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都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

市立病院で休憩

1992-10-09 | ロシア  

1992.10.9(Fri) Vladivostok

市立病院  Google Map
建設年:1899年
構造・階数:煉瓦・2F

 ある程度北まで行ったところで建物調査が終了したので、コマロワ通り(Комарова)を東へ向かい、アレウツスカヤ通り(Алеутская・Aleutskaya)まで行く。アレウツスカヤ通りとの交差点のそばには市立病院がある。敷地が割合広く、静かそうだったので、交差点に面した門からちょっと入って中庭で休む。陽当たりの良い前庭はぽかぽかと暖かく、花壇には色とりどりの花が咲き、ベンチに座っているとホッとする。

市立病院内の花壇

 外国ではフィールド調査中に用を足したくなると問題が多い。必ずしも公共のトイレが近くにあるとは限らないからだ。立ち小便は目立つと問題も多いし注意を要する。今回は病院にちょうど立ち寄ったので、緊急事態にならないようちょっとトイレも拝借する。1899年に建設された煉瓦造建築なので、内部もかなり古い感じだったが、さすがに病院だけあって既に暖房が入っており、建物内は暖かかった。スチーム暖房なのか、加湿もしっかりしてあるのでムワァーツと暖かい。トイレ内も暖かくてこれまたホッとする。

 交差点のそばにはバス停があり、その近くの歩道上にはキオスクがあった。疲れていたのと喉が多少痛かったのでジュースを買って飲む。ブドウを売ってるおばさんもいたが、沢山のハエが楽しそうにあたりを飛んでいたので、そちらは買うのを控える。

 ジュースはビン入りなので王冠を取らねばならないが、栓抜きなどは貸してくれない。途方に暮れていると、おばさんは2本のビンの頭同士を擦って、いとも簡単にフタを開けてしまった。なぜそんなに緩いのかいきなり不安になる。一方、同行のO氏は意地でもおばちゃんには開けて貰おうとせず、その辺のフェンスなどに引っかけて苦労してようやく開けていた。コツを知っていないとやはり簡単には開かないらしい。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#病院 

シベリア鉄道踏切

1992-10-09 | ロシア  

1992.10.9(Fri) Vladivostok

シベリア鉄道踏切  Google Map

 しばらく行くとシベリア鉄道の踏切がある。市中の丘の部分では、鉄道はトンネルで丘の下をくぐって駅につながっており、道路とは立体交差になっている。しかし丘の西側では鉄道がグリッド状の道路網を横切っている。世界的に有名なシベリア鉄道だが、街中の踏切でさえ、遮断機や警報器はない。だから人は左右を見てのんびりと渡っていく。またここの踏切では自動車は通行できない。そのため袋小路状になった両側の道端には沢山の車が路上駐車している。

シベリア鉄道

 しばらく待っていると長い貨車列を引いた2連のディーゼル機関車がやってきた。線路は複線で、自動車同様、右側通行。線路脇で見ていると、広軌なので日本のよりも車輌が一回り大きい。また社会主義だからか何かは知らないが、ごっつくて重量感があり迫力がある。後年知ったことだが、ロシアでは中国とは異なりあまり蒸気機関車は走ってないようだ。写真の貨物列車は電気機関車ではなかったが、シベリア鉄道はウラジオなど大都市近郊区間では電化されており、通勤電車も走っているそうだ。

 帰国してから撮った写真をよくよく見ると、機関車のフロントガラスには花柄のカーテンが日除けのためにつけられていることが判った。どうでも良いことだが、なんだか奇妙な取り合わせで可愛い。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#鉄道

Field 調査 ポグラニーチナヤ通り2

1992-10-09 | ロシア  

1992.10.9(Fri) Vladivostok

無線塔のある事務所

 フォキン通り(Фокина)との交差点に出ると、大きな無線アンテナを備えた事務所が目に入る。ポグラニーチナヤ通り(Пограничная 国境通り)は街の西北はずれの通りのため、建物の規模がやや小さく2階建てが多い。中心部のスヴェトランスカヤ通りの建物は、概して4F以上で華やかなファサードを持っているが、山側の通りの街並みは地味で、また中心部のように建物が連続していない。数街区離れているだけだが、人通りも少なくなる。

 窓がなかったり屋根のない建物があった。どうやら廃墟のようだ。日本では壁だけになったこのような「建物」にはほとんどお目に掛からない。壁さえ残っていれば、窓を入れて屋根を掛ければまた普通に使えるので、石造りの西洋では廃墟になってもすぐには更地にしないようだ。

