夢と希望と

そして力と意志と覚悟があるなら、きっと何でも出来る。

不適材 その2。

2013-09-30 | 中身
 前回から少々と呼ぶには相応しくない間が空いてしまいました。これは完全に私の処理能力の不足に起因する事ですから申し開きの類は行わないとして……この間に予測通り万里からの反応があった事は嬉しく思っています。ですからまず、それに対する所感などを。
 天皇に対する認識は、私のような輩にしてみれば「原爆の一つも跳ね返せない現人神なんぞ所詮は何の効力も持たない張り子の虎であって、無造作に殺してしまえば虚仮威しの神通力も消え失せるだろう」というモノです。敗戦国の心の拠り所を完全に砕き尽くし、それでも抗うという気骨を持った者達が存在するなら、愉悦をもって改めて徹底的に叩き伏せてくれよう等と考えてしまいます。とはいえコレは戦士の技法であって軍人がやるべき事ではありませんし、自軍の損害を最小限に抑える事を目的とするなら、天皇のような存在は潰すより生かして使う方が賢いのでしょうけれども。
 太平洋戦争の目的に関しましては、万里が列挙なさる諸々を引っくるめて、やはり東南アジアの利権と資源を獲得する事に集約されると私は考えます。今も昔も、大国として威信を保ちたいのなら、有事の実行力である軍備は不可欠。そして近代軍隊というモノは兵士の頭数と士気だけではどうにもならず、各種兵器類を製造し稼働させ続けなければ話になりません。無資源国である日本が近代的な軍隊を維持し、必要に応じてこれを行使する為には、その資源を何処かから調達しなければならないのは自明の理。当然ながら資源を他国からの輸入に頼るなんて問題外で、禁輸措置を執られれば干涸らびてしまいますし事実そうなりましたから……これはもう、手近な資源産出地点を自力でぶん取る以外に無い訳で。
 しかし仮に、万里が指摘なさるように「もはや現状維持も先送りもできなくなったので仕方なしに戦争を始めてみた」等という事であったなら……やはり、そもそもの国家運営を誤ったと言わざるを得ませんねぇ。闘争の才能も持たず、明確な勝利へのヴィジョンも持たず、ただ盲滅法闇雲に拳を振り回して突っ込めば、蹂躙されるのは当然の帰結でしかありません。

 そんなこんなで今回の本題、南雲忠一につきまして。
 この人を無能呼ばわりしますと、反発なさる方々もいらっしゃるようです。何はともあれ真珠湾奇襲を成功させ、その後は各地を転戦してインド洋セイロン沖海戦に至るまで連戦連勝。自軍艦載機の損失は100機未満、艦艇に至っては1艘たりとも失わなかった最強の機動部隊を率いた将が、無能である筈はない、と。しかし私に言わせれば、この南雲忠一は艦隊参謀長の草鹿龍之介とセットで、言語道断の戦下手。その理由を以下に述べる事に致しましょう。


