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日々の出来事から国際情勢まで一刀両断、鋭く斬っていきます。コメントは承認制です。但し、返事は致しませんのでご了承下さい。

私の視点 小中高の英語教育の内幕

2008-09-17 21:28:46 | Weblog
 ALTと聞いて首を傾げる人も多いが、ALTとはAssistant Language Teacher(語学指導助手)の略で皆さんのお子さんに小中学校で英語を教える外国人のことを指すと言うと、頷く方も少なくない。

 外国人による語学指導は、学校の日本人語学教師の実力が今ひとつということから外国人の力を借りようと、全国的に1987年から始まったJETプログラムである。

 その制度は、当時高まりを見せていた「国際化の波」と「国際収支の大幅黒字を何とかしろ!という欧米諸国からの圧力」への対処として考えられたもので、当初は、教師たちはAET(Assistant English Teacher)と呼ばれ、多くが地方自治体が雇用する形を取っていた。

 「往復の旅費」「月給30万円」「長期休暇」「残業なし」「住宅供給」と至れり尽くせりの待遇に、当時不況下にあった英語圏の若者が、我先にとこの制度に殺到した。

 ところが、間に入った文部省(現文部科学省)や外務省などの役所には「人を見る目」があるスタッフは少なく、現地で採用されて各地方自治体に送り込まれてきた人たちの多くが大学を出たばかり若者。教育のイロハも知らない教師と言うにはあまりにお粗末な人材であった。

 ならば、きちんと教育してから教壇に立たせればよかったのだが、実際には数千名に及ぶAETを一堂に集めて偉い人たちの独演会を聞かせるに留めていた。

 JETプログラムでは、日本人教師との共同授業が基本のはずであったのに、自分たちの英語力の低さが生徒にバレルのを恐れた多くの英語教師は、AETたちに教科書を持たせて一人教壇に立たせた。

 当然のことながら生徒たちにすんなり受け入れられるはずはなく、反抗的態度を取る生徒に立ち往生するAETも少なくありませんでした。

 人伝に訊ねてきた一人のAETに英語教授法を教えてあげると、悩みを抱えたAETたちが何人も私の周りに集まってきた。

 彼らの悩みを聞いていて、JETプログラムの将来が危惧された。

 案の定、一年目から問題が多発した。最初の年には二人のAETが自殺をしてしまった。今、相撲界で薬物汚染が深刻な問題になっているが、何人ものAETがマリファナ(英語ではマリワナと発音する)などで御用となった。文部省以下、現場の校長・教頭までもがAETの扱いに困り果て思案投げ首、どうしようかと頭を抱えていた。

 そこへ助け舟を出したのが、大手英会話学校や教師派遣会社である。

 「安価で外国人教師を提供できますよ」と囁いたのだ。

 困り果てていた自治体がそれに乗らないはずはない。一つの自治体がJETプログラムを捨て、“民営化”に転向すると、多くが雪崩を打って続いた。名目上の制度はそのままに、「優秀な民間企業に知恵と技術を頂く」と入札制度で“公平”に業者を選んだ。

 しかし、営利優先主義のNOVAに代表される大手校や業者が教育の観点からことにあたることはあろうはずはない。入札制度だから名目上の支出額は抑えられて「良かったよかった」ということになりがちだが、現場の見方は全く逆で「以前の方がよかった」という声があちこちから上がっている。

 その入札制度だが、入札とは名ばかりで建設業界の談合と何ら変わりがないと言われている。NOVAの倒産直前には、大阪選出の中山衆院議員(今回の自民党総裁選では小池百合子氏に寄り添っている姿が見られる)が猿橋元社長と大阪市長を訪れ、NOVAに落札されるように圧力をかけたと報道されてその実態の一部が明るみに出された。

 業者は競って落札価格を下げていった。入札価格が抑えられれば、どこにしわ寄せが行くか。

 その答えは簡単だ。末端(実質的には中核を担う立場)に位置する外国人教師たちだ。

 彼らは英語圏で採用されて来日してみると予想以上の物価高。月給は20年前に30万円だったものが、今では24,5万円にまで下げられ、長い休暇期間には給料が支払われない。