レーニン記念スタジアム(ディナモ Стадион Динамо)  Google Map

 交差点の少し先の西側にはディナモと呼ばれるレーニン記念スタジアムがある。三連アーチのあるシンメトリーな入口はなかなか印象的だ。門の右手から場内に入ってみる。特にチェックもなくグラウンドまで入れてしまった。

レーニン記念スタジアム(西側から)
Photo 1992.10.10

 昼頃にもなり、暖かくて気持ちよい。芝生の上でしばらくくつろぐ。アンツーカーのトラック、芝生のグラウンド、大きなスタンド、電光掲示板、なかなか立派なスタジアムだ。思わずのんびりしてしまったが、あまり目立ってもなんなので外へ出る。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#街並み 海外  #野外劇場・スタジアム 

日本車

1992-10-09 | ロシア  

1992.10.9(Fri) Vladivostok

 ウラジオで街を歩いていて痛感するのは、ハバロフスクに比べてとにかく車が多いことだ。中でも日本の中古車が多い。セダンなどの乗用車の7割ぐらいは日本車だ。在来のロシア製自動車もまだ多いが、港町のせいかハバロフスクよりも外国車が一気に増えているようだ。ロシアは右側走行なので基本的に左ハンドルだが、ウラジオでは右ハンドルの日本車がたくさん走っている。そういえば通訳をしてくれているイーゴリさんも、貯金して Civicを買いたいと言っていた。ソビエト崩壊、資本主義化はこのような形で欲望を生み出し始めているとも言えよう。

Mazda ファミリア(赤)、Honda インテグラ(銀色)
Moskvich 2125(水色・1973~97まで製造されていたという)
オケアンスキー通りにて  Photo 1992.10.6

 この中古車、ほとんどは日本の東北または北海道から、寒冷地仕様のものが船で運ばれているらしい(92年当時)。日本国内で廃車になったものを3~5万程度で船員が買い、甲板からはみ出すように車を載せて、手回り荷物として持ち込むのだそうだ。今日、歩いていた道の途中の広場には中古車市場があり、沢山の人々が交渉をしていた。

 おもしろいのは、日本で商業用に使われていたバン・ワンボックスカー・トラックなどが、車体に当時の店の名などを付けたまま自家用で走り回っている点だ。彼らは日本語の広告の意味などまるで気にしてないか、判ってないかのようだ。だから○○花店とか、○○クリーニングなんていう車を彼らは使っている。お金のせいかどうかは知らないが、塗装をしなおしたりしていない。ガラスが割れたまま走っている車もときどき見かける。窓枠にビニールシートをガムテープで貼り、その一部に穴を開けて外を見ていたりするのだ。一応ロシアは先進国のはずだが、そのへんは発展途上国並みの光景だ。

TOYOTA タウンエース カタカナのロゴが見える。
オケアンスキー通りにて  Photo 1992.10.6

 日本で廃車といえば使い物にならない車だが、こちらでこれら「廃車」の評判はすこぶる良い。エンストしたりバッテリーが上がったり故障したりがほとんどなく、メンテナンスフリーに近く壊れないとかで、かなり好評なのだという。ロシアのガソリンは質が良くないので日本並みというわけにはいかないが、それなりに燃費も良い。それから馬力がある。ウラジオみたいに坂が多い街ではこれは助かる。エアコンその他の設備が良い。私たちも何度かセダンに乗る機会があったが、確かに古くても日本車の方が良い。走行性能が良いので安心して乗れる。日本ではあまり考えられないことだが、メーター(速度計)が全く動かないなんて事はこちらではざらなのだ。ただ先程のような持ち込み方が主なので、トラックやバスなどの大型車は相変わらず国産だ。こちらは黒い煙をもうもうと吐いて頑張っているが、いかんせん性能が悪く遅く、街中での渋滞と大気汚染の元凶となっている。

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#階段・坂 海外  #自動車

Field 調査 ポグラニーチナヤ通り1

1992-10-09 | ロシア  

1992.10.9(Fri) Vladivostok

 08:40、起床。09:00に朝食。次第に皆、無口になる。毎日、朝から晩まであちこち動いているとさすがに疲れがたまってくる。夜ゆっくり休めないと翌朝にまで疲れが残ってしまい、目覚めは良くない。

