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あるBOX(改)

ボクシング、70年代ロック、ヲタ系、日々の出来事などをウダウダと・・・

「九里一平 PAST & FUTURE」に行った(6)

2016年09月26日 | アニメ・特撮
興味深い質問は続く。

「もし今の技術でやり直したいアニメがあるとしたら、どの作品ですか?」
この質問に少し考えた九里一平先生は…

「ガッチャマンですね」と返答された。



私は「えっ!?」と驚いた顔をしてしまった。
あれ程の完成度を誇り、時代の先を行ったような作品を…と。

しかし、「リアルを求め、アニメーターに負担を掛けた」として
満足の行く動きが表現できなかった。今のCG技術や腕の立つアニメーターを
使って第1シリーズをストーリーそのままでリメイクしたい…と仰ったのだ。

言われてみれば
確かに少し前に見た「ガッチャマン」には違和感を覚えた。
MXテレビでゴールデンタイムに再放送された「ガッチャマン」は
「あれ?こんな動かないアニメだっけ」と思わせられる回があった。

街中を敵のメカが走り、破壊を繰り返すシーンも止まり絵を震わせる演出で
凌いたり、アクションも大味だったり…と元の絵の完成度からすると厳しいと
思わざるを得ないアラも見えたものだ。

熱意を持って参加を申し出るアニメーターもいたが、脱落者も多かったと。
上手いだけじゃダメで、手が早くなけりゃ間に合わない。
難易度は高い、要求も高い、しかし報酬は通常と同じ。

「タツノコ・アニメは見るものだ」「作る側に回るもんじゃない」…そんな
言葉が業界に定着してしまったという。

それでも、達者なアニメーターが集まり、育ち、今やアーティストとして
知名度高い天野喜孝さんのようなリアルな絵も掛ける人たちが「ポリマー」
「キャシャーン」といったハードなアニメに貢献した…と。

一方で「タイムボカンシリーズ」もヒットした。



いよいよ全盛を迎えたタツノコ・アニメだが、そこで志半ばに亡くなって
しまった竜夫さんの事を寂しそうに語る九里先生、やはり兄弟思いの面が
現れていました…。

質問コーナーでは「漫画時代のアシスタントについて」も語ってくれまして
望月三起也先生は「あちらが1才上だったし、横浜っ子らしい口調には逆に
憧れたもんですよ」とコメント。

内山まもる先生に対しては「中学卒業と同時に入門されてきた。真面目で
いい人でしたよ」と話してくれました。

弟子という感じではなく、仕事をしてくれる有り難いスタッフだった…と。
辻なおき先生の時もそうだったが、恩に着せる感じが全然ないのよ。


※会場には
 現タツノコプロ社長から花が贈られてました。

さてさて、
皆、お酒も何杯か飲んで、まったりな雰囲気の会場。
「皆さんお疲れじゃないの?私も疲れたよ~」と正直に仰る九里先生。

年齢的に徹夜はキツイ。アニメはもうムリ。
時代物の漫画をマイペースで描くか、1枚絵を描いていきたい。
収入云々じゃなく絵は描いていきたい…との事。

根っからの絵師さんだ。やはり尊敬に値する人です。

いよいよ最後はサイン会。
これまた列が連なり、先生は「九里一平 PAST & FUTURE」に
次々をサインしていく。

記念撮影にも応じ、ファンの思いの篭った言葉にも耳を傾けておいででした。



私もサインをいただきました。
幼いころに出会ったタツノコアニメへの思い入れを語り、「そうですか」と
答えていただきました。

良い記念です。
帰りはタツノコ・アニメのOP・ED曲をウォークマンで聴いてきました。



「ガッチャマン」の曲なんて、贅沢だよなぁ。
小林亜星先生の作曲、歌唱は子門真人さん、演奏にはラテンパーカッションや
ストリングス、ホーンセクション、キレの良いリズムギター、いかにも腕利きな
リズムセクション…。最高です。

あ、そうだ。
「先生はどんな音楽が好きですか?」
「タツノコアニメは劇伴なども素晴らしかったです」と質問用紙に書けば良かった。

次、同じような機会があれば、ぜひ尋ねたいな。

そんな事を考えながら総武線新宿方面行きに乗った9月の下旬だったのでした。
※濃厚だったなぁ…

「九里一平 PAST & FUTURE」に行った(5)

2016年09月26日 | アニメ・特撮
イベントは盛り上がりつつ一旦休憩。

入口付近の「九里一平 PAST&FUTURE」臨時販売コーナーには
列が連なった。

あとで直筆サインが貰えるって事で、私も並んだ。
しかし凄いね。一人で2冊買ってる人がゾロゾロいましたよ。



松原弘一良氏が「在庫取ってきま~す」と奥に引っ込むシーンも。

私は1冊購入。
テーブルに戻って読んでみたら、ちょっと前までスライドで紹介されてた
イラストが収録されてました。

スペース・オペラ版「三四郎」はフラゼッタ風味!
最近描かれたドロンジョ様のカラーイラストは絵画の如し!



そして
漫画家時代のカラー絵も!

探偵モノ(?)や戦記モノの絵柄は、辻なおき先生や望月三起也先生への
影響が伺える!

