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Are Core Hire Hare ~アレコレヒレハレ~

自作のweb漫画、長編小説、音楽、随想、米ラジオ番組『Coast to Coast AM』の紹介など

028-研究室のゆらぎ

2012-10-14 21:09:48 | 伝承軌道上の恋の歌

 僕とアキラが二人並ぶ前にはステンレスのプレートに刻まれた『ムスビ研究所』のロゴが夕日に赤く染まっていた。ゲートの向こうには高級ホテルにも似た広いエントランスのスペースと、上から見ると正六角形に見えるように作られた研究棟が物々しく構えていた。重い足取りで立つ、その場所の先にある眼の前の現実は決定的に断定的に現実を歪めてたっていた。
「…聞いていいよね?どうしてここに来たのか…」ずっと黙っていたアキラが口を開く。
「ヤエコが生きてるのか確かめるんだ。あの日本当に死んだのか」
「…シルシ君…」 
 最後の職員だったウケイ先生が失踪して以来、一年半前閉鎖されたきり誰も訪れることもなく、この場所はただ周囲の壁をスプレーの落書きだけを増やしてる。懐かしいというには複雑過ぎる感情を抱きながら、すっかり汚れてしまった高い壁を眺めているとその中に僕は気になるものを見つけた。スプレーで描かれたキャラクターイラストだ。いびつにデフォルメされてるけど、髪型や服の特徴でマキーナの姿だと一目で分かる。スフィアの中にも何かを嗅ぎつけてるやつがいるんだろうか?その発見が次の僕の足取りを確かなものにしてくれた。固く閉ざされた正門から少し離れたところにある通用口にカードスロットを通すと僕達は研究所に足を踏み入れる。
「すごく懐かしい感じがするね。シルシ君一度もここに来たがらなかったから」
 狭い廊下を抜けて職員の休憩室になっていた吹き抜けの空間に出る。ちょうど六角形の中心にあって、そこからそれぞれの研究部屋に入れる仕組みだ。
 多少ほこりは被っているけど、記憶の時のまま何も変わらずに同じ通りにあった。しかし、ひとつだけ違うところがあった。それは一角からその先に伸びる廊下があった。
「…これって…」
 僕はそこに向かって歩いて行った。
「あれ?こんな廊下あったっけ?」アキラが言う。
 その先にあったのはドーム状の屋根が覆うテラスだった。周りはガラス張りになっていて、辺りに注ぐ陽の光をただこの空間だけに集めて閉じ込めたみたいに光ってる。真冬なのに温室みたいに暖かい。辺りはポンプが水を循環させる駆動音で騒がしいのが、妙に熱帯雨林の動物のいななきを思い出させた。ポンプは長い長い透明な水槽に通じていて、水の中に様々な植物がその中に根を生やしていた。
「知らなかった、こんな所があったなんて…」
「近い将来、食糧難で餓死者が出るっていうのがウケイ先生の持論の一つでさ。ここはそのために作られた完全自給自足の可能な循環システムなんだって言ってた。僕らの事故の後は立入禁止になったから。アキラは知らなくて当然さ。それ以来僕も入ったことはないよ。非常用の防火シャッターが下りてて中には入れなくなってたから。でも今はなぜか開いてる」
「あれからも誰かが来てるってこと?」
「ああ、間違いない。問題はそれが誰かだよ」
 僕は早々にテラスを出ると、真ん中の空間から伸びる螺旋状の階段を早足に上る。二階には蜂の巣のように小さな部屋が六角形の外周と同じ形の廊下にそって重たい鉄のドアを並べている。廊下はさっきまでとは打って変わって暗い。僕は階段を上りきった所で立ち止まり、後ろに駆け寄るアキラを制した。
「ちょっと待ってくれ」
 僕は携帯電話で廊下を照らす。絨毯が敷いてあった一階部とは違い、ここの床は白い樹脂のようなものでできていて埃が積もっているのが分かる。
「何?どうしたの?シルシ君?」
「これだ」
 僕は膝を折って屈んで、それを指さした。
「…足跡?」
 そこには誰かが歩いた跡がくっきりと残っていた。一人。それは迷うことなく確かな足取りで一つの方から伸びている。ここから、ひとつ、ふたつ…六つめの扉に向かって。そしてそこは…かつてのヤエコがいた場所だった。

