数年前からの読者であれば憶えておられるであろうが、私たちは昨年11月まで住んでいた借家で大家との“バトル”に悩まされていた。
住んでいる家自体には大きな不満はなく、大家を除く近所付き合いも良好であった。また、道路一つ隔てた家の飼い猫ジミー(本名はジェイミー)に魅了されていた。ジミーとの“爛(ただ)れた関係”に我々は正気を失い、大家との不幸な関係がありながらも中々転居に踏み切れないでいた。
しかし、大家の意地悪に家人は恐怖感を抱くようになり、ジミーとの別れは辛かったが、文字通り泣く泣く転居を決意した。引越しの日も異変を察したジミーが様々な可愛い仕草をして我々を悩ませた。引っ越した後、ジミーの飼い主から「お二人が引っ越してからジェイミーがほとんど外に出ないんですよ」と聞くと、居ても立ってもいられない心境になった。
そんな悲喜交々(こもごと)の思いを抱えての引越しであった。転居したばかりの頃は、新居にもその環境にも、はたまた隣近所の人達にも感謝する毎日であったから「やはり引っ越したのは正解だったね」と二人は納得し始めていた。ところがしばらくしたある夜のこと、“はてなマーク”で2人の顔が曇った。
裏の家で「夜のシンフォニー」が始まったのだ。それも大きな音だ。
時計を見ると午前1時半。たとえ聴こえてくる音楽がクラシックの名曲であろうと、近隣にとっては迷惑極まりない話だ。
直子はと見れば、若者の特権だ。その夜は騒音をものともせず目を覚ますことなく夢の中。
「真夜中のシンフォニー」は小一時間で収まったからその夜は事なきを得たが、それからは昼に夜に、いや正確に書けば早朝から音楽、TV、それに加えて体内清掃の音が辺りにこだましている。
「うるさければ騒音の元に言えばいいじゃないか。大人しくしているなんて浅井らしくない」と思われるかも知れない。
だが、事は簡単ではない。騒音の主が真裏に住んでいるからだ。しかも、その人が我が家の大家だから余計に言い辛い。シンドロームばやりの世の中だが、「大家シンドローム」という分類は聞いたことがない。前回と同じ轍は踏むまいとする私たちはどうしたものかと思い悩んだ。
今年2月のある夜、夜のシンフォニーは最高潮(?)に達した。突然の大音響に目を覚ますと、まだ午前2時半。窓を開けて「いい加減にしなさい!」と言いたい衝動を抑えて階下に降り、読書と寝酒(と言っても、下戸の私はなめるほどの量で十分)で心を落ち着けて東の空が明るくなった時間に再び眠りに着いた。
そんなことがあっても家人は苦情の声を上げることに納得せず、それからも夜のシンフォニーは我々を悩まし続けた。
ならば隣人と行動を共にして声を上げようとしたが、今ひとつの反応。どうしたらいいものかと思案投げ首状態であった。
気温の上昇と共に窓を開け放した状態で音楽をかけたり、TVをつけるから寝不足もますます酷くなった。
たまりかねて先日、私は大家に直接言わずに不動産屋に相談した。すると、担当者は気楽に「軽く話してみますよ」と言ってくれた。
布団をたたきながらラジカセで大音響を出し、わめき散らしたどこぞのオバサンの鬼の形相が頭に浮かんだりしたが、そのようなこともなく、一週間前、夜のシンフォニーは収まった。思えば長い苦しみであった。
不動産屋の話では、「音の主」は悪気はなかったようで、恐らくこれまでは誰にも言われず、気が付かなかったのだろう。このまま事を荒立てなくても済む事を願うのみだ。
住んでいる家自体には大きな不満はなく、大家を除く近所付き合いも良好であった。また、道路一つ隔てた家の飼い猫ジミー(本名はジェイミー)に魅了されていた。ジミーとの“爛(ただ)れた関係”に我々は正気を失い、大家との不幸な関係がありながらも中々転居に踏み切れないでいた。
しかし、大家の意地悪に家人は恐怖感を抱くようになり、ジミーとの別れは辛かったが、文字通り泣く泣く転居を決意した。引越しの日も異変を察したジミーが様々な可愛い仕草をして我々を悩ませた。引っ越した後、ジミーの飼い主から「お二人が引っ越してからジェイミーがほとんど外に出ないんですよ」と聞くと、居ても立ってもいられない心境になった。
そんな悲喜交々(こもごと)の思いを抱えての引越しであった。転居したばかりの頃は、新居にもその環境にも、はたまた隣近所の人達にも感謝する毎日であったから「やはり引っ越したのは正解だったね」と二人は納得し始めていた。ところがしばらくしたある夜のこと、“はてなマーク”で2人の顔が曇った。
裏の家で「夜のシンフォニー」が始まったのだ。それも大きな音だ。
時計を見ると午前1時半。たとえ聴こえてくる音楽がクラシックの名曲であろうと、近隣にとっては迷惑極まりない話だ。
直子はと見れば、若者の特権だ。その夜は騒音をものともせず目を覚ますことなく夢の中。
「真夜中のシンフォニー」は小一時間で収まったからその夜は事なきを得たが、それからは昼に夜に、いや正確に書けば早朝から音楽、TV、それに加えて体内清掃の音が辺りにこだましている。
「うるさければ騒音の元に言えばいいじゃないか。大人しくしているなんて浅井らしくない」と思われるかも知れない。
だが、事は簡単ではない。騒音の主が真裏に住んでいるからだ。しかも、その人が我が家の大家だから余計に言い辛い。シンドロームばやりの世の中だが、「大家シンドローム」という分類は聞いたことがない。前回と同じ轍は踏むまいとする私たちはどうしたものかと思い悩んだ。
今年2月のある夜、夜のシンフォニーは最高潮(?)に達した。突然の大音響に目を覚ますと、まだ午前2時半。窓を開けて「いい加減にしなさい!」と言いたい衝動を抑えて階下に降り、読書と寝酒(と言っても、下戸の私はなめるほどの量で十分)で心を落ち着けて東の空が明るくなった時間に再び眠りに着いた。
そんなことがあっても家人は苦情の声を上げることに納得せず、それからも夜のシンフォニーは我々を悩まし続けた。
ならば隣人と行動を共にして声を上げようとしたが、今ひとつの反応。どうしたらいいものかと思案投げ首状態であった。
気温の上昇と共に窓を開け放した状態で音楽をかけたり、TVをつけるから寝不足もますます酷くなった。
たまりかねて先日、私は大家に直接言わずに不動産屋に相談した。すると、担当者は気楽に「軽く話してみますよ」と言ってくれた。
布団をたたきながらラジカセで大音響を出し、わめき散らしたどこぞのオバサンの鬼の形相が頭に浮かんだりしたが、そのようなこともなく、一週間前、夜のシンフォニーは収まった。思えば長い苦しみであった。
不動産屋の話では、「音の主」は悪気はなかったようで、恐らくこれまでは誰にも言われず、気が付かなかったのだろう。このまま事を荒立てなくても済む事を願うのみだ。