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都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

日暮里富士見坂からの富士が・・・

2011-10-09 | 荒川区  
日暮里富士見坂からの眺望シミュレーション
荒川区資料により「富士見坂眺望研究会」が作成したものを転載。
(写真は2008年3月撮影)
(※予測ラインには若干の誤差がある模様。)

 まちあるき講座などでも何度か訪れている日暮里富士見坂。そこから見える富士山がビルでかなり隠されてしまうかもしれない。

-風景遺産- 日暮里富士見坂の眺望保全について

 新宿区大久保3丁目で計画されている超高層ビルの建設により、上掲のシミュレーション画像のように、オレンジの線で引いてある長方形の形にビルが見えてくる可能性がある。富士山の眺望は、2000年に本郷通り沿いにマンション(高さ38.43m、13階)が建設されたことで、山の左側稜線が見えなくなったが、今度は真ん中のあたり。山頂は辛うじて見え続けるようだが、雪で覆われた面がかなり隠されてしまうので、天気が良くて富士山が見えていても分かりにくくなってしまうだろう。



 1990年頃まではまだビルも多くなく、富士山はよく見えていた(下記リンク)。

富士見坂眺望研究会風景遺産

 しかしその後、徐々に周辺にビルが建ち、富士山はビルの谷間に見える状況になっていった。

Photo 1992.12.25
Photo 1994.1.30

 最初のシミュレーション画像に建物の概要を加筆させて貰ったのが以下。

富士見坂から見えている建物の概要

 一般に、背の高い建物は大通り沿いや広い敷地のある場所に建つ。一番近い広幅員の通りは不忍通りで、距離にして400m弱。谷を通る道だがやはり近くの道なので、ここにマンションなどが建てば右側のビルのようになり、確実に見えなくなってしまう。ただ現在のところ中高層建物が建つ予定はないようだ。

 今まで、富士山の眺望に影響を与えたものとしては、本郷通り沿いのマンションが多かった。富士見坂から本郷通りまでは1.3km程度あるが、本郷通りは尾根道なので、やはり影響が出やすい。

 この他、1.9kmほど先にある白山通りにも15F程度のマンションが数棟建っているが、白山神社周辺の白山通りが谷道であるため、影響はさほど出ていない。また、東洋大学のキャンパスは少し高い位置にあり、図書館など背の高い建物も建っているが、方向がやや南寄りであるため富士山を直接隠す状況にはならなかった。

 さて今回、問題になるビルの所在地は大久保3丁目。富士見坂からは6km以上離れている。今まで影響が出た建物よりも3倍以上遠いので、最初は大して影響が無いのではないかと思っていたが、建物の方も本郷通り沿いのマンションの3倍以上高いため、やはり影響が出てしまいそうだ。

超高層ビルとパソコンの歴史
  > 東京都・建設中超高層ビルデータベース
    > 大久保三丁目西地区開発計画(A-1業務棟、A-1住宅棟)

 江戸期から「富士見坂」と呼ばれている富士見坂の中で、現在も富士山が見えるのは日暮里の富士見坂だけだという。ビルが建ち並んだりしたため、江戸期からある他の富士見坂からは既に富士山は見えない。明治期以降に富士見坂と名付けられたものの中には、今でも富士山が見えるものはあるのだが・・・。

 浮世絵などにも見られるように、江戸の人々にとって「富士見」は日常生活のそばにある一つの癒しのようなもので、生活に根ざした文化でもあった。そう考えると江戸以来残り続けてきた富士見坂からの富士の眺望は、文化遺産だといえなくもない。

 日暮里富士見坂があるのは荒川区内。坂の下は台東区で、そのすぐ向こうは文京区。だからこの周辺では、この富士見坂の認知度も比較的高いし、地域の人々は富士見坂からの眺望を守りたいと考えている。しかし今回の建物は新宿区内。開発を進めた業者も、影響がこんな場所で生ずることになろうとは恐らく考えていなかったのではないかと思う。