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027-心霊スポット

2012-10-13 20:24:33 | 伝承軌道上の恋の歌

 今日も僕の部屋にはアキラとトトがいる。トトはイヤフォンを片耳につけてPCを開いてる。僕はと言えばベッドに腰掛け救命箱を傍らにおいたアキラの世話になっていた。
「…いてて…」
 呆れ顔のアキラは僕の目の上にガーゼを当ててテープを貼ってくれてる。
「もう…だから行くのやめろって言ったのに…」
「アノンは?」僕がトトに聞くと
「まだイベント中…ネットでストリーム放送してます」
 その反応は冷ややかだ。椅子に座ってトトが顎をついて見てるのはつい一時間前まで僕がいたスフィアのイベント会場。そこには包帯を巻いてチラシを配る男の姿が映っていた。
「どうやら、既に僕も『スフィア化』してるらしいな」
「…または見世物ともいいます」
 トトの目は座ってる。
「これに懲りたらしばらく大人しくおくことだね」とアキラがぱたんと救命箱を閉める音。どうやら僕を同情する雰囲気は皆無のようだ。
「でも、こんなことやってるのを許しちゃいけない」
「確かにそうだよ?でもシルシ君、もう、この一件はもう君の手を離れてるんだよ…」
「どういう意味だよ?」僕がそう言うとアキラとトトが目を見合わせた。
「あのね…この前シルシくんも見たでしょ?これが、その『神のまねび』という小さな教団が配ってるやつなんだ…」
 アキラがA4の紙を差し出す。そこには『死は彼女を永遠に生かす』と題した散文詩のような文字の下に重ねるように女の子の顔が描かれていた。問題はその女の子の顔立ちが一風変わっていたことだった。少し異国人ぽい大きな瞳と短い鼻筋、まるでこれは…
「アノン、ですよね…」
 トトが傍らに立ってる僕の顔を覗き込む。あの時の僕も同じ印象を持った。そしてそれは今も変わらない。
「どうせまた新手のスフィアなんだろ?」
「スフィア?…思いもしなかったけど言われてみれば、その可能性もあるにはあります。新しいスフィア…でも、ただ雰囲気が全然違ったんですよね…本気っぽいっていうか」
「やってる本人達がどうであろうと、単にアノンをネタにしたのは間違いないはずだ。だってアノンは今や有名人だろ?あいつ似せてこういうものを作るんだって簡単だろ」
「だから、余計に不思議じゃない?だって、アノンちゃんは別に死んでない。そんな誰でも知ってるでしょ?だから嘘をつく意味がないのに、なんでそんなことをするのか」
 アキラはいつももっとも過ぎて今の僕には少し窮屈だ。
「…じゃあじゃあ予言とか?」
 そういうトトはどこか好奇心を抑えきれてない様子だ。
「おいおい…お前、縁起でもない事言うなよ」
「アノンの生き別れた双子の妹とか…」
 アノンのあてつけにトトはふざけてるのか。
「あのな、トト…お前、かぼちゃの馬車の迎えでも待ってるのか?」
「はあ?何言ってるんですか?今夜九時に待ち合わせしてるんですけど?」
「待ちぼうけして凍え死ぬ前に教えてやるけどな。そんなのおかしな連中が始めた夢みたいなは話じゃないか。別に論理的じゃなきゃいけないって訳でもない。理由があるとすれば本人に聞くしかないだろうが、それだって…」
「聞きました。私聞いたんです」
 トトが即座に答えるので思いがけず僕は黙ってしまう。トトも黙る。黙ってすねた子供のように僕の目をにらんでる。それまでとは打って変わって、この先に決定的な何かが待ち受けているかのようなそんな雰囲気だ。それを見かねたのかアキラが続けた。
「その教団の人が言うには、『この女の子はここで三年前に死んだ』んだって…」
 その時心臓が一度大きく脈打った。女の子が三年前に死んだ?あの場所で?それじゃまるで…
「その女の子はまだここをさまよっているって、そう言っていました」
 僕は思わずその場に立ち上がってアキラとトトの二人を見下ろした。
「…僕が…僕が嘘をついてるっていうのか?ふざけるなよ…朝からあんな場所につったって嘘ばらまいて、それでスフィアの連中に馬鹿にされて…それが…それが嘘だっていうのか?!」
 僕の言い方は自分が思っていたより強い調子になってトトを責めているように彼女に伝わった。
「…先輩?」
 トトは僕の様子に怯えてる。
「誤解しないで。ボク達がそう思ってるんじゃないよ?ただ、嘘を言うにしてもあんまり変だから一応伝えておこうと思っただけ」
「で、アノンは、アノンは知ってるのか?」
「知らないんじゃないかな。ボク達もその集まりを見たのは最初で最後なんだ」
「…そうか」
 僕はベッドに力なく腰を下ろす。アキラの言ったとおりなのかも知れない。どうも事態は僕独りで片付く問題じゃなくなってるらしい。どうにかしてもつれてばかりいる物事を解かなきゃいけない。そうしないといずれもっと大きなモノに巻き込まれていずれもっと大きな事件が起こらないとも限らない。しかし、そのほつれを見つけるには…
 わずかな期待を賭けて、僕はとある場所へ行く決心をした。

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イナギ03-続・セラピー?

