…そういえば側道にコンテナをステージに作り替えた大きなトレーラーが停まっていてそのすぐわきの広場には妙な人種が集まっているのが見えた。色とりどりに癖のついた髪に鮮やかな衣装…その風貌が一定の方向におかしくて、どうも引っかかる。そうだ、あれは…
「…あそこにアノンはいないよ?」
 耳の側で急に声がした。
「わっ」
 思わず声の方を見ると、マキーナ…いや、マキーナに扮したアノンがいた。
「ごめん、驚いた?」
 アノンはきょとんとしてる。近未来風のエナメル生地の白と青の派手な衣装に、頬に書きこまれた回路のようなメイク、ピンク色の髪。
「お前なんて格好で…それじゃ周知活動はできないだろ?」
 周りを見渡すと、行き交う人達の視線が僕達に集まっているのがよく分かる。それも含めてアノンにとっては普通か。
「そう?目を惹いてちょうどいいじゃん?あんまり見つかりたくないのもいるけどさ」
「じゃあ、あそこで慌ててるのは…」
 僕はさっきの集団のいる方を指さした。
「そう。スフィアのみんな。あはは、よく気づかないね」
 無理もない。僕達までの間に何重にも人の波がある。
「お前、このためにこの日を選んだな…」と恨めしげにアノンを見ても
「待ちに待ったマキーナとスフィアのコラボなんだ。ホント夢みたい…」と彼女は一人でうっとりしてる。
「…あのな…そもそも…」
「待って、そろそろ始まる」
 アノンはビルにかかった巨大液晶スクリーンを見上げた。ちょうど前と同じようにその映像を大きな瞳に映りこませるように少し見開きながら。彼女がそうするからシルシもつられるように視線を追って見上げる。
 ホワイトアウトした画面にSEと同時に浮かび上がってきた文字は『第5類2科統合情報解決型アイドロイド:デウ・エクス・マキーナMS-02』
 そしてそこに映し出された光景だ。SF映画で見たことあるような一面の白い壁に囲まれたやたらと広い実験室の真ん中に楕円形のカプセルが置いてある。白いカプセルは上半分が流線型にかたどった透明なガラスでできているが、光が反射して中が見えない。スクエア波長の分散コードが変化していくイントロが流れる中、カメラが俯瞰からズームしていくと、白く反射するガラスの隙間から、一瞬、まだあどけなさが残る少女の寝顔が見える。そして、ゆっくりとカプセルの『蓋』が開くと、画面はスライドしていく。滑らかなつま先、足、指先、手、腕、そしてピンク色の髪を先から辿ると、それはマキーナの顔だった。長いまつげが一瞬動くと大きな深い緑色の瞳がそこから覗いた。滑らかなコンピュータ・グラフィックは生々しさを感じさせない。ゆっくりと起き上がると腕や背中、頭に接続された無数のコードが何か生き物の触手のように彼女にまとわりながら伸びた。-----それから電子音の波長が合成した歌声が流れる。それは不思議な手触りがあった。記憶までは辿り着かない、既視感と結びついた不確かな感触だけがまとわりつく。



 病室。白いベッドに横たわる少女。この子は、ヤエコだ。妹のヤエコ。窓からの日の光が光の矢になって照らす。ヤエコは窓の外を見ている。それはひどく抽象的な空間で、ヤエコ以外は全体が白くにじんでうまく像を結ばない。
 それは事故が起こるより前の彼女の姿だ。水玉模様のパジャマ姿。袖の先に見える素肌。その手の甲からは幾つかの管や線が伸びている。痛々しさは感じない。それが彼女の命をつなぎとめてくれているのを知っていたから。そんな姿でも長い髪はちゃんと結わえてある。彼女の唯一の楽しみだったから、いつも僕は乞われるままにそうしてやっていた。ヤエコは決まってあの歌を歌っていた。『ヤエコの歌』を。
 その旋律を支点にしてまた目の前の現実に場面が反転する。なんてことだ。ヤエコの歌が今流れている。古代神殿のように交差点を見下ろすビルの巨大スクリーンから。僕はまるでその場で金縛りにあったまま立ち尽くす。あのスクリーンで女の子が歌う歌が自分の知っている曲だとして、その曲より他のどんな曲が流れてたとしても僕は驚かない。でも、それがヤエコの歌だった時には…僕は呆然としてただスクリーンを見つめていた。
 その人工の電子アイドルは透明なカプセルに半身を起き上がらせたまま静かに目を開いた。大きな瞳いっぱいに光の情報が導線を伝うように走る。


