あるBOX(改)

ボクシング、70年代ロック、ヲタ系、日々の出来事などをウダウダと・・・

内山&三浦で大みそかダブル世界戦へ

2013年10月31日 | ボクシング
プロボクシングWBA世界Sフェザー級王者・内山高志(33才/ワタナベ)と、WBC同級王者・三浦隆司(29才/帝拳)のダブル世界戦が、12月31日に東京・大田区総合体育館で行われる事になった。

内山の相手は、同級8位で日本王者の金子大樹(25才/横浜光)で、これが8度目の防衛戦。
三浦の相手は、同級2位ダンテ・ハルドン(25才/メキシコ)で、これが2度目の防衛戦。
同時防衛をクリアすれば、来年の夏にも王座統一戦が実現すると思われる。

まぁ、海外志向だった内山のモチベーションを維持させるには、統一戦くらいは御膳立てしないといけないって事でしょう。
3年連続の大晦日興行だが、内容次第ではMVPも掛かってくる内山。
年間試合数で山中に遅れを取る可能性もあるが、ここは試合内容と倒しっぷりに期待したい。
もっとも、キャリア不足を指摘されながらも、素材に期待を持たれてる金子の奮起も楽しみ。
スリリングな試合になるかも知れない。

三浦は、またも上位メキシカン。
内山との実績差を埋めようというマッチメークとも感じられる。ハルドンをKOで降せば、(倒すまでの過程によっては)格の差が縮まるでしょう。

両陣営も、前向きコメント。
渡辺均会長(63才)は「指名試合がなければ次の試合でやってもいい」。
帝拳・浜田剛史代表(52才)は「試合の結果次第で、来年にでもという声が出るかもしれない」。

次の興行で対戦する可能性ある両者を同じ興行に登場させるのは、本場ラスベガスなどでは良くあるパターン。
生観戦するファンは目の前で「両者の比較」が出来るし、ケガでも無ければ試合間隔など問題なく次戦の日程が設定できる。

私は内山ファンなので、ここをクリアし、いつの間にか作られた暫定王者との対戦で海外アピールを成し遂げてくれれば取りあえず良い。
海外進出への期待も捨ててはいません。
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ルー・リード死去

2013年10月30日 | 洋楽
ロックバンド「ベルベット・アンダーグラウンド」の中心メンバーで
ロック界の伝説的存在だったルー・リードが、10/27に亡くなった。

詳しい死因などは発表されていないが、
近親者によると、今年5月に肝臓移植手術を受けていたとの事。



リード氏は、ベルベット・アンダーグラウンドのソングライター、ボーカル、ギターを担当。
ポップアートの故アンディー・ウォーホルがデザインを担当した「バナナ・ジャケット」も、余りにも有名。



後にソロで活動し、「トランスフォーマー」「ニュー・ヨーク」「ブルー・マスク」などを発表。
ノイズの奔流としか言いようの無いアルバム「メタルマシーン・ミュージック」を出せたのも、この人ならでは・・・という気もする。

識者の中には「ルー・リードほどの影響を与えた人物は、ほんの一握りしかいない」と断言する人もいるそうな。

「ベルベット・アンダーグラウンド」は、1965年に初のギグを行い
麻薬中毒、同性愛、SMなど、タブーとされていたテーマを取り上げ、リスナーに衝撃を与えた。

短い活動期間ながら、同業者にも絶大な印象を及ぼしたベルベッツ
デビッド・ボウイなどそうだが、欧州的退廃とは異なるリードの雰囲気に完全に参ってた模様。



その功績もあってか、96年にはロックの殿堂入りを果たし
後進からリスペクトを受ける存在となっておられた。

もう70歳を超えておられたのね。
不健康に見えて、しぶとく活動されてたのが
また、この人の魅力だったのだが。

さすがに還暦すぎて肝臓疾患は辛かった事でしょう。
享年71歳。安らかにお休みください。

ルー・リード氏の御冥福を心よりお祈り致します
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そして「東映アニメメーション・ギャラリー」へ

2013年10月29日 | アニメ・特撮
27日の続き。

大泉学園にプリキュア映画を見に行ったら
必ずといって良いほど寄らせてもらう「東映アニメーション・ギャラリー」。



今回も入場したら、
さすが料金無料の施設。プリキュア・バイザー着用の子供と保護者の姿が多々あった。

中は随分と模様替えしてあるな。
展示は『東映アニメーションのテレビアニメの50年』。

以前プリキュアの等身大フィギュアがあった場所に昭和の茶の間が再現されている。
そこのブラウン管TVに流れてるのは、たぶん「風のフジ丸」。

会場内は随分とスッキリした印象。
以前はイイ意味でゴチャゴチャと数多い展示品が、ガラスパネルとかに飾ってあったんだけどな。

現在は『東映アニメーションのテレビアニメの50年その③』と言う事で。
1980年代中盤から1990年代終わりにかけての東映アニメのTVアニメ作品を紹介。
「メイプルタウン物語」、「ドクタースランプ」「ドラゴンボール」
「聖闘士星矢」「ビックリマン」
そして、1992(平成4)年にスタートしたのが大ブームとなった「美少女戦士セーラームーン」。
「スラムダンク」「ダイの大冒険」、
「ゲゲゲの鬼太郎」や「サリー」「アッコちゃん」などのリメイク作品が
壁面パネルで紹介されている。