2012-10-12 21:05:26 | 伝承軌道上の恋の歌


 例のセラピー帰りの夜の街を僕はヨミと歩いていた。
「どうだった?」ヨミが聞く。
「全部嘘だから別にどうってことはないな」
「罪悪感もない?」
「ないね。それを信じてるやつらは見てて面白かったけど…」
「次も行くでしょう?」
「…どうかな…」
「ね、行こうよ?」
「ああ、考えておくよ」
 僕は遠回りして駅までの道を並んで歩いてる。まだ初めての演劇セラピーの興奮が冷めてなくて道路に行き交うたくさんの車のライトや街のネオンが妙に眩しい。頭の中まで照らされてるような錯覚の中、真夏の夜、夜の風が心地良かった。
「ちょっと夜風に当たっていこうか」
「…うん。ちょうど向こうに公園あったわね」ヨミが言った。
 ヨミがあまり遠くに出かけられないこともあって、公園も僕達の大事な気晴らしの場所になっていたんだった。
 そこは少し物騒な場所だった。遊具には呪術で使うようなよく分からない落書きで覆われ、奥にはブルーシートで作った棲家が並んでいた。一番通りに近くて明るい場所にあるベンチに二人並んで僕達はしばらく黙っていた。と、
「あ、この公園にこんな噂話があるの知ってる?」ヨミが不意に明るい声で僕に聞く
「なんだよ、急に…」
「えーとね、海外から売られてきた男女の物語。人身売買ね。詳しくは知らないけれど、多分そういう需要がこの国のどこかにあるのでしょうね。そこから逃れてきた二人がここに逃れてきたって話。その二人は結局引き裂かれてしまったんだけど、この公園でまた会おうって誓い合ったって」
「ふうん。随分、物騒な話だな。それっていつくらいの噂なんだ?」
「噂が出たのはそんなに前じゃないみたい。多分ここ十年くらいのことだと思う」
「どうしてそんな噂が?」
「この公園でね、落書きの中に不思議な文字があるのが見つかったらしいの。単なる落書きなのかも知れないんだけど、それを面白がった人の作り話なのかも知れないけれど」
「その文字ってまだあるのか?」
「うん、こっち…」
 そう言ってヨミはゆっくりと立ち上がって僕の前を歩いた。街灯に照らされた白いレースのワンピースを着たヨミは薄暗い中で白く浮いて見えた。夢を見るようにヨミの後を僕は死地にでも赴くような気分でついていく。ヨミが足をとめる。そこにあったのはコンクリートでできたドーム状の遊具だった。公園の砂場の真ん中においてあって、表面に穴が空いていたり出っ張りがある。中は子供が三、四人入れるくらいの広さだろう。
「…ここ」
 するとヨミは屈んで、スカートの裾を砂に引きずりながら中に入って行く。
「お、おい…」
 驚く僕の顔を見て、ヨミは笑った。
「ここを見て…」
 ヨミが自分の頭の少し上にある天井を携帯で照らす。そこは下品なものから単に人の名前まで、元の色が分からないくらいに雑多な落書きで溢れかえっている。ヨミが言う外国の文字というのも、その中かから探し当てるのは難しい。
「ほら、この赤茶色いの…」
 ヨミがそう言うのを、ささやかに照らされた明かりの範囲から探す。
「…あった」
 ヨミが示した文字が僕にも分かった。確かに見たことがあるどんな国のものとも違う赤茶色い文字がそこにはあった。極端に崩した文字なのかも知れないけど、いずれにしても何を意味してるのか分からないことに違いはない。わずか四行、文字数にしても三十文字くらいだろうか。誰が言い出したのか知れないけど、普通は気づかないか、こじつけくらいにしか思えないシロモノだ。
「それで、ヨミはなんて書いてあるか分かるのか?」
「ううん…でも、ほらこれ、この文字、文字同士の間隔からしても二つの短い意味の言葉だと思うの。だとすれば、思いつくことは他の落書きを描いた人とそんなに変わらない」
「名前だってことか?」
「うん」
「二人の名前。本当にそんな二人がいたとして、現実にこうやってその跡が残っているそう考えると、確かに面白いかもな…」僕はそう言った。
「それにね、イナギ。この話、少し私達と似てると思わない?」とヨミは笑う。
「ああ、そうかもな…」
「それとね。その子たちの国の歌があるの。遠く離れた国を懐かしんでそれを歌ったって言う。歌詞は分からないけど、メロディは伝わってるの。それを私は知ってるの。素敵でしょ?」
 そう言って暗がりに微笑むヨミを僕は初めて少し怖いと感じた。