 東京都は、国会議事堂、迎賓館、聖徳記念絵画館、東京駅の眺望について、規制を掛けている。

東京都 > 眺望の保全に関する景観誘導指針の策定について
     > 眺望の保全基準のイメージ
     > 眺望地点及び誘導区域

 しかし現時点ではその対象は国家的な記念建築物に限られており、地域的なものは対象になっていない。富士見坂の場合、建築物ではなく自然の山が対象なので、保護制度としては別扱いなのかもしれない。また、記念建築物と違って正面があるわけでもなく、日暮里富士見坂でなくても富士山は見えたりするため、現時点で全都民的な共通認識になっていないと判断しているのだろうか。眺望による規制をすることは、土地所有者が開発をする権利を制限することにもなる。大半の人が保護に対して同意するような状況でないと規制もしにくいというのが実情のようで、景観法は制定されたが自治体はまだかなり慎重なようだ。

 条例や規制云々の話はともかく、今回の一件は既に進行中で近々にビルの建設も始まるらしい。そのような状況下ではあるが、開発業者も含めて多くの人が納得できる妙案はないものだろうか。


 日暮里富士見坂からの眺望について

富士見坂眺望研究会
日暮里富士見坂を守る会(富士見坂通信)

都市徘徊blog > 日暮里富士見坂(2006.1.29)
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  > 日暮里富士見坂からの眺望
  > 東京の斜面地空間-都心部山の手の地形-

荒川区の坂 > 日暮里富士見坂
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#ヴィスタ  #眺望  #高層ビル  #夕景・夜景 

小塚原の首切地蔵

2011-07-11 | 荒川区  
延命寺・首切地蔵
所在地:荒川区南千住2-34
建立年:1741年(寛保元年)
Photo 2011.6.14

 小塚原刑場があった場所に建つ延命寺境内にある露座のお地蔵さん。もとは右上の台座に鎮座していたのだが、先の東日本大震災で、積んであった石がずれたり一部落下してしまった。倒壊の危険性があるため、部材が地上に降ろされたという。再建に向けて、支援金が募集されていた。

 手足がばらされて台座の周囲にばらばらに置かれているさまは、ちょっと異様で哀しい景色。耐震化をして早く復旧させてほしいものだ。

Wikipedia - 小塚原刑場

#寺院  #モニュメント


青の洞窟

2007-12-21 | 荒川区  

 これまた一ヶ月前に、日暮里地蔵坂を夜間に調べに行った。Photo 2007.11.21

 地蔵坂に下からアクセスしようと思うと、西日暮里駅を出てから駅の北側を回り込んで、JRの下のトンネルを通って行かねばならない。このトンネルが自転車置き場になっていて、雰囲気がいまいちなのだが、ビックリするのはこの灯りの色である。カメラのせいではなく、まさにこのような青の空間なのだ。

 いやはや、なぜこんな色にしたんだろう? 紫外線ランプみたいな雰囲気。絶対、長時間は居たくない感じだ。もしかしてそれを狙っているのだろうか? 駅近くは正直言ってパッとしない場所。ホームレスが住み着かないようにとか、悪さをする輩がたむろしないようにということなのだろうか? 確かにそういう人にとっても居心地の悪い空間だ。でも毎日ここに自転車を停めて、夕方に取りに来る人たちにとっても、良い感じのしない空間になっている。設置の経緯を知らないので、理由は分からないが、見てるだけで鬱になりそうな空間だ。

 ただ、これ、写真に撮ってみるとオモシロイ。真っ青なトンネルに放置された冷蔵庫なんて、現代アートみたいだ。以前取りあげた高輪橋架道橋のオレンジの空間も結構強烈だったが、意外性ではこっちの方が上回っている。

#街並み 荒川区  #夕景・夜景  #トンネル  #鉄道 

日暮里富士見坂

2006-01-29 | 荒川区  
日暮里富士見坂からダイヤモンド富士を望む
Photo 2006.1.28 17:02

 久しぶりに日暮里富士見坂へ行ってみた。東京には江戸期から富士見坂と称する坂がいくつかある。しかし富士見坂という名が付けられた坂で、しかも山手線の内側で古くからあるもので、現在も富士山が見えるのは、この日暮里富士見坂と、大塚の不忍通りの富士見坂の二箇所しかないという。不忍通りの富士見坂の方は建物でかなり見えなくなっていて、比較的よく見えているのはこの日暮里富士見坂のみ。