「…これは…」
 僕は半分自分を失っていた。
「マキーナの物語。マキーナはアンドロイド。マキーナには元型がいた。それは彼女を作った人の妹。彼は亡き家族の面影を人の形をした機械に求めた」
 アノンの声はまるで海の底から聞いてるみたいにくぐもって聞こえた。
一方、スクリーンでは病衣姿の女の子が映る。その姿は包帯にぐるぐる巻きになって、片目と口だけが覗いていた。それでもアンドロイドの少女、マキーナによく似てるのが伝わる。彼女がつないだ右手の先に同じように立ってこっちを見るマキーナがいた。
「それは交通事故だったの」
 アノンは見上げた視線をゆっくりと僕に向けた。僕を見つめるのは心を奪われたような彼女の瞳だった。
「このスフィアのオリジネイターを私は知りたいと思ってる。オリジネイターと噂される人もいる。名前はイナギ。でも私は違うと感じてる。ただ、そう感じるの。オリジナルのレイヤーはもっと深くにある。それを私は知りたい…だから教えて。事故のことって本当?マキーナはヤエコさんを端末化…投影したもの。違う?」
 僕はただ黙っていた。その間アノンは視線を外さない。
「違う。違うさ…」
---真相は君が思ってるのとはまるで違う。ただ、僕にとってはそれがもっと問題なんだ。これがただの偶然ではないのだとしたら。僕はそう心の中で言った。

…つづき

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009-ヤエコの歌

2012-09-22 21:27:29 | 伝承軌道上の恋の歌

 『聞こえてますか?シルシです』今日も何の反応もない。机の上に置いてあるデジタル時計は0時丁度を表示している。そろそろ寝よう。僕はインカムを外してPCの電源を切るとベッドに寝転ぶ。小さな音楽プレーヤーのイヤフォンを耳につけて、部屋の電気を消して目を閉じた。
 -雑音の混じった人の声が遠くで聞こえてくる。時おり、マイクの近くで何かがこすれる大きな音がする。そのうち女の子の澄んだ歌声が聞こえてくる。それはまた何回か物音に邪魔されながら、はっきりと近くに聞こえてくる。
 それはヤエコの声だ。喉元で震えるような綺麗で少し幼い声。歌詞は適当らしくて,異国の言葉の風にでたらめな発音をしているようだった。ヤエコの歌。僕はこの歌をそう呼んでる。それから突然、大きな音が鳴ったと思うとヤエコの声が
『お兄ちゃん、いつからそこにいらしたの』と部屋に響いた。
『今来たところだって』と僕が言ってる。
『いや、本当だよ、ヤエコ。君がオリジナル・ソングを歌っていたなんて全然分からなかったのだ』
 その中年男性の声は『研究所』でのヤエコの主治医だったウケイ先生だ。病弱なヤエコは事故で死ぬ前の数年間を『研究所』で過ごした。幼い頃から病院生活が長く、日頃から年上の人ばかりと接してきたヤエコは敬語で話す癖がついていた。
『それもしかして録音してらしたんですか?』ヤエコの声。
 どういう動機のいたずらだったのかは今となってはもう思い出せない。
『別にしてないよ』僕がごまかそうとしていると
『いや、仮にもアイドルを目指すものとしてはこういうのを恥ずかしがってはいかん』とウケイ先生が真面目ぶっていった。
 多分、こういう反応がヤエコを余計に刺激してしまったようだった。『でも、そういうの卑怯だと思います…自分の声って聞くとすごく変に感じるでしょう?この前聞いてちょっと落ち込んだんですから。だから、恥ずかしいから消してください』
『いい歌だったよ』
『そうだ。初々しさが実に良かったぞ。乙女の秘した切ない恋心を感じた』とそれに応じるウケイ先生。
『ちょっと何をおっしゃるんですか?かくなる上は…』ヤエコがそういうと急に雑音が大きくなった。
『こら、やめろ。壊れるから乱暴するなよ。借り物だから』
『内緒で撮るのが悪いんです』
『落ち着くんだ、ヤエコ。身体に毒だ。これは主治医としての忠告だ。我々は観察環境に影響されないヤエコを記録してみたかっただけなのだ。それにな、被験者に実験内容を悟られないダブル・ブラインド方式は行動心理学の研究において必須だ』
『何言ってるんです、このばーか』
『ヤエコ、なんて口の聞き方だ』僕がヤエコをたしなめている。
『考えてもみるんだ、ヤエコ。例えば、コップの中に入ったお湯の正確な温度を計ろうとしても、温度計を入れた時点で、温度計自体の温度が影響してしまう。これは量子力学を生み出した重要な概念であり、光の波と粒子という二つの性質を同時に観測することもまた不可能だ。また、文化人類学におけるアマゾンの熱帯雨林に住む手付かずの文明を持った原住民族との接触においてもまた同様の矛盾が生じてしま…』
『えいっ』
『こら、やめ…ッ』
 僕が叫んだところで音声が終わっていた。でも、どうにかこの音声ファイルは生き残っている。今では貴重なヤエコの遺品の一つだ。