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026-偽りの聖地

2012-10-11 21:08:07 | 伝承軌道上の恋の歌

 神宮橋で行われたイベントは一風変っている。一帯を白いバリケードが囲み、その中が幾つかのスフィアの溜まり場になっていた。デウ・エクス・マキーナを含めた思い思いのキャラクターの格好をしてるのと、その取り巻きとで異様な光景になっていた。R.I.P.の殴り書きとイナギとヨミの写真を大きく引き伸ばしたプラカードが高々と掲げられている。まるで若くして死んだ伝説のパンクロッカーとその恋人だ。
「大変なことになってるな…」
 目の前の光景に僕は目指し帽を深くかぶり直した。
「今日はスフィアの合同イベントだからね…オリジナル・シンも来てるし…」
 僕の隣でマキーナになったアノンが言う。片隅に数人固まってるのは、血のにじんだ包帯に、車椅子、背負っている小さな十字架の集団。スフィアの名前は…オリジナル・シンだったか…
「ああ、あのプラカードはアイツらのか…それで…」
「いや…よね?」アノンは不安気に聞いた。
「ああ。でも覚悟はしてたよ」
 自分から来たにせよ、胸の奥から込み上げてくる嫌悪感はぬぐえない。
「…気をつけてね。シルシだってここじゃ有名人なんだから…」
「頭に入れておく」
「みんな、アノンが来たよ!」
 誰かがアノンを見つけてそう叫んだ。すると、瞬く間にスフィアの連中がアノンを取り囲んでしまう。
「…アノン!」
「…や、やあみんな…」
「アノン!アノン!」
 僕は遠のきだんだんと小さくなっていくアノンをただ寂しく見守っていた。気持ちを紛らわそうと周りをざっと見渡す。と、その中で知った顔を見かけた。こいつは…アノンとトトの知り合いでモノとかいったっけ…今日も髪を真っ青に染め上げて、その格好はマキーナを研究所から救いだした『マキーノ』という男のアイドロイドのようだ。声をかけようか迷っていると、向こうからどよめきが聞こえてそれがみるみるうちに周囲一帯に広がった。遠くに見えるステージの上にはヘッドセットマイクをつけたアノンがいた。
「アノン、おめでとう!」
 誰かが声を上げる。
「ありがと。ねえ、私に起こったこと今でも信じられないんだ。でも、今の私が今までの私と違うって行ったら信じてくれる?私は事故がどんな意味を持っていたのか…これからどんな意味を持つのかも分からない。でもね、私の…私達のお話はまだまだ続くんだ…マキーナとそのスフィアと一緒に…みんながそれを伝えていって、そしたらマキーナの歌はどんどん大きく響いていって、いつか私達の背中には羽が生えるんだ。これって本当にすごいことだよ?そうだよね?!」
 アノンが叫ぶと、それにもまして大きな歓声が上がった。『アノン』と呼ぶ声と『マキーナ』と呼ぶ声が半々。
「すごいだろ?あの事故以来…アノンがマキーナにフィードバックして行ってるんだ。いつかマキーナのアノンじゃなくってアノンのマキーナってそう言われるようになるよ」
 僕の隣にいたモノが言う。どうやら僕だということはとっくにばれてたらしい。
「…そうだとして何の意味があるんだ?」
「マキーナはヨミのことだって説もあるんだぜ?本当はお金持ちの娘で、イナギがさらってきたという話になってた。自分が恵まれた家庭に生まれたヨミはね、そのことに罪の意識があって慈善活動にのめりこんで、家を飛び出した。そうさせたのがイナギだっていうんだ。どう?デウ・エクス・マキーナみたいだろ?」
「どうだろうな…ありそうな話だけど…」
「そう!そこが神話なんだ。みんなの意識の元型に触れるからマキーナ神話が普遍的な価値を持つんだよ」 
 ふと見ると、会場の盛り上がりとは別に白衣を着たメガネの男が一段高いところからメガホンを持って演説を打ってる。
「…あれは?オリジナル・シンだったか…」
「そうさ…イナギとヨミのスフィア化したやつらさ…」
 僕は嫌悪感と裏腹にオリジナル・シンが訴える話の断片が耳に入ってくる。どうしても聞き流せない単語ばかりを並べていたから。
---君達は予感していたか?時代の予感を知っていただろうか?始まりは今から三年前。ここで死んだ一人の少女の物語から始まる。名前はヤエコ。彼女はまだ若くして死んだ。それを深く悲しんだ兄のシルシはここで『周知活動』を行うことにした!なぜか?彼女という存在が確かにあったことを、そしてここで短い命を閉じなければならなかったことを、シルシは私達に知らしめたかったのだ!それを知るものもいた。それがイナギ。彼はヤエコを蘇らせることにした。それがデウ・エクス・マキーナだ。これは断じてただの物語ではない!ヤエコが架空上の死を越えてできた仮想空間、スフィアなのだ。そしてヤエコが生きている間に見た現実と言う名の夢は様々な形にメタファーしてスフィア化していった。しかしそれもイナギの描いた理想にはまだ途半ば。デウ・エクス・マキーナ神話をスフィア化してもこの現実とつなぐインターフェースとしては不十分だ。そのために必要だったのは…それはシルシだ。そしてアノンだ。シルシはこの神話の起源であり、真実を知るものだ。アノンはそのことを知る唯一の人間だった。二人はスフィアを越え、神話をも越えた超越者だったのだ。イナギはさらに遥か上の世界にアクセスしていた。三年前の事故を再現することで二人を殺し、そしてオリジネイター自ら死ぬことで果てることのない円環の物語としてこの神話を完成させようとしたのだ。しかし、世界はそれを選択しなかった。まだ神話は完成してはいない!これから我々の手でそれは紡ぎだされるのだ!
 しかし僕が彼の独演を最後まで聞くことはなかった。僕は我れ知れず壇上に上る男の前に立っていて、怒りに身を任せて男を無理矢理に引きずり下ろしていたから。
「楽しいか?こんな嘘ばっかり広めて…」
「誰だお前?…ああ、あの…」
 僕に胸ぐらを掴まれ倒れこんだ男は僕を確かめると薄笑いを浮かべた。
「嘘?笑わせるなよ?それは鏡に向かって言えよ、シルシ?」
 次の瞬間僕は彼を殴った。

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025-三つ巴(後編)