~というか

この背景は!
戦車は!キャタピラは!草原のタッチは!


望月三起也テイストありまくりじゃないですか!
望月先生が描いたようではありませんか!

これだけでも半分泣いてますワタクシ…。

文字情報も凄いというか、今回のトークで語られた事の何割かは既に
収録されてます。

休憩の間に「質問用紙」が回収され、第二部では九里一平先生が答えて
くださるコーナーあり。

「一番印象に残るアニメ作品は?」の質問には「みなしごハッチ」。
スポ根全盛の時期に、童話みたいな話が受ける訳ない…と、代理店もTVも
スポンサーも乗って来ず。

や~っとリボンシトロンを販売しているサッポロビールが手を上げてくれて
制作に乗り出すことが出来た…と。

さらに作品への情熱ゆえに「竜夫vs一平」の衝突も凄かったとか。
「オレが監督だ!」「オレは社長だ!」なんて言い争いもあったと、九里
先生は笑いながら語ってくれました。

しかし、竜夫先生の心血を注いだ第一話は素晴らしく、放映日にはTVの
前で皆が泣いたそうです。



「第一話は、兄貴の全てが注がれてるから、特別ですね」…そんな事を
しみじみ語る九里先生の兄弟愛には胸を打たれました。
※あと、京都愛ですね。

ヒットした「ハッチ」は、アニメや漫画を目の敵にする保護者も高く評価。
賞を貰ったことを九里先生は嬉しそうに話しておいででした。

※松原氏の「嫁は理不尽な回を見て泣いてましたけどね」というコメントは
 ちょっとしたツッコミになってて面白かったです。
 私も悲しい回の印象が強いんですよねぇ…。

更には、アニメンタリー「決断」。
アニメで太平洋戦争のドキュメンタリーをやるというシリアスな作品。
こちらを九里先生が監督されて。やはり、リアルを追求してエライことに
なった…と。

「とにかくね、作画監督は大変ですよ…」
しみじみ呟く久里先生なのでした。

(続く)

「九里一平 PAST & FUTURE」に行った(4)

2016年09月26日 | アニメ・特撮
その後の話題は栄光のタツノコ・アニメに関して。

「紅三四郎」は欧州でも流されたうえ、今でも放送されて新しいファンが
付いているとか。

※「マッハGoGoGo」が「スピード・レーサー」のタイトルで米国で大人気
 だったのは有名だったし、アメコミっぽい絵柄もあって、あれをアメリカ
 製アニメと思っていた米国人も多かったというよね。



「紅三四郎」は私の記憶に残ってる最も古いアニメなので、なんか感慨深い。
※たぶん再放送だと思うけど…

九里先生は「欧州はアニメを作る環境ないから」と仰っていたが、それでも
凄いですよ。
主人公のコスチュームは赤い柔道着ですからね!

~とは言え、絵柄はどんどんリアルになっていくし、あのクオリティを維持
するには大変だったようで。

そういう苦労話も尽きませんでした。

漫画制作も平行していたため、常に人手不足。
そこで「辻なおき」さんなどを招き入れて、ピンチを凌いだとか。

辻さんに関しては「吉田竜夫」のライバルとして登場。
九里先生からみて8才年上の吉田竜夫先生は、先に成功して自分たちを東京に
呼び寄せてくれた、まさに家長。

「ギターも弾けて、休憩時間には女子社員の前でフォークを演奏してた」
…そんなカリスマ性があったと。



京都時代は呼べば返事が返ってくるほど「お隣さん」だった辻先生。
絵も描け、音楽の素養もあり、同年代の竜夫先生とはライバルだったと。

しかし、一人息子だった辻先生は竜夫先生より上京が遅れたそうで。
上京しても先に成功しているライバルと同じ土俵を嫌ってか、歌の世界に
進んだとか!

しかし、そちらの世界も厳しく、夢破れた辻先生。
竜の子プロを訪れ、京都に帰る事を伝えに来たが、そこで吉田兄弟は
同郷人が去る寂しさもあって「ウチで描いてよ」と誘ったとか。

人手不足もあった。京都人が居なくなる寂しさもあった…と。
そうして漫画の世界で身を立て、「タイガーマスク」をヒットさせた辻先生は
家を建てて京都から御両親を呼び寄せた…なんてイイ話もありました。



でも絵柄がモロに吉田ファミリー系で…。
でも手伝って貰った手前「似てるよ」なんて絶対に言えなかったと。
「だって似てて当たり前だもん」という九里先生、なんとチャーミングな事か。

なお、「タイガーマスク」に関しては、もうすぐ新たなアニメが始まる
話題も出まして。
九里先生も「そうみたいですね」と興味深く語っておいででした。



「タイガーマスク」関連では原作者の梶原一騎先生の話も出てました。
やはり豪傑というか、ハッタリ屋だったそうで(笑)。

売れる前にプロレス物でタッグを組んでた吉田竜夫先生とは良く酒を
飲み歩いてたそうで、豪傑同士(?)気が合って楽しそうだったとか。

竜夫先生がそうとう奢ってるはずだけど、「返してもらってないなぁ~」
なんて、九里先生も笑っていましたなぁ。

(続く)