 さて、当時のアメリカ合衆国と日本が真っ向から戦争をしたら日本に勝ち目など皆無である事は、結果論でもなんでもなく、まともな判断能力を持つ人間なら誰だって理解していました。しかも日本はアメリカ合衆国だけを相手にすれば良いという訳では無く、イギリスやオランダ等の利権が生臭く集中する東南アジアを手中に収めなければ、戦争遂行そのものも覚束ないという有様。この状況は既にほぼ「詰み」というヤツでして、さっさと投了する事が順当な判断です。それでも投了は嫌だ、万分の一の勝機を見出したい、という事であるなら……これは分の悪い賭に出る以外ありません。まともではない結果を、まともな手段で得られる道理は無いのです。真珠湾奇襲はこのような状況下で立案・実行されました。先制と集中はおよそあらゆる闘争のセオリーですし、この作戦そのものが間違っているとは思いません。アメリカ合衆国の太平洋艦隊に自由自在に動き回られては大日本帝国陸海軍の南方作戦が遂行可能な筈も無く、是が非でも緒戦で壊滅させる必要があります。
 ただ、太平洋艦隊を行動不能にすればアメリカ合衆国が講和に応じる等と本気で考えたのなら、これはもう山本五十六の頭蓋骨の中には脳味噌ではなく腐った雑巾でも入っていたのではないでしょうか。長期戦に持ち込めば必ず勝てると解っている雑魚を相手に、そこそこ痛い初撃を打ち込まれたからといって巨人がすごすごと引き下がる筈もありません。では、巨人を相手に雑魚はどうするべきかと言えば……捨て身で喰らい付く以外にないでしょう。ルーズベルト大統領は対日参戦をしたくてしたくて堪らず、日本をツークツヴァンク、つまり動きたくないけれど動かざるを得ない状況に追い込んでいました。これは日本に先に殴らせて開戦の大義名分を得るという大国ならではの余裕に満ちた戦術ですが、余裕に満ちているが故に、そこには微かな隙が存在します。日本がこの状況で万分の一の勝機を求めるのなら、この「先に殴る」チャンスに賭けるしか無かったのです。
 では具体的には、どうすれば良かったのでしょうか。宣戦布告と時を同じくして真珠湾を奇襲し、戦艦を沈めても空母を見逃し港湾施設も破壊せず帰投する、なんていう生温い作戦では当然全く足りません。宣戦布告はそもそも考慮せず奇襲をかけて真珠湾は制圧し、太平洋艦隊は可能な限り拿捕し、ハワイ諸島を占領した上で補給を行い、そのままアメリカ合衆国本土へと進軍し拿捕した戦艦群も用いて沿岸地域を無差別に砲撃し、港という港を片っ端から潰すくらいの事は最低限行わなければならないでしょう。国際法違反だとか、相手に講和を求めよう等とかは一切考慮せず、ただひたすらに敵の喉笛に牙を立て、気管を潰し頸動脈を咬み千切り、間髪入れず腹を食い破り臓腑を喰らい尽くして息の根を止める。このような覚悟があればこそ敵の心胆を寒からしめる事も可能となり、巨人の戦意を挫く可能性が僅かながら現れるのです。当然、これは作戦とも呼べない暴挙であり、実現性は限りなくゼロに近い代物ですけれども……先述の通り、まともではない結果をまともな手段で得られる筈はありません。

 そして、ここで南雲忠一と草鹿龍之介。こいつらのお得意とする基本戦術は、一撃離脱です。草鹿龍之介は剣禅一致という愚にも付かない戯言をほざく輩で、攻撃は一太刀で決する等を信条としていました。航空畑において素人である南雲忠一は基本的に部下の献策に頷くしか能がありませんでしたから、このコンビの戦闘は、これはもう必然的に御行儀の良い闘い方となります。彼我の戦力差が対等、或いは此方が上なのであれば、体力を温存しつつ敵に失血を強いて判定勝ちを狙う、クレバーなアウトボクシングも良いでしょう。しかし人間相手に一匹の蟷螂がヒット&アウェイなど仕掛けても、やがて踏み潰されるだけであると何故解らないのでしょうか。
 南雲忠一が真珠湾において反復攻撃を行わなかった理由につきましては
・帰艦が日没後となり事故が予測された
・天候が悪く艦載機の発着が困難
・空母レキシントン及びエンタープライズが真珠湾に不在であり、これに攻撃を受ける可能性があった
・敵に50機程のB-25爆撃機が残存しており、攻撃を受ける可能性があった 
・第一次攻撃と比較して第二次攻撃の際の敵方による対空砲火が苛烈であり、第三次攻撃を行えば更に激しくなると予測された
 等と説明されていますが、5つ揃って失笑する他ありません。夜間及び悪天候での発着が困難であるのは事実でしょうけれど、それは敵方も同じ事。レキシントンとエンタープライズから攻撃を受けたなら、此方は六隻の空母を擁しているのですから飛んで火に入る夏の虫、撃滅してしまえば宜しい。鈍重な双発爆撃機であるB-25などは零戦を直掩機として上げておけば落とせますし、大型爆撃機からの対艦水平爆撃の命中率が著しく低い事は知っていた筈です。そして対空砲火云々に至りましては、本気で口にしたのなら首を括った方が良いでしょう。戦争をしようというのですから、当然敵は反撃してきます。味方に被害も出るでしょう。前の記事でも述べましたように、戦争というのは自軍の目標を達成する為、如何に効率的に味方を殺すかというモノ。対空砲火が激しいから攻撃を行わないというのは眼前にある1の味方の命を惜しみ、後に100の味方の命を脅かす事です。部下にも自分にも甘い戦力温存主義は、じわりじわりと格下の敵を圧殺すれば済む圧倒的優位な側にのみ許される王者の振る舞い。当時の大日本帝国にそんな余裕はありませんし、その認識が南雲忠一に欠けていたのなら、問答無用で無能な愚将です。
 実際に、真珠湾奇襲攻撃でアメリカ海軍は戦艦アリゾナを撃沈され、戦艦オクラホマは転覆。ウェストヴァージニアとカリフォルニアとネバダの三戦艦が海底沈座。テネシー、メリーランド、ペンシルヴァニアの三戦艦は中破。重巡ニューオルリンズが小破、軽巡ローリが沈没、軽巡ホノルル小破、軽巡ヘレナ大破、駆逐艦カシンとオグララが転覆、駆逐艦ダウンズとドックが海底鎮座、駆逐艦ショーが大破という損害を被りました。この他に海軍機80機と陸軍機231機を失い、2334名の戦死者を出しています。これは大被害のように見えますけれども……実際は、そうでもありません。八隻の戦艦に限ってみても、廃棄されたのはアリゾナとオクラホマの二隻に過ぎず、他六隻は1年から3年以内に引き上げられて修理され戦線復帰を果たし、大活躍しているのです。
 何故そんな事になるのかと言えば、これは単純な話で、真珠湾の水深が浅いからです。外洋であればこそ大破沈没も意味を持つのであって、投下しても海底にぶつからない91式航空魚雷なんて開発したところで、それだけでは無駄の極み。せめて修理施設と工場群と450万バレルの重油を焼き払わなければ、凡将とさえ言えないと私は考えます。