…つづき

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008-ヤエコの面影

2012-09-21 22:32:18 | 伝承軌道上の恋の歌

 夜間の学校の誰もいないテラス風のロビーで僕達は二人向い合って座っていた。丸くて白いテーブル越しのアキラは僕の向かい側で難しい顔をして薄いフリーペーパーを眺めてる。ページをめくる微かな物音ばかりがやけに響いて、暗い隅で蠢いてから僕に反射する。アキラの視線の先に映ってる何かを僕は知っていた。
「シルシくんもよくやるね…」
 アキラはあきれた様子で雑誌の上から二つの目だけを覗かせた。
「その女の子がマキーナっていうアイドロイドだって。アンドロイドじゃなくてアイドロイド。面白いよな。色々ひっくるめてスフィアっていうんだけど。そのスフィアの名前が…そうそう、デウ・エクス・マキーナとかって」
「…知ってる。前言ったじゃん」
「神宮橋に色んなの集まってて、すごかったぞ。博士の格好をしたやつとか髪が真っ青な男のアンドロイドのコスプレしたやつとか…あの辺りですごく流行ってる」
「…あっ、そう」
 アキラはまま席を立って、テーブルにおいてたショルダーバッグを取ると、足音を高く立てて外に出た。そこはビルばかりが見下ろす夜の都会で、行き交う車のライトが頭の中までチカチカとまたたいた。アキラの背中を黙ってついていくと、アキラは途中で急に立ち止まって、踵を返した。
「…なんだよ?」
 僕がたじろぐと、アキラはさっきの雑誌を開いて僕につきつけた。
「って、なんでこんなことになってるの?」
 アキラの視線の先にはクマの着ぐるみに身を寄せながらこっちに向かってアッカンベーをするアノンが写っていた。そうだ。それは一週間前この身に起こった出来事だ。ネオンのせいでややサイケデリックに見えるが間違いない。
「…さあな」
「大体いつも君は…」とアキラの小言は僕の耳には入らない。
と、その僕達の横を通りすぎる女の子の二人組が僕の目に止まる。一人の後姿に僕は胸騒ぎを感じて思わず早足に追いかけた。
「ちょっと僕の話聞いてるの…ねえちょっと待って…」
アキラの声が行き交う車の騒音に混じって肩越しに聞こえる。談笑する彼女たちの横から気づかれないように二人の顔を覗く。そして、僕は少しの落胆と一緒に歩調を緩めた。
「…その癖、直さなきゃね」
 結果、それがアキラの小言をもっと増やすことになる。
「ちょっとヤエコと雰囲気が似ててさ。もしかしたらって」
「もしかしないよ」
「今でも時々思うんだ。ヤエコが生きてたらって…」
「ヤエコちゃんは死んだんだよ。それは受け入れなきゃダメ」
「でも、僕はヤエコの死体を見ていないんだから、信じられないんだ」
「…でも」そう言いかけてアキラはやめた。
 聞きたいことも言いたいこともあったと思う。車のヘッドライトがまぶしい夜の街の通りで赤信号が灯る。しばらく僕らは歩いた。
 何となく手持ち無沙汰な僕は鼻歌混じりにメロディを奏でる。
「何その歌?」アキラが聞く。
「いい歌だろ。ヤエコの歌なんだ」
「初めて聴いた」
「最近、思い出したんだよ」と僕は言った。