奥のスペースには、やっぱりプリキュア等身大フィギュア。
現在は『スマイル・プリキュア』



映画ヴァージョンで、
肩にフワフワが付いてるヴァージョン。



この辺だけはパネルもプリキュアを特集。
初代のキャラからストーリー、名場面が紹介されている。



そして
恒例の色塗りゲームの設置。
小さな子供が、すっかり占領しております。



ちびスケが「前の子が譲ってくれない」と泣きついて来たが
前の子は2~3歳。「そこは、もう少し我慢しなよ」と諭しとく。

私はというと、パネルを興味深く鑑賞。
・・・というか「神風怪盗ジャンヌ」を探してたのだが

ああ、あった。



壁の隅に日焼けした小ポスターが貼ってあった。
TSUTAYAのサイトで渋谷店の在庫情報チェックしなくちゃな。

気がついたら、ちびスケも「色塗りゲーム」を満喫していた。
好きな「スイート・プリキュア」だけに、何度もトライしてた。
特に主人公・響は、上に張ってあるキャラパネルを手本にして上手に彩色。

上達したなぁ・・・と思ってたら
小さな子が次を待っているので交替を促し、ギャラリーから退場。

満足の一日を終えたのでありました。
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『映画ドキドキ!プリキュア』を見た

2013年10月28日 | プリキュア
例によって前の日の事を延々と語る「日記」です。

今回は妖精によるミラクルライトの取説あり。
「持ってないお友達は心の中で振ってね」の名台詞あり。
※小さなお友だちしか貰えませんから・・・

結局、旧来と少し違った使用になるのだが
それはそれで感動しましたので「今回も有難う」てな気持ちです。



恒例のプリキュア・バイザーも健在。
これを付けて劇場入りすれば、みんなプリキュア・ファン。



映画もフレッシュプリキュア・ファンの私には、なんか嬉しいストーリー。
「おもちゃの国は・・・」に通じるモノあるし、過去に戻る設定は
「ラブが、おじいちゃんと再会する回」を思い出した。
(あの回も泣けたなぁ・・・)

そういや、来年の3月も「プリキュア映画公開」と発表あったが
最後の「Newステージ」と来ました。

なんか心配だ。それ以降はどうなんだろう・・・。
ちびスケとポップコーン買ってジュースを並んで飲む。
そんでプリキュア映画を見る。

正直、幸せで仕方ないのですが。
そんな幸せが無くなってしまうのか?



・・・そんな事を考えながら
劇場ロビーに飾られた「設定画」などを眺める私。

売店ではパンフとシュシュを購入。
マーク程度だったら、からかわれないんですと。



しっかし、「プリキュア卒業のルール」なんて誰が考えたんだ。
ませた子が、もっと少女漫画的なモノや、
恋愛要素ある方に走るんだろうが、好きで見てる子に
とやかく言ってほしくないね!
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『映画ドキドキ!プリキュア マナ結婚!!? 未来につなぐ希望のドレス』を見る

2013年10月27日 | プリキュア
ちびスケと大泉学園のT-JOYへ行ってきました。
土曜だったらプリキュアたちと子供の交流もあったのだが
私も仕事あったし日曜のお出掛けとなった



人気アニメ「ドキドキ!プリキュア」(ABC・テレビ朝日系)の劇場版最新作
「映画ドキドキ!プリキュア マナ結婚!!? 未来につなぐ希望のドレス」(伊藤尚往監督)

謎の男・マシューによって過去の世界に飛ばされた主人公・相田マナが、
未来と思い出を守るために戦うというストーリー。



見どころは、劇場版ならではのダイナミックなアクション(CGあり)や、
マナと祖母、マナと愛犬マロの物語、六花とありすの幼少時代、
真琴のトランプ王国時代の姿など・・・
ファンならグッと来るシーンあり。

さらにマナたちの未来の姿も垣間見られ、大人っぽくなった“ありす”ちゃんの姿に感無量。

結局、イイ話の良いシーン連発で
私は暗い映画館で涙を流す事になったのでした。

いやぁ、東アニさん
やってくれるよ・・・。
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『わたモテ』CDを聴く

2013年10月26日 | アニメ・特撮
『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い』のCDを
TSUTAYAさんで借りて聴いた。

まずは「やってくれるぜ」の、TSUTAYA限定盤



オープニング曲、エンディング曲に加え、ボーナス曲
『わたモテRADIO』のお試し的な番組までが収録されているのだ!

主人公・黒木智子役の橘田いずみさんが、パーソナリティを勤めるネットラジオ『わたモテRADIO』
聴いてる奴は「ぼっちでソロプレイヤー」という設定のラジオ

投稿も「そういう人たち」で「ノーマル爆発しろ」的なコメント中心

なんか、「○×に絶望したー!!」って声優さんが叫んでいたネットラジオを思い出すな
こちらは一人パーソナリティーだけど

すでにネットラジオは配信済みなので、そっちも要チェックだ



そして、エンディングCD
黒木智子(CV.橘田いずみ)が歌うエンディングテーマ「どう考えても私は悪くない」だが
主人公の心情を描いた歌詞、ポップなメロディー・・・というナイスな曲
アニメファンとしては最高な曲に出会えた感あり