2012-10-10 20:46:08 | 伝承軌道上の恋の歌

× × × × × × × × × × × × × × × × × × ×

 台所から漏れ伝わる音はアキラがみんなのために腕を奮っているところだ。椅子に座る僕の横ではトトがちゃぶ台の上に頬杖をついて雑誌を眺めている。そこには自分より一回り大きいクマの着ぐるみに抱きつきながら、カメラに向かってあっかんべーをしてるアノンの写真がモノクロで載っていた。そのトトの前にはベッドにうつ伏せになってお菓子を食べて漫画を読んでる実際のアノン。
「…全然、違うね」
「ありがと」
「褒めてないし」
「それって私にとっては褒め言葉」
「あっそ」
 二人の間に焦げつくような緊張感が漂う。が、部屋と水まわりを隔ててる引き戸が開いて、パスタが大盛りに載った皿を両手で持ったアキラが出てくるとそれもひとまずは終わりだ。
「さあ、ご飯できたよ!」 
 しかし、再びチャイムの音がした。
 恐る恐る覗き穴に顔を近づけ、薄いドアの向こうの丸く歪んだ様子を伺う。そこには小型カメラのついたタブレット形PCを片手にした数人が丸い像を結んでたむろっていた。
「なんだあれは?」
 僕が言うと、アノンが変わって覗く。
「…ネット界の情報屋、みたいなものかな。シルシを取材したいんじゃない?」
 どいつもくたびれた服に目深に被った帽子という出で立ちで、全うとは思えなかった。それが揃いも揃って肩を並べてぶつぶつつぶやきながら立っているのが実に不気味だ。
「なんでそんなものが…それになんで僕なんだよ?本当に取材ならむしろアノンだろ?」
「私がここにいるなんて誰も知らないよ?それにさ、言いにくいんだけど、あれ以来シルシはちょっとした有名人なんだ…」
「…」
 早くも僕は見世物にされてしまってるってことか。かといって家まで見つけ出してネットに流そうだなんてろくな連中じゃない。関わらない方が身のためだ。
「…とにかくほとぼり冷めるまで家から出ないようにしよう」
 僕はリビングのカーテンを颯爽と締め切って僕の背中を見守っているはずの皆にそう伝えた。
「そこの二人もいいな?」
「…ああ、うん」
 アキラとトトが上の空の様子で、仲良く椅子に並んで座って僕のノートPCを眺めている。しかし、どうしたものだろうか?こんな状態が続くのは耐えられない。途方にくれているとPCのスピーカーから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
『…イナギさんが今話題沸騰のデウ・エクス・マキーナのオリジネイターという噂が流れていますが?』神宮橋で見かけた『ベント』とかいう雑誌の編集者のものだ。どうやらある動画投稿サイトにあった動画をアキラとトトの二人で見ているらしい。彼女もドアの向こうでひしめいている連中と同類…なんだろうか?
『うーん、そういう人も多いみたい』今度はアノンの声がする。なぜか得意げに。
『…といいますと…』
『でも、ホントのオリジネイターは別にいるって言うこと』
『え?それをアノンさんはご存知だと?』
『…まあね』
『それは一体誰だというんですか?』わざとらしく驚いてみせる編集者。
『…シルシ、とだけ言っておこうと思うよ。ふふん』
 と、そこで動画は切れる。
「ま、楽しそうで何よりだね、トトちゃん」とアキラが吐き捨てるように言った。
「いいんじゃないですか?」とトト。僕は相変わらず気だるそうにベッドに横になってるアノンをにらんだ。
「アノン、お前…お前が原因か?」
「ははは、つい、ついね。ついだよ」
 さっきまで真面目な話をしていたと思ったのに、アノン、こいつの頭の中はでたらめなピースで組み立てたパズルみたいだ。
「…しかし、困ったことになったな…」
 そうひとりごとをつぶやいた僕に対するアキラとトトの視線はどこまでも冷たかった。

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025-三つ巴(前編)

2012-10-09 21:13:16 | 伝承軌道上の恋の歌

 正座して座っている僕をベッドの上から見下げて居並ぶ女の子が二人。右からトト、アノン。太ももの上で固く結んだ両方の手の平にじんわりと汗がにじんでくるのを僕は感じていた。
「説明してください」
 トトは僕をまっすぐ見る。隣のアノンはただきょとんとしてる。
「その…」
 そう言いかけたところで「どうぞ」とアキラはみんなにコーヒー牛乳を入れたコップを渡していく。それからアキラはお盆を抱えたまま一番右、トトの隣に座った。
「いや、別に隠していた訳じゃなかったんだけ…」そう言いかけたところで
「やっぱりそういう関係だったんですか!」とトトがたたみかける。
「へえ、おめでとう。それでいつから付き合ってたの?」
 そう僕に微笑みかけるアキラの目は笑っていない。
「だから、そういう意味じゃなくって…二人で一緒に住んでるっていうのを隠し…」
「あまつさえ一緒に住んじゃってるんですか!この泥棒猫!このエロガッ…」
 ますます声を荒げるトトの口を一人冷静なアキラがふさぐ。
「シルシ君、それって立派な犯罪じゃない?…そもそもアノンちゃん何歳なの…?」
「ははは、何歳だろ?知らないんだ…」
 アノンは困ったように笑う。余計疑われそうな変なごまかし方をするなよとその時の僕は思った。
「ね、とにかく話し聞こうよ、トトちゃん?」アキラがそう言って笑った。
 それでトトもふてくされながらも渋々黙る。
「…私、身寄りがなくて、それで…シルシに無理言って泊まらせてもらったんだ。これが本当。だから疑われるようなことは何もないよ。今のところね」
「今のところって」と僕が思わず言う。
「友達とかいないの?ホテルだってあるでしょ?なんで先輩の家にずけずけと上がりこむ訳?」とトト。
「僕が決めたんだ。アノンのせいじゃない」
「シルシ、いいの。説明させて…私ね、最近、身寄りがなくなってしまったの。血がつながってた訳じゃないんだけど、お姉さんみたいに私に世話を焼いてくれた。その人の名前はヨミっていうの。もうみんな知っているでしょ?」
「…な…」
「…アノンちゃん?」
 トトとアキラはアノンの言葉にたじろぐ。
「それは本当か?」
 問いかける僕にアノンは不思議なくらい大人びた目をして頷いた。
「うん。黙っててごめんね。でも、隠していた訳じゃないし、言う機会がなかっただけ。ヨミはね、身体が悪かったの。それで入院してたんだけど、イナギはむりやりにヨミを病院から連れて出て行ったの。ヨミが医者に騙されてるって思ってね。それから私も一緒になってヨミを騙してるって思ったらしいの。イナギはヨミと私のことを知ってたから。それであの事故の起こった当日、私がイナギと出会った。ヨミが呼んでるって嘘をついて自分の家に私を呼び出したの。その時のイナギはなぜかのすごく興奮してた。それで、私が自分とヨミのことを引き裂いたとか、私がヨミを殺したとか。そんなことをうわ言のように繰り返して、私を殺そうとしたの。水の溜まった風呂場に沈めようとした。完全に正気を失ってるみたいだった。私はそこからなんとか逃げ出して、街をさまよっているうちにシルシたちを見つけたの。これが本当。どう?分かってくれた?」
 アノンはいつも通りに明るく一息に話す。
「…それで…あんなに…」
 あっけに取られていた僕達の中でトトがふとそうつぶやいた。僕がふとトトを見ると
「…え、いや、だからあの日髪を濡らしてコートも着ないでいたのが分かったって…ははは」そう言ってトトは笑う。
 確かにあの日のアノンの理由が僕にもようやく分かった。
「うん、事情は分かった…まだまだ聞きたいことはあるけど、それは今度にしよう。…でもね、年頃の男女が一緒に住むのは僕は賛成できない」
 アキラがそう考えるのは当然だ。
「…でもな」
 僕が反論するのをアキラは目で制した。
 それから「…という訳で」と目の前で手をぱんと叩くとアキラは勢い良く立ち上がった。
「当部屋を本日10:28(ヒトマルフタハチ)時を持って私とトトちゃんの保護監視下に置くことをここに宣言する。アノンちゃんは一時間ごとに僕の携帯に無事を知らせるメールを状況が詳らかとなる写真を添えて送信すること。ただし就寝時を除く。定時より五分以上遅れた場合はスクランブル発生とみなし、しかるべき公的機関により法的な強制力を伴う解決を要請するものとする。就寝時は両者の間に衝立を設置し、時限を区切って超えてならないものとする。それとアノンちゃんはちゃんとお仕事なり見つけて可及的速やかに自分の部屋を探すこと。いい、分かった?」
 アキラは最後に軽くこほんと咳をして、それを締めとした。すっかりその迫力に圧倒されていると
「分かったの?」と、もう一度アキラが聞くから
「はい」とだけ答えた。