…つづく

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007-ゆらぎ

2012-09-20 21:29:43 | 伝承軌道上の恋の歌

 僕は人気のない公園の木陰に埋もれて座っている。傍らに佇んでいるウサギの被り物と一緒に同じ方を向いて、砂場で遊ぶ親子を眺めていた。十二時ちょうどの低い位置に昇る真冬の太陽がやけに眩しくて周りがぼやけて見える。
 と、その光を遮るように人影が僕の目の前に立った。逆光でよく見えない。大きな帽子を目深に被って、口元がわずかに笑って見える。
「ねえ、みんな空を飛びたいと思ったらどうすると思う?」
 突然のことに僕は黙る。
「簡単だよ。眼を閉じるんだ…でもね。私はこうすると空を飛べるの」
 そう言うと彼女はコートの前をストリーキングみたいにばさっと開けた。今、僕の目の前にはさっき見たマキーナの衣装が覗いてる。
「…で、それが…?」
 僕の言葉に、アノンは前屈みに肘をついて溜息を漏らす。
「…やっぱ違うの?」
「何が?」
「…デウ・エクス・マキーナのこと、本当に知らないんだ?」
 アノンは拗ねたように言うとウサギの頭を抱いて僕の隣にどしっと腰を下ろした。
「ああ。だから話してもらおう。その…アノン」
「意味はunknownとanonymousのanonどちらでも。好きな綴りの方で」
「アノン…僕が知りたいのはさっき言った通りだ。なんで初めて会った時あんなことを言ったんだ?」
 そう僕が核心に触れようとする。が。
「…ねえ、ほら、私のマキーナ見てどうだった?」
 アノンはまるで話を聞いてない。
「それはこっちの質問に答えてからだ」
 彼女のペースに乗せられまい。
「ねえ、感度鈍いよ、シルシ?マキーナってすっごく人気なんだから。理由はそれが人の共有する意識に触れてるから。情報の海に生まれたゆらぎがだんだんと自転していくの。多分、みんな予感はしてたのに、形にできた人がいなかった」
「ごめん、何を言ってるのかさっぱり…」
 それでもアノンは構わず続ける。
「でもそれができた人がいた。誰かは誰も知らない。デザイナーと噂される人はいた。つまり、スフィア、デウ・エクス・マキーナを作った人ね。でも私は違うと知ってた。それでオリジナルのデザイナーを探していたの」
 なるほど、なぜそんなに知りたかったのかは分からないが、僕のことをその『デザイナー』だと思ったってことなんだろうか?
「残念ながら、僕は何の関わりもない」
「…うん。それはよく分かった。あーあ、本当にがっかりだよ」
 そう言ってアノンがウサギのもふもふの頭に顔を埋めたのに、僕は心が緩んだらしい。
「調べればすぐ分かるものじゃないのか、ネットとかで…?」
「そのネットが問題。情報の海っていったでしょ?スフィアって色んな人がお話を作るの。それが層(レイヤー)を作って厚くなっていく。で、色んな人がネットを通じて自分で端末化した情報をアップロードするから、オリジナルが分からないことが多いの」
「じゃあ、そのオリジナルを作ったって言われてた人は何だったんだよ?」
「みんなが勝手にそう思ってただけ。みんなそのデザイナーが私をマキーナの投影したんだって言ってる。でも私は違うと思ってる。だって、私はただの女の子で何もない。それがたまらなく嫌なの。マキーナとしてみんなにもっと見られたい。だから、少しでもマキーナの元型にオリジナルに近いレイヤーまで降りてそれを自分に投影させたかった。オリジナルのデザイナーと私でマキーナの神話を作りたいって」
「最初のデザイナーを探して僕に行き着いた。その…スフィアとかいうのと僕と家族に起きた事件がモデルになってるってことか?」
 そういいながら、スフィアは実在の人物なんかを設定にしているなんてアキラが言ってたのを思い出して僕は一人納得した。
「うん。そういうこと」
 アノンが『嘘なの?』と聞いた意味も今なら分かる。年頃の女の子の激しい思い込みがその速度と質量のまま、偶然に僕を的にしただけのことだ。それ以上のことは何もない。
「とにかく。僕は関係ないんだ。もう二年近くあそこで周知活動…いや、ビラ配りしてるんだ。それを参考にしたとかはもしかしたらあるかも知れない。でも、とにかく僕は関係ないんだ。だから勝手な思い込みで巻き込まれるのは迷惑だ。言いたいはそれだけだ」 そう言って僕は立ち上がった。
「待って…まだ全部終わってないよ」
 アノンは僕に被り物を託すと、ゆっくりと前を通り過ぎる。そしてちょうど僕達の座っていたベンチの裏手にある緑色の柵に手をかけた。