そして演じる主人公の友人・ゆうちゃん(CV.花澤香菜)のキャラソンも
アンサーソングとしてグッとくる内容だ
タイトルは「私がモテないのは可愛くないからだよね?」

歌メロは「どう考えても私は悪くない」と同じで、
意地悪な言い方すれば替え歌なのだが
バックはソフトR&B風で、歌声もキャラクターにあっており、
歌詞もゆうちゃんの呟きのような内容で、これまた萌える

試聴用ムービーが公開中で、アニメのゆうちゃん登場シーンと相まって人気になってる模様



もとが地味なメガネっ子だった“ゆうちゃん”だが
高校でイメチェンに成功
しかし根っからイイ子なので、もこっちとも友人として断続的に交流
ときどき心温まる存在として登場するオアシスのような存在

そんなコの歌声なんて・・・癒されるしかないじゃないですか

最後は初音ミクさんが歌う「夏休み」
もこっちが「夏休みの花火の日まで彼氏を・・・」と、
あがく回のエンディングに流れた曲

しっとりとした歌い始めからメタル調に展開するトコロにゾクっとしましたわ
ああ、またアニメ見たくなってきた

TSUTAYAさんでDVD借りるかな
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缶入りコーンスープが自販機に並ぶ季節

2013年10月25日 | 生活
缶入りコーンスープが大好きな私からすると
嬉しい事この上ないが



暑さから一気に寒い季節に入るのは寂しい気もする
私が大好きな秋が短い・・・

花粉症の私にとって春は辛い季節
暑くも寒くもない、一年中で最も心地よい季節は・・・秋

しかし、異常気象の影響か
年々残暑は長くなり、やっと秋が来たかと思うと、すぐに寒い冬

体が追いつかないよ・・・
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アンディ・フレイザー東京公演に行く②

2013年10月24日 | ライヴ
いきなりキャリア最大のヒット曲を持ってこられちゃ
盛り上がるしかありません。

立ち上がって手拍子しながら
腰とヒザをクネクネしながら大声でサビを歌う、
毎度のノリで盛り上がってしまいましたよワタシは。

前列の人々も立ち上がってたし。

アンディさんの歌唱、そりゃ本職のロジャースさんには敵いませんが
歌って弾いて、曲と身体をウネらせる姿に感動・・・。

だって、本物のアンディ・フレーザーが目の前で『オールライト・ナウ』を
演ってるんですもの・・・

アレンジも原曲どおり。
歌唱こそ自分で歌えるスタイルでしたが、例のベースラインも健在。
※一時期より腕前が戻っているんじゃないか

ギタリストも健闘。ギターソロでフレイザーのベースに対抗。
最初の曲から大盛り上がりだ。



2曲目は帯同してきたTOBIにメインを任す。

そういえば、
70年代フリーが1度空中分解した時、ポール・ロジャースは
『ピース』というバンドを結成し、アンディ・フレイザーは
『トビー』というバンドを結成したんだよな。
そして、フレイザーが今回連れてきたのが、わずか10代の若者TOBI。

なんか、いろいろ考えてしまいます。

『天才』の触れ込みのTOBIですが、
確かにギターはカッティングもフィンガーピッキングも達者だ。
最近の英国ミュージシャンでプレイヤー・プレイヤーしてる奏者は少ないから
これはフレイザーさんも気に入る筈だわ。

ただし、歌声は少し心許ないかな。声量をもっと鍛えて欲しいトコロだ。

そして3曲目が
まさかの『ビー・マイ・フレンド』!

P・ロジャースが2010年のバッド・カンパニー日本公演最終日に熱唱したフリーの名バラード。
今度はフレイザー版が聴けるなんて、感激・・・。

やはり弾きながら歌うフレイザーさんですが、スローな曲なのに断ち切るようなベースラインが流石です。
このベースプレイもフリー・オリジナルな印象で、堪りません。

フリーの曲はフレイザーさんが歌い、TOBIの曲は彼に任せ、ステージは進む。
もちろん、TOBIの曲でもベースはフレイザー節で弾いてくれてます。

TOBIは、自身の曲では自分がギターでカッティングしながらアップテンポで歌う印象。
よってドラマーはTOBIの曲の方がテクニックを披露できて楽しそう。
アコースティックな曲じゃアンディさんは座って休んで体力を温存。

TOBIの声は甘いタイプ。
顔はハンサムだが、当初のイメージフォトより骨太になってる。
まぁ、白人さんの17才~18才なんて頬骨や顎骨が発達する時期ですもんね。



マンチェスターあたりにいるフットボールファンの兄ちゃんみたいなTOBI。
歓声に少し照れるあたりは初々しくて可愛い。
酒飲んだらドピンクになりそうな肌質も可愛い。
※もっとゴツくなったら、プロボクシング元Jウェルター級王者の
 リッキー・ハットン(英)みたいになりそうだが・・・
 なお、ボクシング・ファンからすると
 フレイザーさんはリカルド・ロペスみたいだし
 ギター兼キーボード・プレイヤーはJ・M・マルケスに
 似ているし・・・で、公演に集中できない時もありました
 
そして演奏は続く。

『スティーラー』のリフで、これまた立ち上がって盛り上がるワタクシ。
その演奏は、まるで「ブルースロックからハードロックが生まれた瞬間」を追体験できたかのよう・・・。
※ギタリストがノってましたよ!
 もちろん、フレイザーのベース・プレイも絶好調!