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024-住処

2012-10-08 21:40:17 | 伝承軌道上の恋の歌

まだきしむ身体を引きずりながらどうにか僕は退院の日を迎えた。
「…おい、いるか?」
 僕はアパートのドアを開けて薄暗い中の様子を覗いた。奥から物音すると柱の陰から顔が半分だけ恐る恐るこちらを覗いている。アノンだ。
「シルシ!」
 僕の顔を確かめると安心したのか、とことことこちらに小走りに近づいてくる。見ると僕が使っていたトレーナー一枚を上から被っているだけで、そこから細い素足が二本伸びていた。小さなアノンは僕の顔を見上げて、嬉しそうな顔をしてくれる。
「お前、なんていう格好を…」
「…うん。借りてるよ?」
 アノンは大きく首をかしげて僕の顔を覗き込むと、今度はぶかぶかのトレーナーの胸元から覗くものが目に入った。
「その、何だ…生きてたか」
「毎日お見舞い行ってあげてたのに変なこと言うね」そう言ってアノンは笑った。
「…それはそうと、お前には色々と聞きたいことがあるんだ」
 冷蔵庫を開けるとほとんどの空になっていた。彼女の様子からしても単に空腹で倒れただけだったようだ。するとマキーナも僕のすぐ横に顔を並べてまるで珍しいものでも見るように覗いている。
「いや、お前自身が空っぽにしたはずなんだけど…」
「買い物いかないといけないね…」アノンが言った。
「また後で。とにかく久しぶりにシャワーを浴びたいんだ」
 
シャワーを浴びながら僕は思案にふける。素性も分からない女の子を部屋に住まわせるとか一体どうしたものだろうか?聞きたいことはまだ山のようにあるにしても…
「おい、そろそろ出かけるか?」
 僕はタオルで頭を吹きながら、洗面所から居間のアノンを覗く。床に座って間近でテレビを眺めていたアノンは、僕の方を振り返った。でもアノンに反応はない。ただ呆けたように僕を見て、その視線は僕の一点に向かっている。
「シルシ、それ何…?」そう言ってアノンが指さしたのはTシャツから覗いた僕の脇腹にある大きな傷跡だった。
「ああ、これか?…実は僕もよくは知らないんだけど昔の傷さ。あの事故よりずっと前からあったんだ。親が言うにはもっと小さい頃手術したとかでできたらしい」
「へ…へえ…」
 アノンはたじろいだ…ように見えた。
「…どうかしたか?」 
と、その時、僕の部屋に誰かが押したチャイムの音が響いた。そして、取り繕うまもなく次の瞬間にはドアが開いた。
「シルシ君、退院おめでとー!」
 明るい声がした。そして次の瞬間に彼女の目に映ったのは気まずい表情で振り向く僕と、あっけらかんとしたアノンの二人。事情を知らない彼女の想像力を大いに活用させる格好だったことだろう。
「…って、え?」
 一瞬声の主と無言で見つめ合う。
「いや…あの…な…」
「あっ、アキラ」
 アノンは屈託なくその名を呼んだ。
「はは、お邪魔だった?」
 玄関に立ち尽くすアキラの、その両手にぶら下がっている差し入れらしき袋だけが小さく揺れていた。沈黙。
「別にそんなことは…まずは話を…」
 事態の収拾を図ろうとするも虚しく、アキラは矢継ぎ早に言葉を浴びせてきた。
「そりゃ僕達は単なる友達で別に付き合ってる訳でもないし、シルシ君が何しようと自由だし、もちろん咎める気もないよ?そもそも僕にそんな義理なんてないんだから…」
「だからまずは話を聞いてくれ!」
「…その…一応説明してくれるんだね?」
 アキラが靴を脱いで早足で部屋に上がりこんで、僕達の間に割り込んでくる。
「…ああ。初めからそう言ってる」
 そして今、二度目のチャイムが鳴った。
「はは、まさかね」
「まさかでしょ」 
ドアが開く。朝の日の低い日が、逆光になってその人影を照らした。それはさっきのアキラと同じに玄関に突っ立ったままただ黙っている。手に持っていた袋が落ちて、中に入っていたコーヒー牛乳のペットボトルが玄関先に転がった。
「…先輩?」
 トトだ。
「…まずは…話を…」
「あんた達一体何してるんですかあ!」
 人間は二種類ある。衝撃を恐怖に変えるタイプと怒りに変えるタイプだ。トトは間違いなく後者だった。

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023-イナギはなぜ?