「この跡…これは何だと思う?」
 見ろ、ということだろう。僕は促されるまま緑色をしたペンキが剥がれかけている鉄の柵に近づいた。アノンの白い指先には塗料を削り取るようにしてできたくさび形の記号のようなものが見て取れた。
「…これが最初の『ゆらぎ』」アノンがつぶやく。
その十数個の印はかろうじて規則性があるようで、どこかの文字なのかもしれないが、僕の知識をあさっても同じ物どころか似たものさえ思いつかない。
「記号、いやどこかの文字か何かか?」
「分からない。でもこれをここに彫ったのが本当のマキーナだって、ヨミが言ってて…私が触れられたソースはこれだけ」
「ヨミって?」
 しかしアノンは何も答えない。
「それならなおさら僕は蚊帳の外じゃないか。どうして僕のことを疑ったんだよ?」
 これを見せてどんな答えを期待していたんだろう?
「…わたし、もう行かなきゃ」アノンは言った。
「おい…」
 僕が引き止めようとすると
「あっそうだ。今度シルシの『周知活動』参加させて?日にちはねえ、今度の日曜。人もたくさん集まってるしいいでしょ?」とアノンはさっきと打って変わって明るく言う。
「無許可でやってるんだ。そんな日にやったら捕まっちゃうよ」
「とにかくその日。よろしくね」
 結局彼女との更新は成功とは言い難かった。

…つづき

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006-思えばどうかしてた

2012-09-19 21:42:12 | 伝承軌道上の恋の歌

 そして今日。神宮橋。ヨーロッパの市場に並べられた野菜みたいに色んな人間がひしめいてる。同じ顔や違う顔。誰とも違っていたいという意味で同じな人形みたいに。それがいつからか見物に来る人や芸能事務所のスカウト見に来るようになって、モデルとかアイドルとかそういうのに憧れた若者たちが集まって見本市になってるらしい。間近にいながらまるで遠くのことのように感じるのは、僕がうさぎの着ぐるみのわずかな隙間からその光景を覗いているからだろう。今日も僕はいつもの『周知活動』と同じように新しくオープンした服屋を告げるビラを配ってる。
『ここがテーマ・パークになるだよね?』『そんな話しあったっけ?』
 そんな何気ない会話がこもった声で喧騒に混じって聞こえてくる。別に聞き耳を立てていた訳でもなかったけど、気になる単語が僕を惹きつけた。
『ほら、あれ…デウ・エクス・マキーナだよ…言ってみようぜ』『お前、あのスフィアのアソシエイトだったのかよ?』『いや、ただのユーザーだよ』『ほら、あれ。スカウトも来てる。目をつけられてるんだよ。これから大きくなるかも』
 彼らの視線の先には十人くらいの一群がいた。雑誌で見た『デウ・エクス・マキーナ』の格好をした女の子達がいる。あの朝アキラと見たポスターのCGが歩いていたら多分こんなだろう。髪もピンク色で、ブーツとビニール生地のワンピースまでまるで同じだ。しばらく眺めていると、熱心な取り巻きからカメラを向けられていたりと、まるでアイドルみたいな扱いだった。
 と、そこで僕は一人の女の子を見つけた。間違いない。あの時の女の子だ。『これって嘘なんですか?』あの周知活動で謎の言葉を僕に残したまま消えていった彼女。
「ほら、アノン、あれ見てご覧」
 彼女の仲間の一人らしき女の子が僕に気づいて指さした。彼女も似たようなコスチュームに身を包んで奇抜なメイクをしていた。


「あ、ウサギさんだ」
 僕を見つけた『彼女』がマキーナの格好で近づいてくる。間違いないあの時の女の子だ。アノン…そう呼ばれているらしい。
『こんにちは、アノンちゃん』
「ウサギさん、お仕事ご苦労様」そう言ってアノンは抱きついてきた。
 あの日の朝の時とは打って変わって明るい。中身も『マキーナ』になったんだろうか?
『今日もビラ配りなんだ。アノンちゃんはビラは好きかい?』
 ならば僕はかわいいウサギさんでしかありえない。
「え、っと…」 
『好きかい?』
「う、うん、好きだよ」
『世の中には色んなビラがあるよね。でもみんな何か伝えたくて配ってるんだ。一枚一枚に手渡す人の気持がこもってる。でもね、それを嘘と言われたらどう思うかい?』
「えっ…」
『家族の死んだのを作り話だと言われたら、その人はどう思うだろう、アノンちゃん?』
「あ、あ…」
 さっきまでの屈託のない『マキーナ』のアノンはもうどこかに行ってしまったようだ。ここまでくれば僕のものだ。どう料理してやろうか…
 と、不意にカメラマンの一人の
「肩組んでーアノンちゃん!」と叫ぶ声がくぐもった僕の耳に届く。
『…騒ぐな。笑うんだ』
 僕はアノンの肩に手をかけて、彼女にだけ聞こえる声で伝えた。きっとアノンはひきつった笑顔で笑いかけていたことだろう。
『さあ、訳を言うんだ。なぜあんなことを言ったのか…』
「それは…」
『教えるんだ…もしかしてあの事故を起こしたやつから何か…』そう言いかけたところでアノンは僕の背中に両手を絡ませた。
「シルシ、私、ずっと見てたんだよ?」
『…?』
「それでシルシのあの反応で全てを理解したんだ。ああ、私の探していた人だって…」
『君は一体何を言ってるんだ』
「大丈夫。まだ知ってるの私だけだから。シルシが隠したいならそうする」
『だから何を…』次の言葉が見つからないまま、うろたえていると、
「ネットマガジン『ベント』です。アノンちゃん、こっち!」
 照明までたいた大掛かりなカメラマンが、僕達の前に現れた。するとアノンは僕に抱きついたまま、カメラに向かってアッカンベーをした。