気がついたらフリーのイントロが登場するたびに狂喜するワタシの姿が・・・
※まぁ、殆どの観客の同様でしたけどね

キーボードが『マイブラザー・ジェイク』のピアノ音を奏で始めた時には
「こんな曲まで演ってくれるのか・・・」と感激したし。
※『マイブラザー…』はオリジナル・アルバム未収録のシングル曲

『リトルビット・オブ・ラヴ』のギターに続くベース・ラインにも感動。
予想以上にフリーの曲をフリーのアレンジまんまで演奏してくれるアンディ。
※サポートギターもメロトロン的なサウンドを
 エフェクトしてくれてたなぁ・・・。

今夜のハイライトは、やはり『ミスター・ビッグ』
フリーの原曲に比べて歌が短く、ソロが始まるのが早かった気がするが、
ギターの掻き鳴らしからベースソロが始まる辺りでは観客の多くが立ち上がり、
アンディを盛り立てた。
個人的には、もっと野太い音で聴きたかったが、
そこは現在のPA事情もあるだろうから贅沢は言えないか。

アンディも堂々と全盛時と同じベースソロを弾き抜いて
気のせいか少しドヤ顔を見せてくれたような・・・。

この時点でワタシは大満足。
会場の盛り上がりも最高潮で、アンディも「日本のファンにウケた」
「熱烈な歓迎を受けた」印象を受けてくれたのではなかろうか。

コロシアムの来日公演でも思ったが、
彼らの演奏を見て恍惚の表情を浮かべる日本の観客を感じてもらう事・・・
それが海外で偉大な音楽を作り、盤に乗せて我々を感激させてくれた彼らへの
「恩返し」なのではないか・・・と、心から感じた夜なのでした。

フリー以外の曲では、ジョン・メイヤーのファンだというTOBIがカヴァー曲を演奏。

アンディ・フレイザーが「友人」ロバート・パーマーに提供した『愛しき人々(Every Kinda People)』は
http://www.amazon.co.jp/Double-Fun-Robert-Palmer/dp/B000001FTZ

サポートギタリストが、
これまたスティールドラム的なサウンドを奏でて
※ギターシンセ?今はエフェクターでそれくらい出来るんだねぇ

男性コーラスが
メインシンガーとしてフロントに出てきて、パーマーばりに熱唱。
手を左右に振り、コール&レスポンスを呼びかけて客席を煽る。



個人的にはラストはアンディの曲にして欲しかったが、最後もTOBI推しで終了。
米ロックがデレク・トラックスを宝のように見守るように、

フレイザーも英国音楽の後継者を見守っているのかねぇ。
※英国バンドって自国の70年代ロックから影響受けてる風のミュージシャン
 いなそうだもんねぇ・・・。

しかし、これで
亡くなったコゾフを除く、全てのフリー・メンバーを見ることが出来ました。
感無量で御座います。



Shibuya O-EAST(O-West)の物販はビニ袋などくれないので
脱いだジャケットに包んで持ち帰った。
在日ファンクでTシャツ買った時もそうだった。

郷に入れば郷に従えで、今回は余り買わずに荷物を増やさないつもりだったのだが
サインに釣られてCD買って、余分にフライヤー持ち帰ったりして
やっぱり手に持つものが増えてしまった・・・。

夕食は桂花ラーメン渋谷店で「とんこつカレーラーメン」を食する。
普段食ってる桂花に「カレー味」は無いので、渋谷ではつい食べてしまう。
邪道かも知れんが、これはこれで旨い。



そして、帰りに荷物をまとめていたら
店員のお姉さんが「袋、使われますか?」と持ち帰りラーメン用のビニール袋をくれた。

すごく有り難かった。
礼を言い、「ごちそうさま」と店を出た。

ばっちり荷物は収まった。
電車の中でウトウトしてもOKだった。

良い日になった。
アンディさん、ありがとう。
桂花のお姉さん、ありがとう・・・。
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アンディ・フレイザー東京公演に行く①

2013年10月24日 | ライヴ
10月22日に大阪公演を終えたアンディさん。
なんと、23日には渋谷のタワレコでインストア・イベントを行ったそうな。
FREEの『オールライト・ナウ』
無料のイベントで披露しますか・・・。
CD購入者にはサイン。

私はといえば
今日ノコノコ渋谷タワレコに寄って
「あまちゃん湯飲みありますか?」と
あまちゃん=タワレコのコラボ商品を若いアンちゃん店員に問い合わせ
「売り場に無いなら売り切れです」とアッサリ言われて
スゴスゴと店を出たのでした。



そしてTSUTAYA渋谷店のアニメコーナーで
『神風怪盗ジャンヌ』を確認したのでした。空ケースだけを・・・。
※全部貸し出し中だったよ。
 まぁ、あるって分かっただけでも収穫でしたが



そして、コンサート会場のShibuya O-EASTへ向かう。
何度行っても道に迷う道玄坂周辺。
今回は携帯電話に地図画像を送っておいたからOKだ。

O-EASTの階段を上がると、壁面にフライヤーが張ってある。

WOWOWさんが主催されてるのな。
有り難いなぁ。放送してくれたら、もっと嬉しいなぁ。



物販はCDのみ。
Tシャツやパンフは無し。
CD買ったらサインが付いてくるってんで1枚購入。

右下がTOBIのサインか。
左上がフレイザーさんか。
サインと言うか、イニシャルじゃないか・・・。



席に座る。かなり前の席だ。
セットを見ると向かって左がベース。右がギターとキーボードだな。
奥にドラムセット。左奥にコンガ。マイクが2本。

かなり大所帯なのか?