2012-10-07 18:47:38 | 伝承軌道上の恋の歌

 僕達は誰もいない病院の中庭で日差しを受けていた。アキラと二人でカウチに腰掛けて、時おり吹き付ける凍えた風が、ちょうど今の自分の罪の意識に似て不思議と心を落ち着かせてくれた。
「シルシ君、何も言わないの?」
 アキラが聞いた。言える訳もなかった。僕はイナギを殺そうとした。それだけだ。
「イナギがシルシを殺そうとしたから?」
 が、僕は答えない。
「それとも…」
「…それともあの『事故』の犯人もイナギだって思ってるの?」
「それは分からない。何も分からないんだ。でも、イナギとヨミは何かを知っていた。多分、真実に関わる何かを知っていた。それでも分からない。ただ、なんであの事故を起こしたのか、再現をしようとしたのか…」
「でもあの車はアノンちゃんを轢こうとしてたように見えたよ?」 
 僕は何も答えなかった。確かなのはイナギが僕や僕の家族を冒涜したということだ。イナギが起した事故の瞬間から、僕の家族を襲った悲劇は芝居じみたおかしみを人に与えることになるだろう。それはもう始まっているのかも知れない。
「アキラ…僕は…」
 僕がそう言いかけるとアキラは僕の目の前いっぱいに顔を近づけて
「いい?もうあんなことしちゃ駄目だよ?」と人差し指を立てて諭すように言った。その様子が本当に子供をしかるようでちょっとおかしかった。
「アキラ?」
「今は訳は聞かない。はっきり言ってボクもびっくりした。まさかと思ったよ。それはボクだって許せないよ。シルシ君とアノンをこんな目にあわせたんだ、でもね、それとこれとは話が別だよ?」
「ああ。そうだな。もうしない」僕は言った。
 しかし、そんな僕の思いは別にしてももうイナギへの復讐が果たされることはなくなった。その晩彼が病院から姿を消したから。

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022-その時、アキラ

2012-10-06 21:20:39 | 伝承軌道上の恋の歌

 今日でもうこの病院に通うのも何日目だろうか?昔のことを思い出す。今から二年半前、ボクはシルシ君に会った。その時はボクも患者の一人。あの『研究所』でシルシ君が最後、そしてボクが最後から二番目の患者。そしてウケイ先生は最後の職員だった。夕暮れ、誰もいない研究室の廊下で手すりに必死にしがみついて足をひきずるパジャマ姿の成年をボクは見た。それが事故にあって数カ月後のシルシ君の姿だった。ボクはその日、エレベーターには乗らないで、階段を登って行った。あの頃のシルシ君が診察室のある二階まで、これが自分の足だと言い聞かせるように階段を踏みしめていた姿が懐かしくなったから。『そうだ、ちょうどボクの先を行くあの男の人のように…』それからボクはその姿に違和感を覚える。『…シルシ君?』似てる。いや、間違いない。シルシ君だ。声をかけようと思って、軽く手を上げようとしてボクはやめた。ここは病院だ。大きな声は出さない方がいい。ふと見えた横顔は何か他のことに気を取られているようだった。ボクは少し早足に踊り場の向こうに消えてしまった後ろ姿を追う。けれど階段を登り切った先で一瞬、姿を見失った。『あれ?』辺りを見渡して、まだまだ危うい足取りで廊下を歩く彼を見つけた。その階はシルシ君の病室とは違った。気になって後をつける。今度は気づかれないように。そしてその人影はとある病室の前で姿を消した。『人違いだった…かな』どうしても確認してみたくなった。好奇心がその時のボクの足を進めさせたのは否定はできない。『ここだ…』病室の入り口に立つと、まずプレートを見る。プラスチックのカバーが光を反射して良く見えなかった病室の主の名前をボクは頭をかしげて確かめる。
「…そ、そんな…」
 それを見たボクは思わず僕は息が止まった。その名をボクは知っていた。知っていたけれどけれど、その名はボクが思いつく中でも一番遠い名だった。
 そのプレートには『イナギ』と記されていたから。『確かに取り調べの時、本人も怪我の治療中だとは聞いていたけど、まさか同じ病院だったなんて…』偶然?違う。あの日あの場所でひどい怪我を負った者同士が同じ病院に運ばれたとしても不思議じゃない。『でもなんで…?』シルシ君がなんでこの部屋に…事故の復讐?それとも何かを知りたいから?
 駄目だ、考えてる場合じゃない。その前に嫌な予感を消さなきゃ。ドアのノブをひねると鍵はかかっていなかった。その次の瞬間には中に入る。シルシ君の姿は見えない。もちろん、イナギといわれる人の姿も。それは僕の目の前にベッドを囲むように引かれたカーテンの向こうだ。窓から入る朝の日の光に一人立つシルエットが浮かんでいた。ボクは急いで駆け寄って勢い良くそれを開けると、そこに立っていたのはシルシ君に違いなかった。そしてその顔はボクが今まで見たどんなシルシ君の顔より歪んで、憎しみに満ちていて、伸びた両手がベッドに力なく横たわっている男の人の首をしめつけていた。
「シルシ君、やめて!」
 ボクはシルシ君の両腕を掴んで、力いっぱいに引き離した。まだ怪我が癒えてもないシルシ君は、その勢いで力なく床に倒れこんだ。ふとベッドに横たわっている人の顔がボクの目に映る。まるで人形だ。そこには何の感情も宿っていない。『イナギ』らしき、男の人は焦点のあわない瞳をただ天井に向けていた。この人はもう何か言葉を発することもないのかも知れない…そうボクは思った。
「シルシ君、どうして…?」
 手を突いたまま動かないシルシ君を起して肩を揺さぶると、シルシ君の目もまた普通とは違う光を宿して見えた。
「あいつは殺さなきゃいけない…だから…」
 ボクが誰かも分からないように、そう独り言のようにつぶやいた。
「シルシ君はあの人が自分とアノンちゃんを殺そうとしたから、怒っているんだよね?」
 ボクは聞いた。それには答えないで
「だって、あいつは知ってるから…」シルシ君はただ独り言のようにそう言う。
「ねえ、どうしたの、シルシ君?ヤエコちゃんたちの時の犯人だと思ってるの?」
 でもシルシ君は答えない。それからシルシ君は肩に置いたボクの手に自分の手を重ねた。
「…アキラ…僕は…」
 そうして僕を初めて見た目はやっとボクを安心させてくれた。
「行こう…シルシ君、ばれたら大事だからさ…」
 ボクは頭を深くうなだれるシルシ君の手を引いて立ち上がらせた。シルシ君に肩を貸しながら、もう一度イナギの顔を確かめる。少し開いている薄い唇と細く通った鼻が心の繊細さをあらわしているようで、見開いた目は、まるで死んでいるようだけど、純粋で僕には綺麗に見えた。なぜこんな目をした人があんな狂ったことをしようと考えたんだろう?矛盾が心の中で生まれて、イナギの瞳はいつかそれに答えを教えを与えてくれるかもしれないとボクは思った。