…つづき

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005-聞こえてますか?

2012-09-18 22:36:31 | 伝承軌道上の恋の歌

『聞こえてますか?このラジオは突然の事故や病気で家族を失った人との交流を通して残された遺族のあり方を考えようという趣旨の元、毎週木曜日は僕、シルシがお送りしています。20○○年、2月11日23時23分、T町2丁目の××交差点で僕と父と妹の三人は、右前方より走行して来た信号無視の車と交錯し事故に遭いました。現在も加害者は見つかっていません。どうか手がかりをください。お願いします』
 適当に気に入った音楽のプレイリストを開く。もうほとんど音楽配信だ。アプリケーションの表示を見ると視聴者数は一桁。チャットの呼び出し音に少しだけ気をかけつつ、僕は溜息を吐いて立ち上がると、勢いよく背中から落ちて安物のベッドをきしませた。それから天井の模様の意味を聖書のアナグラムを解読する徒労の信者のように見つめた。
 視線を移す。カレンダーには今月の第二金曜日の日付を見た。もうすぐだ。もうすぐでまたあの日がくる。もうあれから三年が過ぎようとしている。短いとか長いとかじゃない。あの日に置き去りにされた僕にとってただ時間がそこにあるだけだ。
 三年前に僕は事故で父親と妹をなくした。母も早くになくした僕は身寄りをなくした。妹の名前はヤエコ。彼女が入院していた施設はちょっと変わっていた。そこが父が所長を勤める『研究所』だったから。その日の夜、ヤエコは久々の外泊が許された。それで当直を切り上げた父と、二人を迎えに行った僕とで研究所から自宅に帰ろうとしていた。
 ヤエコを後部座席にそして僕を助手席に乗せて車は出発する。そしてあのスクランブル交差点に差し掛かったところで事件があった。車を運転していた父親が急にハンドルを切ったかと思うと、瞬間シャッターの閉まったデパートの正面玄関に突っ込んだ。
 そこからの意識はない。けど、その直前に僕は見た。対向車線を越えて黒塗りの高級外車が突っ込んでくるのを。意識を取り戻した僕はそう証言した。警察が探してくれたに違いないが、人の流れの心臓みたいな場所で不思議と目撃者は見つからなかった。
 僕は今もその車を探している。そのために『周知活動』と称してビラを配っている。
 僕が一人助かったのは偶然だった。それは僕だけ車外に放り出されていたからだ。衝撃で前後の記憶の定かでない僕が知る由もないが、中に残されていればその後にもれ出たガソリンが引火した車の中で焼け死んでいただろう。
 半年に及ぶリハビリの後、アキラが趣味で通っている音楽系の専門学校に誘われて通いはじめたのが二年ほど前からのこと。僕がビラを配り始めたのもそのすぐ後だ。
 この前の朝の映像が頭にちらつく。そこで出会った女の子、アノン、デウ・エクス・マキーナ…そして明日もビラ配りだ。とはいっても『周知活動』じゃなくてアキラが紹介したバイトの方だ。これはこれで頑張らなきゃな。分かってる。もっと元気よく多少強引に。愛想良く…そうすればみんな見てくれる。そんなことをぼんやり考えてると、どこか遠くの方で線路の遮断機が鳴るのが聞こえて、次にヘリコプターの飛ぶ音がした。目を閉じて耳を澄ましているうちに意識は遠のいていった。
 その夜、僕は事故の目撃情報を求めるビラが空から大量に降ってくる夢を見た。不思議なのは空からばら撒いているのは自分じゃなくて、僕は人の群がるさなかにいる。まるでお金でも降ってきたみたいにビラを取ろうと群がる待ちの色々な人々を見て、僕は夢の中で満足げに笑った。