どういう曲を、どういうアレンジで演ってくれるのか分からなかったが
幕開き前に会場で流れるのは古き良きリズム&ブルース系(ウィルソン・ピケットなど)。
または『悪い星の下に』などのブルース。
少し期待が膨らむ。

時間は開演時間のPM7時を過ぎた。
周囲を見渡すと私よりセンパイな方々が多い。
今日、会場にいるのは本当に洋楽が好きな人々だと思う。

7時10分を過ぎたあたりで、客電が暗くなり、歓声が上がる。
黒人ドラマーが最初に現れ、手拍子からリズムを刻む。
ギタリストが現れる。男女のコーラス隊、そして若いTOBI。

最後にベースギターを抱えた小柄なアンディ・フレイザーが右手を上げて勢いよく登場。
客席は大歓声!

ギターが景気の良いリフを掻き鳴らす。
うわ~!『オールライト・ナウ』だ!

いきなりですか!!
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明日、いよいよアンディ・フレイザー東京公演

2013年10月23日 | ライヴ
トビーという若手ミュージシャンと活動してるのは知ってたが
とうとう彼を帯同しての来日です!



元フリーの伝説的ベーシスト=アンディ・フレイザー。
独特のウネリから高低音を自在に操るベース・プレイ、そして、その作曲能力から“天才的”10代プレイヤーとしてシーンに登場したのが60年代後半。



フリー解散後は生真面目な性格などが災いし、キャリアに恵まれず。
※フランキー・ミラー(Vo)やロビン・トロワー(g)とのグループが実現してたらなぁ・・・

私なんて「ある意味、フリーの中で最も才能あったかも知れないのに・・・」と思ってたから
その後、才能に見合った成功がなかった事が残念でならなかったのですが。
※自身のリーダーグループは、アンディの才能に他のメンバーが
 追いついてなかったし・・・

ソングライターとして有名ミュージシャンに曲を提供したりして、経済的に困窮する事は無かったようですが、
それでも病に犯されたりして、一時は死亡説なんて「ガセ」情報もあり、往年のファンを心配させてたモノです。

しかし、現在“まだ”61才のアンディさん。
この手のミュージシャンとしては若いです!



がんばって往年の70年代ミュージシャンと競演したり
※相手はミック・テイラーやグレンヒューズ!

若手ミュージシャンと組んだりして活動を活発化させています。
しかし、来日・・・とは嬉しき青天の霹靂。

Andy Fraser & TOBI Hello Japan Long ver.=日本のファン向けにメッセージ動画までUPされてます



一度はソロ・ヴォーカリストとしてAORっぽいアルバムも出したアンディさんですが、ここ最近はベーシストとしても復活。
94年ごろはP・ロジャースさんと競演しても、昔の自分が余裕で弾いてたフレーズをなぞるので精一杯な印象でしたが
今は腕が戻ってる事に期待したいです。



フランキー・ミラーも歌ったアンディさんの傑作曲「Be Good To Yourself」なんて演ってくれたら
私は鼻血を出して卒倒してしまうかも知れません。

・・・まぁ
色々と思うところはありますが。
チケットは既に発売中。
私も既に東京公演のチケットをGET。公演日が楽しみで御座います。

~以下、公演情報

【アンディ・フレイザー/トビー ANDY FRASER 来日公演決定】

FreeのベーシストAndy Fraserの来日公演が決定
FreeのAndy Fraserが待望の来日!
伝説のロック・バンド“Free”のヒット曲の大半を作曲し、Free Soundを支えたベーシスト“Andy Fraser”が、42年振りに来日決定!
そして、Andy自身がプロデュースする18歳の天才ギタリスト&シンガー “TOBI”の参加決定。

10/22(火) 大阪は終わってますが、詳細な情報UPは見当たらず。

いよいよ
10/24(木) 東京 渋谷 O-EASTの公演を待つのみ。



今回の演奏曲は、どんな感じになるんでしょうか?
海外のセットリスト・サイトでは今年のリストが上がってますが
およそ以下のとおりとなっています。

Andy Fraser 2013ツアー・セットリスト

Guilty
Brighten Up My Day
Lips Of Sin
Here We Go
Nothing Gonna Stop Us
All Right Now (Free song)
All Along
You And Me
Little Bit of Love (Free song)
Bad Love
Halfway There
The Stealer (Free song)
Mr. Big (Free song)
I Will Be Free
Slow Dancing In A Burning Room (John Mayer cover)
Neon (John Mayer cover)
Louisiana
Motor Bikin'
t's Not Easy
The World

フリー・ファン、アンディ・フレイザーのファン、70年代ロック・ファン、そして現役のベーシストは、ぜひ出掛けて欲しいと切に願います。

フリーの曲も演奏してくれそうだし
もう、楽しみです。

当日券もあるなら少しでも多くの人に見てもらいたいなぁ・・・。
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訃報:エミール・グリフィス氏

2013年10月22日 | ボクシング
7月23日のことです。
1960年代を中心に活躍したプロボクシングの元世界王者のエミール・グリフィス氏(米国)がニューヨーク州の施設で死去したとの事。
享年75歳。