 09:45、集合。10:00、Field調査に出発。15分後にバスを降り、ポグラニーチナヤ通り(Пограничная Pogranichnaya St. 国境通り)の調査を始める。O氏の風邪が相当ひどく、声を出したくない状況のようだったので、調査はのんびりやることにする。私はちょっと熱っぽく妙な気分だがさほど不調ではない。

スヴェトランスカヤ通りとの交差点・南西側の建物  Google Map

 手始めにスヴェトランスカヤ通りとの交差点の写真を撮る。天気が良くコントラストが強い。しかし東南向きは逆光になりやや撮影が難しい。

改修中のヴェルサイユホテル
1912年建設、1993年改築
スヴェトランスカヤ通りとの交差点・東南側  

 角に立つ建物は改築工事中だった。後年、S氏が再訪した折、ヴェルサイユホテルとしてリニューアルされたことが判った。

ヴェルサイユホテル・改修工事現場

 改築中のこの建物の外壁には足場が組んであったが、それは日本とはかなり様子が異なっていた。基本構造は鉄パイプとジョイントで、その組み方は昔の日本で見られた木の足場と、素材こそ異なるが似ている。ただ、現在の日本の鉄パイプ足場はユニット状の組立式が多い。最大の違いは、そこに竹を編んでカゴ状の通路を造っていることだ。日本はビニールシートで覆ってしまうことが多いが、こちらでは建物は竹の網で覆われている。このやり方は中国とか香港のビル建築の方法と似ている。当時は行ったことがなかったので正確にわからなかったが、後年中国に行ってやっぱりと思った。現場で働く作業員は中国系の人々らしい。この工法はどうもそこら辺から来ているようだ。

スヴェトランスカヤ通りとの交差点・北東側
第3番の住居

 街中の南北方向の道はほとんどが北側の山へ向かって上っている。しかしこのポグラニーチナヤ通りは街の西側にある通りで、丘の西側であるため、北へ行くにつれ下っている。地形とは関係なくグリッド状に道路網を計画したため、平行する道路がねじれるような状況が生じている。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#古い建物 海外  #街並み 海外 

Bar Ocean

1992-10-08 | ロシア  

1992.10.8(Thu) Vladivostok

 20:00 午前中に訪ねた設計事務所のそばにある、水族館付属の Bar Ocean(Океан)で夕食。ここではきれいな女性が2人で給仕をしていた。滞在中に若い女性と話をする機会があまりなかったので、帰り掛けにY君は添乗員のS氏を介して写真を撮らせて貰っていた。

Bar Ocean 店内

 店内はいくつかのブースに分かれていて、各ブースは大きめのテーブルをソファが囲んでいるスタイルだった。各ブースの上部にはTVモニターが取り付けられ、大音量とともにロシアンロックが映し出されていた。ここでもその音はあまり良くない。ハバロフスクでの食事の際、アンプからの音が歪んで割れていたのが思い出される。

 メロディーやリズムなど曲の方も今ひとつだ。なんと言えばよいかわからないが、発展途上国的という感じで、基本的に8 Beat のノリで、ブンチャブンチャ、ドンパンドンパンの単純なリズムである。複雑でスピーディーな最近のDisco系のノリ、即ち16~32 Beat のダンサブルな曲に慣れているとどうも古い気がしてしまう。単純なフレーズをサビに使って連呼するのもややダサイ。

 しかし考えてみると、この街では音楽というものが野外ではほとんど聞こえない。もちろん中央広場でアマチュアバンドがライブをしていたりはするが、繁華な中心部でも店から音楽が漏れてくるということはほとんどない。どうも、BGMを流すという発想が普通の店にはないようだ。また一般の店にそういう設備を備えるだけの余裕がないことも挙げられよう。日本の状況になれていると違和感があるが、こういう方が意外に世界では普通なのかもしれない。つまり日本の環境の方が異常なのかもしれないのだ。

 Bar Ocean の客は基本的に男だけだ。「男の酒場」なのだ。でもってこのような店はやはり高い。従って客層は自ずと金回りの良いオヤジが中心になる。ロシアに来る前、日ソ旅行社の人に、ウィンドブレーカーやジャージを着てる連中はマフィア系かもしれないから注意しなさいと言われていた。いわゆるマフィアは金回りがよく、従来の革ジャンではなく輸入品の化繊ウィンドブレーカーや派手なジャージを着てるのだという。日本ではジャージを着てたらジョギングのオヤジだが、こちらではマフィア系の人物なのだというのだ。なんだか妙な話だ。マフィアなのにあまりカッコ良くない。その「ジャージの兄貴」が Bar Ocean には2~3人いた。そこで我々は彼らには目を付けられないようにおとなしくしていたのだった。