…つづき


004‐スフィア

2012-09-17 21:44:45 | 伝承軌道上の恋の歌

 アノンは六〇階のビルの屋上で風に打たれて夜景を見下ろしていた。ふと後ろに人が立っているのに気づいて
「モノ君…?」とつぶやいた。
「アノン…みんな探してたぜ?」
 彼女がモノと呼ぶ男はアンバランスに長い右の前髪が風になびくのを手で抑えてる。
「第二東京タワー…見たかったんだ」
「今日からやっと復旧作業だっけ?」
 二人並んだ視線の遥か先には、並み居る高層ビルに抜け出て高い青白い光の帯が、首を傾げるようにひしゃげて伸びていた。
「ねえ、第二東京タワーから飛び降りる人っているのかな?」
 吹きすさぶ冬の風の合間から透き通ったアノンの声がする。
「…さすがに怖いんじゃない?」
「死にたいのに?それっておかしいね」
「だって苦しいのは短い方がいいに決まってる。苦しいのから逃れたいんだから」
「嘘。私はずっと落ちてたい。ずっとずっとずーっと。あそこは世界で一番そうしていられる場所なんだ」
「…面白いね、アノンは」
 モノは振り返るとフェンスを背に持たせてコートのポケットに両手を突っ込むと
「…で、誰だったんだよ?」と言った。
「何が?」
「だからオリジネイター」
「まだ秘密。でも今日話もしてきたよ。私がマキーナの話したらびっくりしてた。あれは図星って顔だったね」
「…それって突拍子もないこと言われて驚いてただけなんじゃない?」
「あれは違うよ。そういう反応じゃなかったから…」
「ふうん。それよりさ、来週の日曜、神宮橋に来るだろ?」
「うん、行くよ。もっとマキーナを見て欲しいんだ…きっと信仰でも恋愛でも同じ。まるで自分じゃなくなってる時の感覚が素敵なんだ。もっと大きなものになってるってこと」
「それでさ、いい話持ってきてくれてる人がいるんだ。何度か前から足運んでる人なんだけど、大手の広告代理店の子会社で最近ネット中心のイベンターやってるんだって…」
「…なんか怪しくない?」そう言ってアノンは首をすくめた。
「アノンさ、前から人探してるって言ってただろ?それならもっと露出増やさなきゃ。そうしたら、その人にだって見てもらえるかもしれないだろ?」
「でも…」
「とにかく来るから会って話だけ聞いてみたら?俺達のデウ・エクス・マキーナが広がるチャンスでもあるし」
「モノが言うんなら…分かった。えい!」
 そう言うとアノンは手に持っていた一枚の紙を目一杯に上に放り投げた。上空に舞う強い風に吹かれて柵を越えた一枚の白い紙は夜の街の灯に照らされながらひらひらと飛んでいって、やがて闇の向こうに消えてなくなった。
「何それ?」
「…周知活動」
「また誰かの真似?」
「うん…でも私のやり方は違うのよね」 

…つづく

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003-アキラ(後)

2012-09-16 23:17:45 | 伝承軌道上の恋の歌

× × × × × × × × × × × × × × × × × × ×


「シルシ君、昨日、学校来なかったね?」
 余った大量のビラを肩からかけたバッグに押し込んでいた僕にアキラが言った。
「ああ、学校が来なかったからな」
「…もう。今日は行くからね」
 僕達が並んで歩き出すと、アキラは僕の右腕に両腕を絡ませてきた。、もう僕にとっては何の感情も呼び起こさないけど。
「お詫びに今日はいい話持ってきたんだ」
「俺にとって、お前にとって?」
「驚くべきことにそれは両立するんだ。僕達の手と手が結ばれていれば。はい、これ」
 僕は目の前に差し出された、フリーペーパーの赤く囲まれた欄を見た。
「着ぐるみのバイト?」
「そうだよ。これで活動費稼ぐの。頑張れば懸賞金だって出せちゃうよ」
「こっちでもビラ配りか」僕はアキラに当てつける。
「いい、シルシくん?新しいことばっかりが素敵なんじゃないの。慣れていくことで増す愛着ってあるでしょ…」
 黙って歩き出した僕は、通り沿いの開くことのない店のシャッターの前で足を止めた。
「…これって…」
「シルシ君、どうしたの…?」振り返ってアキラが聞く。
 僕らの目の前に一面に貼られたポスター達。まるで現代アートみたいにヘッドフォンをつけたCGの女の子がびっしりと隙間なく並んでいる。でかでかと目を惹く文字で銘打つのは『デウ・エクス・マキーナ』。
「…何?これ、気になる?」アキラが聞く。
ぱっと見る限りよくあるイベントか何かの宣伝らしいが、普段なら気にもとめないだろう。大きな青い瞳、その片方の頬には回路図を思わせる模様が涙のように描かれている。僕の足をとめたのは髪だ。サイドを小さく結んだピンク色の髪。あの子と同じだ。一瞬、さっきの女の子の姿が二重に映してCGと重なる。『スフィア』。あの時彼女が口にしていた言葉が僕の頭の中に浮かんだ。 
「…その…アキラ、スフィアって聞いたことある?」
「知ってるも何もこれって『スフィア』のイベントの告知だよ?それがどうかした?」
「いや、さっき会った女の子がさ…」と僕はただそう言った。