バージン諸島出身のグリフィス氏は世界ウエルター級王者に3度、ミドル級王者に2度就き、90年には殿堂入りを果たし
ウェルター級ではベニー・パレットとルイス・ロドリゲス、ミドル級ではニノ・ベンベヌチというライバルに恵まれたキャリアでした。



1958年にアメリカでプロデビュー。
1961年、25戦目で世界タイトルに初挑戦。
世界ウェルター級王者ベニー・パレットに13回KO勝ちで王座を獲得した。
1度同王座を防衛し、9月30日にパレットと再戦。これは15回判定負けで王座から陥落した。

1962年のパレット第3戦は色々な意味でボクシング史に残る試合となった。
計量時に中傷されたグリフィスは激昂、乱闘騒ぎとなり、試合でも最後はパレットを滅多打ちにして12RTKO勝ち。
王座の奪回に成功したが、一転しての悲劇はここからだった。
パレットはリング上で昏睡状態となったまま病院に搬送されるも、意識が戻ることなく10日後の4月3日に死去したのだ。

グリフィスを中傷した言葉は「マリコン野郎」。これは同性愛者を表すもの。
のちにグリフィスは、それをカミングアウトしているから、ある意味「本当の事を言われて逆上した」とも言える。

「ウホ、いい身体」
「なに見てんだ、このマリコン野郎!」
「なにいいいい!私を怒らせたな!見てらっしゃい!」
・・・そんな遣り取りが想像される。

そして決着はつき
「グリフィス、TKO勝ち」
「やった!少しでも多くのパンチを相手に打ち込みたかった!それが叶った!」
「パレットが危険な状態だ」
「いやあああああ!!!」
・・・そんな興奮、歓喜、悲劇のシーンが立て続けにグリフィス氏を襲ったのだろう。



不謹慎な書き方で申し訳ないが、これぐらい壮絶な感情のアップダウンが
あったであろうと推察される・・・という意味です。

一時は引退も考えたといわれるグリフィスだが再起を決意。

1963年、3度目の防衛戦でルイス・ロドリゲスと対戦し、15回判定負けで王座から陥落。
それでも、同年ロドリゲスと再戦して15回判定勝ちで王座を奪回した。

1963年末には、ノンタイトル戦でルービン・ハリケーン・カーター(米)と対戦し、衝撃の初回TKO負け。
この試合はリングマガジンのアップセット・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。
カーターはミドル級の世界1位の選手で、グリフィスは現役の世界ウェルター級王者。
まだ階級の壁がブ厚かった頃のお話です。

1964年、ルイス・ロドリゲスと3度目の対戦。これは15回判定勝ちで王座の初防衛成功。
その後も防衛を続け、計4度の防衛に成功。
1964年にはリングマガジンの年間最優秀選手に選ばれた。

1966年、世界ミドル級王者ディック・タイガー(ナイジェリア)に挑戦し、15回判定勝ちで2階級制覇に成功。
(ウェルター級王座は返上)。その後、2度の防衛に成功した。

1967年、3度目の防衛戦でニノ・ベンベヌチ(伊)と対戦し、15回判定負けで王座から陥落。
同年9月にベンベヌチと再戦し、15回判定勝ちで王座を奪回した。
1968年には、ベンベヌチと3度目の対戦を行い、15回判定負けで王座から陥落した。
元アマ選手のベンベヌチとはダウンの応酬あり、ここでもライバルに恵まれた感あり。
ただし、この頃はスピードも落ちてたんじゃないかなぁ。
名勝負モノで見たかぎり色んな意味で「クラシックファイト」という気がした。

1969年、世界ウェルター級王者ホセ・ナポレス(メキシコ)に挑戦し、15回判定負けで王座再獲得ならず。
これはナポレスがコークスを返り討ちした直後、2度目の防衛戦。
無冠の帝王から悲願の世界王座奪取なって気力充実のマンテキーヤには敵わなかった。



1971年、世界ミドル級王者カルロス・モンソン(亜)に挑戦し、14回TKO負けで王座再獲得ならず。
1973年、モンソンに再挑戦するも、15回判定負け。
第一戦はロープ際で滅多打ちされてのストップ負け。
それでも再戦では研究しての出入りで前半リードし「さすがグリフィス」と識者を感心させるも、終盤は失速して判定負け。
この辺は連敗でグリフィスの時代は終わったと思われたが、世界王座返り咲きの野望は失わず。
なんとジュニアミドル級王座にも手を伸ばした。

1976年、WBC世界ジュニアミドル級王者エックハルト・ダッゲ(独)に挑戦。
際どい15回判定負けで、3階級制覇ならず。
1977年7月30日、アラン・ミンター(英)と対戦し、10回判定負け。この試合を最後に引退。

生涯戦績が、112戦85勝23KO24敗2引分1無効試合。
KO率が低いのはパレット戦の悲劇の影響とも言われるが、。

ともあれ、やはりウェルターとミドルで計5度世界王者になった名選手です。
リング誌でも表彰され、殿堂マジソンスクエアガーデン興行に数多く呼ばれた人気選手です。
亡くなったのが、ニューヨークの施設というのも感慨深いです。

元は野球選手になりたかったが、112戦もリングに上がる事になったグリフィス氏。
どうぞ、安らかにお休み下さい。
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訃報:トミー・モリソン氏