 当然のことだが、辞めて行く者が相次ぎ、子どもたちの通う学校ではALTが短期間に何度も変わるのが珍しくない。これでは、教育上好ましくないどころか、悪影響さえ及ぼしかねない。

 小泉政権下で民営化がまるで社会改革のお手本のように言われたが、今になって問題が噴出しているのは皆さんご存知の通り。この分野でも民営化によって多くの小中学校の英語教育が危機に直面している。

私の視点 小泉劇場の再放送はNG

2008-09-17 00:45:03 | Weblog
 自民党総裁選のあり様はまさに「自民党のTVメディアの乗っ取り」だ。

 福田首相が辞意を表明してからというもの、TV各局の候補者のスタジオ出演を含めてTV報道は“自民党総裁選一色”。11日までの一週間だけを見ても、在京主要TV局が扱った自民党総裁選関連番組が「250番組 約41時間」、一方、民主党代表選報道は「48番組 4時間弱」で、圧倒的に自民党の扱いが多い。

 これはある意味、TVに話題性のあるものは追いかけるという習性がある以上仕方がないことかもしれない。だが、それにしてもこの時間差はひどすぎるのではなかろうか。

 百歩譲ってそれが仕方のないこととしても、ならばやり方があるはずだ。ただ自民党や候補者の言動を垂れ流すのではなく、メディアの本来の役目の一つである「検証」を自民党や候補者に向けて厳しく実行すればいいのだ。ところが、どの局のキャスターやコメンテイターを見ても候補者の言うことにうなづくだけだ。そうかと思うと、「報道ステーション」の古舘伊知郎氏のようにやたらいきり立って批判するキャスターもいる。

 日本のTV局の稚拙さに比べて他の国のTVメディアは、かなり趣が違う。もっと骨のあるキャスターやコメンテイターが揃っている。それも豊富な知識と鋭い分析能力を感じさせる者が多い。特にそれは欧州に目立つことだ。英国のBBCのように半官半民のような局でもステファン・サッカー、ティム・セバスチアンといった新旧のジャーナリストたちのような際立ったキャスター陣が目を光らせている。彼らはインタヴューの相手に関する膨大な情報・資料を集め、それを検証しながら相手に厳しい質問を一時間浴びせ続けるのだ。当然のことながら、その番組はとても見ごたえのあるものになる。ところが残念ながら日本にはそれに該当する番組はない。

 当然のことだが、有名キャスターやコメンテイターは政財界に一目も二目も置かれている。だから、彼らを意識する政財界人にいい意味での緊張も生まれるのだ。

 日本のTV人間は、BBCTVのハード・トークという名のインタヴュー番組を見たことがあるのだろうか。見ていれば自分たちのあまりのレヴェルの低さに自己嫌悪に陥り、余程鈍感でない限り、今のような番組作りはしていないだろう。

 まあ、視聴者も馬鹿ではない。3年前にTV局が連日流し続けた「小泉劇場」に翻弄されたことへの反省を巷間よく耳にする。だから、近く行なわれるであろう総選挙で3年前のように自民党が圧勝することは先ず間違いなくない。

 ところで、この茶番劇を見ていて思ったことだが、今行なわれている総裁選は公職選挙法に抵触するのではないのか。

 総裁選は、国民一人ひとりが選ぶものではない。自民党の、それもごく一部の人たちだけが投票して決まるものだ。だから、街頭演説が必要とされるものでないことは明らかだ。候補者の全てが、近く行なわれる総選挙を意識した演説を行なっているが私には違法に思えてならない。

 石原候補にいたっては、昨日だったと思うが、緊張してか大阪の街頭演説会で「衆議院選挙の立候補者の石原でございます」と名乗っていた。

 もしこの発言が、彼の選挙区であったら先ず間違いなく公職選挙法で禁じられている「事前運動」に当たっていたであろう。

 菅直人氏が報道番組で「テレビポリティックスで生み出された総理が何をやってきたか、国民は知っている。後期高齢者医療(筆者注:だったように記憶している)の強行採決をしたり、小泉氏の後継者である2人の首相が放り出したり、それがテレビポリティックスの副作用だ」と発言していたが、これは的を射ている。

 これをお読みのTV局関係者の皆さんに訴えたい。頼むから3年前の「小泉劇場」の再現版はお控え願いたい、と。