 バスの運転手は僕らが店や事務所に行くといつも別の場所で待機している。昼食の時も同様だ。しかし、今日は夜が遅くなってしまい、予定の時間を過ぎ、外で食事ということになったので運転手氏をも招いて共に食事をとろうとしたのだが、現地ガイドのアレクサンドル氏はなぜか強く反対するのだった。そこら辺なにかわけありらしいのだが、私たちは結局、彼と共に食事をとることにした。運転手氏はロシア語しか話さない。従って、黙って、気分的にはやや窮屈そうに食べていた。途中で一回だけ、MTVを見ながらリズムをとって、「いいよなぁこれ」みたいなことを言っていたのが印象的だった。

 21:30頃 帰寮。今日もいろいろなメニューが盛りだくさんだった。帰寮が遅くなってしまったので、昨日、ドミトリーの女学生らと交流することはできなくなり、明日の夜に先送りとなる。

 23:00頃 疲れて就寝。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

駅周辺散策

1992-10-08 | ロシア  

1992.10.8(Thu) Vladivostok

 駅周辺をI氏、O氏と散歩する。夕暮れが急速に迫って来ていた。

鉄道駅(左)と郵便局(右)

 鉄道駅のすぐ隣には船客ターミナルがあり「海の駅」と呼ばれている。その「海の駅」には吹き抜けのホールがあり、真ん中に灯りのともった噴水が据えられていた。しかしあまり人けはなく閑散としていて、しかもホールのそばの通路は電気が点いておらず、ほとんど真っ暗だった。ウラジオの街に慣れてきたとはいえ、そういうところを通るとやはり俄に緊張してしまう。

海の駅のホール  Google Map

 小さな子供が物陰から二人出てきて「写真を撮ってくれぃ」と身ぶりで話したので一枚写真を撮ってあげる。撮ったところで、日本のフィルムに対応したDPE店がないウラジオでは現像・プリントができないので、写真をあげられないのだが・・・。

中央広場から、スヴェトランスカヤ通りを走るトラム

 19:45に中央広場に集合。さすがに夜は暗い。迎えのバスを待つ間、通りを走る車や市電を眺める。市電の車内灯までが白熱灯で暖かい雰囲気なのは少し意外だ。

スヴェトランスカヤ通りを走るトラム

 音楽活動をしているF氏は、友人への土産物として450RB(180円)のアコーディオンを3つも買っていた。広場で早速代わる代わるアコーディオンを弾いてみる。しかしバンドネオンタイプの物で、全てプッシュスイッチになっているので、どのボタンを押せばどの音階が出るのかよくわからず、なかなか目指す曲は弾けない。ましてやハーモニーをつけるのは、すぐにはできないことだった。

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#街並み 海外  #夕景・夜景  #鉄道 
#吹き抜け・アトリウム 

土産物購入

1992-10-08 | ロシア  

1992.10.8(Thu) Vladivostok

 18:20、中央広場にて解散。
 I氏、O氏ともう一軒の小さなグムへ行き、昨日、K氏らが買ったマトリョーシカ(743RB(約300円)×2)を買う。ちょっとベタだけど、ロシア土産といったらやはりマトリョーシカだ。この頃には既に、ロシアの歴代大統領・書記長の姿をしたものもあったが、とりあえずオーソドックスなタイプを購入。

マトリョーシカ

 購入時にO氏が5,000RB紙幣(2,000円相当)を出したところ、新規に発行されたばかりの紙幣だったらしく、新札を初めて見た店員がみんな集まり驚いていた。「これ新しいお札ねぇ、初めて見たわ。」と言っていたかどうかはわからないが、表情はそうだった。でもって、そんなお札をポンと出す謎の東洋人にも好奇の視線が集まるのだった。

グムショップ店内と猫

 暖房が効いた店内の棚の上では猫が誠に気持ちよさそうに丸まって寝ていた。ロシアでも犬や猫は可愛がられているようだ。その後、昼にも訪問したNostalgiaへ再び行き、小さな絵を1,000RB(400円)で購入する。