2013年10月21日 | ボクシング
いや、別にヤケになって訃報ばっか並べているワケじゃないですが。
いや、並べてますね。
訃報は凹むし。その合間に能天気なこと書き込む気しないし。
だったら、まとめてやろう・・・と。

・・・で、トミー・モリソンさんですよ。
元WBOヘビー級の元チャンピオンにして、映画「ロッキー5」に出演したことでも知られる白人さんですよ。

お亡くなりになったのは10月1日、米ネブラスカ州の病院にて。
享年44歳。
死因は明らかにされていないという。

俳優ジョン・ウェインと血縁関係ありという触れ込みで話題になったモリソン。
意外にもアマチュアボクシングで222勝20敗の戦績あり。
アマチュアのオリンピック国内予選決勝でレイ・マーサーに敗れてプロに転向している。

1988年プロデビューし、1991年に因縁のレイ・マーサーと戦うも5回TKOで敗れる。
しかし、1993年にジョージ・フォアマンに12R判定で勝利し、WBO世界ヘビー級タイトルを獲得。
白人チャンピオン誕生に沸いたが、
なんと2度目の防衛戦でマイケル・ベントに初回TKO負け。番狂わせで同王座を失う。



1995年には、ドノバン・レーザー・ラドックに6RTKOで勝利し、IBCヘビー級タイトルを獲得。
同年10月、レノックス・ルイスに7回TKOで敗れる。
1996年HIVの陽性反応を示したことが判明して引退。
その後に現役復帰したが、上位カムバックはならなかった。

通算成績は48勝(42KO)3敗1分。

スター候補だったが、肝心なトコロで倒されてしまい、王者として長期政権ならなかったのが痛かった。
※やや身体が硬く、打たれるときはモロにパンチの衝撃を
 受けてしまったんだよなぁ・・・

それでもラドックやフォアマンに勝った星は光る。
フォアマン戦などボックスして相手の強打をかわし切ったし・・・


トニー・モリソン、44歳は余りにも早すぎだ。
ただ、ここ数年は身体の不調が深刻と報じられている。

Rest in Peace 安らかに眠ってください・・・。
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訃報:高山一夫さん

2013年10月20日 | ボクシング
高山一夫さんも亡くなっていたのですねぇ・・・。

昭和30年代、プロボクシング日本フェザー級チャンピオンとして世界タイトルに2度挑戦した高山一夫さん。
9月29日に心不全のため、兵庫県内の病院で亡くなっていたとの事。
享年77歳。

神戸出身の高山さんは帝拳ジムの所属選手として強打を武器に台頭。
小坂照男や、福地健治、小林久雄、渡辺亮らとともに、帝拳ジムのスター選手となった。
※笑顔のスターが並び、両手で頬杖つく素敵なフォトがあったよなぁ・・・



昭和33年に日本フェザー級王座を獲得。
8度防衛して返上したが、「挑戦してくる選手が居なくなった」なんて伝説もある。

世界挑戦は、後楽園球場(!)特設リングにて。
相手は技も力も備えた世界フェザー級王者デビー・ムーア(米)。
マスコミが「ルノー(小型車)がダンプに衝突するようなもの」と例え、それに本田明会長が激怒した・・・なんてエピソードも有名だ。
それほど予想は圧倒的に不利だったが、しかし高山は初回に強打を決めムーアをロープまで吹っ飛ばす。
高山自身が「レフェリーが慌てて助けなければリング下に落っこってただろう」というくらいのシーンだったそうな。

その後も強打とタフネスで大善戦。技で優る王者に15回判定負けとなったものの、
「日本のボクサーは中量級では世界に通用しない」という定説を破ってみせた。

翌61年にもムーアに再挑戦するが、13回に痛烈なダウンを喫して判定負け。
※これがアッパーを突き上げられ、天から糸で吊られたように
 引っ張り上げられてから倒れる凄いダウンシーンだった・・・。



高山一夫の名勝負としては
キャリア晩年の63年、勝又行雄との倒し合いも挙げられる。
これまで何度も戦ってきた両者だったが日本王者の高山が4回に2度ダウンを奪って圧倒的優位に立つ。
このままKO勝ちかと思われた6回、勝又の右強打で逆転1発KO負け。

これまで一度もKO負けした事がないタフガイの高山だったが、
リング下から「高山さん」と言われて気持ちがそっちに行った時に食ってしまった
・・・などと、KO負けの真相(?)を後に語ってらおられ、敗れた試合が名勝負と
言われる運命のアヤを感じてしまったものです。

63年9月の試合がラストファイト。
確か、朝起きて歯磨きしてて「頭が痛いなぁ」と病院に行ったら
脳内出血が見つかった・・・とか、これまた御本人が専門誌で語っておられた記憶ありです。

世が世なら世界王者な名選手だが、世界戦がスタジアム級の会場で行われたってだけでも格が分かります。
※他は白井義男さんと米倉健司さんだけ・・・

終身戦績は、85戦60勝24KO17敗9分7EX(25KO説あり)
高山一夫さんの御冥福を心よりお祈り致します。
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訃報:やなせたかし先生、逝去

2013年10月19日 | 生活
また訃報です。

10月13日、『それいけ!アンパンマン』などの絵本漫画や
『手のひらを太陽に』の作詞で知られる漫画家のやなせたかし先生が
心不全のため東京都内の病院で亡くなったとの事。
享年94歳。