…つづき

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003-アキラ(前)

2012-09-15 21:50:50 | 伝承軌道上の恋の歌

 こんなに大勢の前で許可も取らないでゲリラでやってる周知活動だ、変なやつに絡まれるのも今回が初めてって訳じゃない。けど、彼女の言葉は意味深げに今の僕に響いた。『これは嘘ですか?』彼女は僕にそう聞いた。その言葉は僕の鼻の奥あたりで引っかかって、左手に握ったままのビラをみすぼらしくシワだらけにした。
 所在なく頭をかきながらふと見上げた巨大液晶スクリーンでは、震災で一度崩れた第二東京タワーの復旧作業の開始を告げてる。それからすぐに画面は切り替わって給自足生活を始めたという若者たちの話、天皇が京都に移るという話、異常気象の話…そんなニュースを朝のスクランブル交差点をせわしなく行き交う人達の内ポケットに忍ばせていく。
『…と、そんなことより…』
 歩行者信号が青に変わって、目の前にまた人の波があふれ出す。僕がまた誰でもない誰かに向かって呼びかけようとした時、左手に持ったままの一枚のビラをかすめるようにとられるのが分かった。とっさのことでそれが目の前を通る大勢の人のうちの誰だかは分からなかった。でも、とりあえず礼は言わないと…思わず
「ご協力ありがとうござ…」と言いかけたところで、相手が分かって、やめた。
その本人は、ちょうど女の子がたっていたのと反対、僕の視界を離れた斜め前で難しそうな顔をしてビラを眺めていた。もちろん、さっきの女の子とは似ても似つかない。僕はしばらく様子を見ていたけど、反応がない。和風な顔立ちにまっすぐに伸びた黒髪に、ファーが着いて身体の線が出るぴったりとした赤いコートを着て、皮の帽子を被ってる。
「おい。アキラ…」僕はようやく声をかけた。
「何?ぼおっとして。かわいい子でもいた?」アキラはビラから目をそらさず言う。
「女の子には違いないけどな…」僕はつぶやいた。
「誰かいたの?ボクには見えなかったけど…そう願ったら、見えるんだろうね。きっと」
「…で、何しに来たんだ?」
僕はアキラが持っていたビラを奪い取る。
「何枚?」
 アキラは僕の質問に答えずにそう聞く。
「え?」
思わず言葉に詰まる。
「何枚掃けたって聞いてんの」
 僕は黙る。
「本当の数に三かけてもしてもいいよ?」
 余計に僕は黙った。
「…ああ、そういうこと?」
 嫌な笑みを見せてアキラは僕からビラを再び取り戻すと、出勤途中の中年サラリーマンのところに歩み寄って話しかけ、またすぐに帰ってきた。
「…じゃん」
 勝ち誇るアキラを無視していると、
「じゃん」と小声でもう一度つぶやいた。
僕は応える代わりに左手の脇に挟んでいた人束を全てアキラの胸の前に押し付けた。アキラはそれを受け取りながら
「シルシ君、その…疲れてきたのかな? 察するに」と穏やかに言う。
「大丈夫。心配すんなよ。今日ははりきってるんだ。あの日と同じ曜日だからさ、こうやって通りがかってる人の中にあの時間ここにいた人がいる可能性がある」
「…あのさ、憎めばいいと思うよ」アキラがふいにつぶやく。
「憎むって?」
「ヤエコちゃんとお父さん、それにシルシ君の身体をこんなにした犯人を」
「…お前結構怖いこと言うな」
「そう?普通だよ」そう言ってアキラは笑った。
「じゃ、隣でやるね。ボクも一緒に声出しするからさ」
 アキラはちょうど僕がやっていたようによく通る高い声で始めた。僕も一緒になって、親鳥を待つ小鳥のようにお互いに呼びかけあった。決まってビラが取られるのはアキラの方だったけど。

…つづく

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