 ついでに、万里の記事にありました「南雲提督は南太平洋海戦において見事に復仇を遂げています」という件。これに対しても私は異なる見解を持っています。
 南太平洋海戦に先立つ第二次ソロモン海戦において、連合艦隊司令長官山本五十六は南雲・草鹿コンビをミッドウェー海戦に続き再び司令長官と参謀長として起用します。山本五十六はミッドウェー海戦において戦力の集中という兵法の初歩の初歩を実行せず、身の程も弁えず遊兵を後方500㎞に控えさせるという明白な愚策を行い歴史的大敗北を喫した阿呆。南雲と草鹿に責任を取らせれば自分も腹を切らねばならない、それは避けたいとでも考えたのか、結局この敗北の責任を有耶無耶にした、信賞必罰の当然の理さえ護れぬ輩です。こいつが南雲・草鹿共々メンツを保つ為に乾坤一擲の心意気で臨んだのが、第二次ソロモン海戦でした。
 ところが南雲忠一は、本隊を安全圏の北へ北へと走らせました。よもや職業軍人の端くれが、命惜しさに臆病風に吹かれたなんて事は考えたくありませんが、兎にも角にも山本五十六より直ちに攻撃せよとの指導電を打たれる始末。これを受けて軽空母龍驤から攻撃隊が発艦しますが、随伴した駆逐艦天津風から「失礼ナガラ貴艦ノ飛行機準備、発進攻撃共ニ手ヌルシ」等と手旗信号を送られる体たらく。山本五十六が立案する戦略がそもそもゴミで、それに基づき南雲忠一が実行する戦術がカスで、実際に戦闘行為を行う前線指揮官がクソなのでは、勝てる道理などある筈もない事。この第二次ソロモン海戦における両軍の損害は、大日本帝国海軍が軽空母龍驤沈没、水上機母艦千歳を中破。アメリカ海軍は正規空母エンタープライズが要修理6週間。南雲・草鹿の両名はミッドウェーの仇討ちが出来た等と喧伝しましたが、こんなの仇討ちどころか単なる返り討ちです。何故なら艦艇の損害以上に、航空機の損害比率が段違いであり、これ以降大日本帝国海軍は二度と航空戦で勝利する事が出来ない程の痛手を被ったのですから。
 南雲忠一が率いる機動部隊が搭載していた零戦78機中の41機、九九式艦爆54機中の25機、九七式艦攻45機中の34機……合計で177機中の77機を喪失したのに対し、アメリカ海軍機は15機に過ぎません。被害数は五倍以上、しかも両国の工業力差を考慮するなら、こんな戦果は大敗北。それを仇討ち完了などとほざく南雲忠一は、即座に文字通り首を斬るべきでした。
 と、まぁこういう経緯を前提としまして、「不適材 その3」へと続きます。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