やなせ先生は、大学卒業後にグラフィックデザイナーなどを経て漫画家としてデビュー。
ただし、先鋭化するマンガに対して距離を取り、絵本作家として活動。
昭和48年に発表した「それいけ!アンパンマン」はテレビアニメになり大人気となった。



アニメは国内だけでなく、海外でも放送されて世界各地の子どもたちの人気をさらった。
また、作詞家としては『アンパンマンのマーチ』の歌詞も話題になった。

自身も戦争体験があり、実の弟さんを特攻艇『回天』で亡くしているだけに
やはり言葉の深みが違います。

一部を抜粋しますと

~そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
 たとえ胸の傷が痛んでも

 何の為に生まれて 何をして生きるのか
 答えられないなんて そんなのは嫌だ!
 今を生きることで 熱いこころ燃える
 だから君は行くんだ微笑んで。

 何が君の幸せ 何をして喜ぶ
 解らないまま終わる そんなのは嫌だ!

 忘れないで夢を 零さないで涙
 だから君は飛ぶんだ何処までも

 嗚呼アンパンマン優しい君は
 行け!皆の夢守る為

 時は早く過ぎる 光る星は消える
 だから君は行くんだ微笑んで

~アンパンマンのヒーロー像は旧来とは違う。
戦前に正義と言われたものが戦後は一変した。大人の言う正義が180度変換した。
正義とは変わる。変わらない正義は飢えた人に与える事だ・・・と。

そうして、疲れて倒れる人に自らの顔を食べさせるヒーローが誕生した・・・と。

東日本大震災、避難所で泣く子供達がラジオで流れる『アンパンマンのマーチ』を聴いて、皆泣き止んだそうだ。震災後、初めて笑顔を見せた子もいたという。

やなせ先生は、それを聞いて密かに決めていた引退を撤回したそうな。

子供は大好きだもんね、アンパンマン。
殆ど例外なし。1歳~3歳くらいの子は食いつきがハンパない。

Eテレの「いないいないばはぁ」に始まり「おかあさんといっしょ」と平行して『アンパンマン』に一気にハマるのが当世の子供事情。
※うちのちびスケもお世話になりました。
 四谷のアンパンマンショップにも行ったし、そこで先生の原画も鑑賞したし・・・



そこから『プリキュア』に移行するのには「一気に進むんだな~」と驚かされたが
※絵本から少女漫画に飛んじゃうイメージね

だからといってアンパンマンがヒーローである事には変わりません。

映画の舞台挨拶の度に壇上で歌い、場を盛り上げた“やなせ先生”も、またヒーローでした。
最後は癌の手術と再発、視力の低下で執筆も制限されたが、病床で制作活動を続けたそうです。

おつかれ様でした、やなせ先生。
ゆっくりお休み下さい。

やなせたかし先生の御冥福を心からお祈り致します。
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訃報:俳優で声優の檀臣幸さん死去 

2013年10月18日 | プリキュア
プリキュア声優さんの訃報です・・・。

10月10日、
『スイートプリキュア』で主人公の父親=北条団の声を担当した、
俳優で声優の檀臣幸(だん・ともゆき)さんが
再発性大動脈乖離のため自宅で亡くなったとのこと。

Vガンダムではクロノクル、仮面ライダーWでは井坂深紅郎役なども演じておいでです。
享年50歳。
若い声優さんからも慕われており、本名陽子さんも悲しみのコメントを残されている。

『スイートプリキュア』主人公・響を演じた小清水亜美さんは、ブログで
「パパ…もう会えないの?」
「寂しいよ…」
~とショックを隠せない心情を表しておいでです・・・。

歴代のパパと比べても個性のある父親像でしたね。
高名なオーケストラ指揮者でもある団は、幼き響を音楽嫌いにさせた原因でもあった。



ピアノ奏者を目指していた幼き響を代役のピアニストとして演奏会に出場させながら
「今日の響は音楽を奏でてないね」
「分からなかったら、自分で考えなさい」

なんて、雲を掴むような芸術家コメントをニコニコしながら述べてくる。
訳が分からなくなった響は「私はパパのような天才じゃない!」と
音楽から遠ざかり、別の才能でもあるスポーツに熱中し学内の人気者となる。

そんな響を笑顔で見つめる団パパは
音楽に戻って欲しいと言う訳で無し、スポーツ万能少女として活躍する娘を
喜んで見つめている様子でもある。

なんか大らか。
天才コメントしても嫌味なし。朝から交響楽聴きながらマイペースで指揮の練習。
音楽とは距離を置いている響も、父親との関係は悪いワケじゃなく、仲は良い。
むしろ慕ってるし、パパも娘を暖かく見守ってる感じ。

悪役のネガトーンが雑音で攻撃してきても、なぜかパパには効かず。
※さすがに戦いが熾烈になった終盤はそうはいかなかったけど



物怖じしないキャラで、プリキュア登場にも平然としてた。
そういうキャラも、結局は声が伴わないと成立しません。

長々と団パパのキャラを語ってしまいましたが
その魅力ある団パパも、檀臣幸さんが声を演じていたからこそ・・・と言いたかったワケです。

正直、すごく馴染みある声優さん・・・ではありませんでしたが
団パパの事だけで、これだけ語れる魅力ある人だったんだ・・・と、痛感します。

檀臣幸さんの御冥福を心よりお祈り致します。
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