 富士山が見える、というと、都庁や文京区役所に行けば見えるじゃんと言われるかも知れない。そう、高い所に行けばもちろん見える。ビルの上から見るというのは、ある意味眺望の独占である。そこからよく見えるということは、その後ろの陰になった場所からは全く見えないことを意味する。ビルに居る特定少数の人が、地上の不特定多数の人の眺望を奪っている。都庁の展望室は誰でも行けるが、早朝や夜間には開いていなくて、いつでも見られるわけではない。だから地形の上から見えるということ、誰でもいつでも見ることができるということは、非常に価値あることなのだ。

 さて日暮里富士見坂からは、毎年11月中旬と1月下旬に、太陽が富士山の頂上付近に沈む現象が見られる。日没の瞬間、富士をシルエットに太陽が光り輝く様子から「ダイヤモンド富士」と呼ばれている。新聞等でも何度もとりあげられているので、ご存じの方も多いかと思う。

 太陽の沈む位置は、毎日少しずつ変わる。今回のダイヤモンド富士は1月28日~31日、夕方16時50分頃である。だが昨日、実は私は日没に間に合わなかった! 日没後数分経過しているが、まだ空は茜色で富士山のそばの雲に光が反射して輝いている。

富士への日没を見る人々
Photo 2006.1.28 17:03

 近年は、日没時刻の少し前から人が集まりだし、日没時には数十人が集団で富士を見るという、ちょっと面白い光景を見ることができる。昔はあちこちの富士見坂や坂から日常的に富士山が見えたらしい。もちろん印象的な風景だから、昨日も記したように浮世絵などの絵画にも描かれているのだが、富士見は現在ほどは特殊な状態ではなかったはずだ。都心でほとんど唯一の富士見の場所であるという特殊な状況が、非日常的な場所性を強めている。

 ダイヤモンド富士などは、交通整理のお巡りさんなども現れ、一種のお祭りになっている。夕方30分限定のお祭り。主役は富士と太陽。見るものは示し合わせてあっという間に集まり、日没の十数分後にはもとの静かな坂に戻る。

日暮里富士見坂の夕暮れ
Photo 2006.1.28 17:06

 富士見坂からの風景は、上野台地から西南方向へ眺めるもの。不忍通りの谷の反対側には、本郷通りを尾根道とする本郷台地が見える。昔はほとんどの建物が平屋か二階建てだったので、地形に沿って甍の波が見えていたはずだ。

 数年前に本郷通り沿いでマンションが建設されて、富士山の左側が隠れることになった際は建設反対運動も起こった。昔は富士の両裾が見えていたが、今は右側だけ。なかなか強制力を持って富士への眺望を規制できないので、現在は富士を隠すような建設行為のみに運動が展開されている。

 確かに富士山のお姿が気になるので、ついそっちの方だけを注視してしまうのだが、冷静に坂の様子と富士山へのヴィスタ景全体を眺めてみると、周辺の状況も気になってくる。例えば、富士の右側、画面中央に大きく見える不忍通りのマンション。また、遠方左側の東洋大学の校舎も富士より高くなっていて気になる。

 残したいのは、谷になった斜面全体の景色とその向こうにある富士山なのだと思う。富士山さえ見えれば良いというわけではないのだ。額縁に囲われた富士山にはしたくない。富士山が見えなくならないようにという活動はもちろん大切だが、富士へのライン以外の場所は何をしてもOK、という状況は望ましくない。とは言っても、現在の状況ではすぐにはコントロールはできないかもしれない。日暮里富士見坂からの富士山の眺望が、文化景観として多くの人々に愛され、かけがえのない風景遺産になることが重要で、そうなれば、バロックの都市計画で創られたヴィスタ景を守ろうとするパリのような、強制力を持った取り組みをすることができるようになるのだろう。

 日暮里富士見坂からの眺望について

富士見坂眺望研究会
日暮里富士見坂を守る会
日暮里富士見坂からの眺望
東京の斜面地空間−都心部山の手の地形−

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