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墓参団と宴会

1992-10-08 | ロシア  

1992.10.8(Thu) Vladivostok

 バスでウラジオストクホテルへ向かう。今日の昼食は先の墓参団の人達と一緒にとることになっていた。彼らが日本に帰るのでお別れパーティーをするという。豪華な食事で楽しい宴になるからついでに一緒に食べに来いというのだ。これだからロシアはよくわからない。どうしてそんな合わせ技になるのか、不思議な国である。

 私たちは14:30前にホテルに着いたが、件の墓参団はまだベリョースカで買い漁っているらしく、なかなか到着しない。(日露友好)平和委員会から招かれたという体になっているためか、人数が多いせいか、墓参団の方が優先されるようで、彼らが到着するまではレストランに入ることさえもできなかった。仕方なく私たちは14:30に一時解散し、それぞれ散歩をして到着を待ったが、彼らはいつまでたってもやってこない。昼食が15時になっても食べられないのはつらい。腹が減って、添乗員ともども腹が立ったので、レストランと交渉して先に食べ始めてしまう。

 15:00頃になってようやく墓参団が到着。正式に宴会が始まり、私たちはここぞとばかりがつがつ食べる。F氏はVodkaを飲んで早速赤鬼化する。

ウラジオストクホテルにて  Google Map

 途中で黒い制服姿で勲章を沢山つけたおばちゃんがぞろぞろと多数入ってきた。僕らがナンダナンダと思っている間に、おばちゃんたちは整列してテーブルを取り囲み、合唱を始めてしまった。歌はロシア民謡のオンパレード。カチューシャにカリンカ、赤いサラファンなどなど。ついでに日本の桜を歌ったりしてサービスバッチリなのだが、恰幅のいいおばちゃんたちが席の後ろから大きな声を張り上げてくれると、僕らは何だか食べづらい感じになってしまい、複雑な笑いを浮かべながら小さくなってしまうのだった。聞くところによると、おばちゃんたちは第二次大戦以来唄い続けてきたとかで、数々の場面で唄ったことを勲章が物語っているのだった。

合唱団に囲まれて食べる

 日本の歌をいくつか歌ってくれたので、何故そのような曲を知っているのかと尋ねてみたところ、ダークダックスがやって来て歌ってるからということだった。それを聴いた私が「そうそう、彼らはロシアに何十回も行ってあちこちで歌ってたんだっけなぁ。」と言ったところ、「何故そんなこと知ってるーっ!」とまたしても言われてしまった。知ってたんだからしかたないのだ・・・。

 盛り上がって来ると、コサックダンス調のロシアンダンスも始まり、こちらとしても日露友好ということで、調子を合わせて盛り上がらざるを得ない状況になってしまった。で、ダンサーの女性とS氏が一緒に踊ってしまったり、K氏がみんなと一緒に跳ねてしまったりでもう大変さ!、の世界になって行ったのだった。

 18:00 狂乱?の宴会は日露友好万歳!!ということでようやく幕となった。いやはや・・・。

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ベリョースカとノスタルジア

1992-10-08 | ロシア  

1992.10.8(Thu) Vladivostok

 13:00頃 設計事務所を出て北の方に行く。
 昼食かと思ったらベリョースカ(Берёзка・白樺)という外貨ショップに連れて行かれてしまった。お土産もいいがおなか空いてるんだけど・・・。

バラライカを弾く熊の木彫

 13:30 ベリョースカに到着。
 切手集・熊の置物・ブローチ2ケを買う。その他にはジュース、菓子等。後からドヤドヤと鳥取県のシベリア墓参団の団体が入ってきて、土産物をバサバサと買っていた。驚異的なスピードでキャビアを買い占める姿を見て、どっと疲れてしまう。こういう団体さんには全く参る。グムで30RB(12円)のカップを買うべきかどうか迷った自分を顧みると、ウームと唸ってしまう。

Nostalgia

 14:00 Nostalgiaという土産物屋へ行く。
 アレウツスカヤ通りの一つ裏通りを西に入ったところにあるこの店では、割合に高価な品物を扱っていた。為替レートの関係で、日本人にとってはロシアの物価は非常に安く、高級品でも安く手に入るが、それでも貴金属や絵などはやはり結構高く、学生の私たちには簡単には手が出ない物だった。また、この店のそばには中国風の玄関を持つ別の店があり、当時のウラジオでは珍しい外観を見せていた。

カフェ(Кафе)

 近くの店の看板にはコーヒーカップと時計の針のような物が描かれていた。Кафе(Cafe)とあるので、喫茶店らしい。

1992年10月 ロシア日記・記事一覧

#商業系