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021-二人と二人

2012-10-05 20:20:02 | 伝承軌道上の恋の歌

 長い夢を見ていた。歌声が聞こえる。あの歌だ。ヤエコの歌。今はマキーナの歌…か。
「あ、おはよ」
 僕が目を覚ましたのに気づくと、アノンは鼻歌をやめた。病室の空調の音がカラカラと乾いた音をどこからか立てていた。
「…アノンか?」
「うん。どう?もう馴れた?」そう言ってアノンは笑った。
 サイドチェアーに小さなサボテンと一緒にマキーナのフィギュアが置いてあるのに気づいた。どうも彼女なりのプレゼントらしい。
「病院は馴れないように作られてるんだ。そうじゃなきゃ困るだろ?」
「そう?私はなんだか懐かしいな。ずっとこんなところにいたから…」
「え?」僕は思わず聞き返した。
「あ、ごめん。私変なこと言ったかも」
「ああ、そういう設定ね」
 あのアンドロイドが研究室の生体用カプセルの中で過ごしていたのを思い出してそう言った。
「設定?違うよ。マキーナは私。私はマキーナの端末化した一人なんだから」
「…で、何か用か?」
 深入りはやめよう。とり合っても面倒になるだけだ。
「お見舞いに来ちゃいけない?シルシは私にとってのマキーノなんだよ?ははは」
 おかしい。何か居心地の悪さを感じる。今日のアノンは妙に愛想が良い。しばらく様子を見ていると、アノンは茶色いふわふわした髪の毛をやたらにいじったり、何もない病室をしきりに眺めたり、何やらそわそわしてる。
「今日お前変じゃないか?」
「え、そうかな…」そう言ってアノンは僕から目をそらす。
「うん」
 僕は水の入ったグラスを手に取った。そしてアノンは一呼吸置いて何かを心に決めると、ようやく口を開いた。
「…私、住むところなくなっちゃったんだ」
 一瞬事故の夜のアノンの姿が脳裏に浮かぶ。
「今までどこに住んでたんだよ?家出か?」
 確かにあの日、アノンはまるで何かから逃げ出してきたようにひどく狼狽していた。
「今は言いたくない。でも本当なの」
「…ホテルとか、友達の家とか…」
「シルシが寝ぼけてる間に、お金もなくなっちゃったの!私本当にカプセルの中で寝たよ?マキーナみたいに。でもね、全然そう思えなくて、頬を伝う冷たさで自分が泣いてるのに初めて気づいたことあるって言ってるの!無理言って泊めてもらってた友達だって南の島に住んでる母方のまたいとこが今日の便で泊まりに来るのが決まったとか、そんなのいくら私が鈍感でもどういう意味か気づくでしょ!」 
 一息にそう言い切ったアノンは肩を揺らして、その目には涙が溜まっていた。 僕は飲み干したグラスを台の上にことりと置くと、しばらく黙った。
「うちの鍵だ」
 僕は左手をアノンに差し出す。
「…シルシ?」
「入って、キッチンを抜けた先の六畳の部屋にベッドがある。その下の引き出しを開けると、数段に積まれた古い雑誌があるはずだ。一見ただのエロ本だが、一番上を取ると中が繰り抜いてて、そこに千円札の束がある。嬉しいことがある度に一枚一枚蓄えていった幸せ貯金だ。使え」僕がそう言うと、アノンはその場でわなわなと震えだした。
 それから襲いかかるように僕に抱きつくと
「ありがとう!ちゃんとお留守番するね!」アノンはそう言った。

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