今週の題名のない音楽会「スポーツの祭典の音楽会」。
解説においてはスポーツライターでクラシック評論家でもある、
玉木正之さんの独壇場だったワケだが。
いきなり
「オリンピックに芸術部門があった」
「期間中は芸術祭も同時に開催される」などなど…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/74/febbafc0f36b84a81c27fc22f1a523c1.jpg)
そもそもギリシアの古代オリンピックでは、スポーツ競技のみ
ならず、詩の朗読や竪琴、彫刻や絵画などの「芸術競技」も
行われたという。
そこで、近代オリンピックの創始者であるクーベルタン男爵は
「芸術競技」も正式競技として採用。
1912年のストックホルム大会から1948年の第14回ロンドン大会まで、
絵画・彫刻・音楽全般などの芸術ジャンルも五輪正式競技種目と認定。
メダルも与えられたそうだ。
1952年のヘルシンキ大会以降は正式競技からは外されたが、五輪開催
都市は今も「芸術週間」を設けて、「芸術祭」を開催することが、
オリンピック憲章で義務づけられているという説明もあり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/36/f3100c4a25f800cc9af62d9d9e0c1cc1.jpg)
たとえば2000年のシドニー五輪。
高橋尚子選手が金メダルを獲得したマラソンコースの背後に何度も
映し出されたオペラハウスでは、連日のようにオペラがオリンピック
芸術祭として上演されていたという。
ほかにも絵画展や映画祭なども行われ、『鉄腕アトム』や
『ジャングル大帝』『もののけ姫』などの日本のアニメも
上映されていたそうだ。
司会の五嶋龍氏に「時期が時期ならオリンピックに出られていたよ」と
話を振ると「ぜひ出たいです!」と一気の盛り上がり。
※五嶋氏と玉木氏は旧知の仲。~というか、五嶋氏の幼少期から
知っているそうな。
意外と言っちゃなんだが、五嶋氏は文武両道を地で行く人物で
NYの街を空手胴着でランニングしていたという!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/a7/e85e5485e803e4285f980d716e62eb35.jpg)
さてさて
スポーツとクラシック音楽の結びつきは、オリンピックに限らず。
たとえば1990年のワールドカップサッカー・イタリア大会の決勝
前夜には、パヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラスの「三大テナー」が
ローマで歌い合い、オリンピック以上とも言われる規模の世界大会を
盛り上げた。
この時は重病から復帰したカレーラスを祝い、チャリティとして
行われたが。
これが余りにも評判が良かったため「三大テナー・コンサート」は
4年に一度のW杯サッカーの恒例行事となったという。
そもそもカレーラス復帰を祝ってといいつつも、サッカー好きの三人は
「ぜひW杯の期間中に」と決めたというし。
いまは亡き大テノール歌手のパヴァロッティは、高校時代にはゴール
キーパーとしてイタリアの全国大会に優勝したほどの実力あり。
一時は「歌手になるかプロのサッカー選手を目指すか」悩んだ
なんていうエピソードがあるのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/1d/9ad01374ea04510e5ca2359766f7942a.jpg)
クラシック楽団もサッカーチームを結成し、親善試合が行われるのも
好例なんだそうな。
※これはHR話だが、サッカーファンのリッチー・ブラックモアの
来日時に日本のレコード会社の急造(?)チームと「親善試合」を
行なったなんて話を思い出しましたよ。
気を使ったろうなぁ。ある意味で接待試合だもんねぇ~。
最後の東京五輪エピソードには私も感動…。
やっぱ終戦後アジア初の五輪ですからね。
玉木さん宅に皆が集まり、大人は笑顔だけど泣きながら各国選手の
入場を見たなんてグッときますよ。
泣かせるだけじゃないのが玉木さんで、作曲者の古関裕而先生を
早稲田大学応援歌、慶應大学応援歌を作曲したマーチ作りの名手と
紹介しつつも「六甲おろし」のエピソードも披露。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/5b/5222c224c5cc23162c900c0b7fdd8008.jpg)
阪神優勝でブームになった時、
「先生、凄いブームになってますよ!」と言いに行くったら
「そんな曲、作ったっけ?」と返事され、
玉木氏、思いっ切りコケちゃった…なんてオチで会場は大笑い
~なんて事もありました。
※浪速のモーツアルトみたいなエピソードで御座います。
古関先生の作曲量も相当のモノでしょうからねぇ…。
意外だったのは
最後の1964東京オリンピックのテーマを五嶋龍氏が「初めて聴きます」と
語った事。これには驚いた…。
※好青年の五嶋氏、ウソはつけなかったんでしょうね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/d1/15b7099864b60ec73a186516151d73fb.jpg)
ちなみに収録終わった直後に「サプライズ」あり。
なんと五嶋氏の誕生日ケーキが登場。ハッピーバースデーの合唱。
「まさか」と本当に感激しまくる五嶋クン。
声を震わせながら感謝の挨拶。なんて素直なナイスガイなんでしょ!
※ここをTVがカットしたのは意外!
当日、外は蒸し暑い夕刻だったが、会場内は爽やかな空間でありました。
スポンサーの出光興産さん偉い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/f3/687616c040b05a183a3ea6a613784b56.jpg)
外資系と合併なんてしなくてイイです。
芸術文化活動を支援する企業として、これからも活動を継続して
欲しいと思います。
「題名のない音楽会」
これからも毎週楽しみにしていますよ。
機会があれば、また観覧に出かけたいとも思いました。
解説においてはスポーツライターでクラシック評論家でもある、
玉木正之さんの独壇場だったワケだが。
いきなり
「オリンピックに芸術部門があった」
「期間中は芸術祭も同時に開催される」などなど…。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/74/febbafc0f36b84a81c27fc22f1a523c1.jpg)
そもそもギリシアの古代オリンピックでは、スポーツ競技のみ
ならず、詩の朗読や竪琴、彫刻や絵画などの「芸術競技」も
行われたという。
そこで、近代オリンピックの創始者であるクーベルタン男爵は
「芸術競技」も正式競技として採用。
1912年のストックホルム大会から1948年の第14回ロンドン大会まで、
絵画・彫刻・音楽全般などの芸術ジャンルも五輪正式競技種目と認定。
メダルも与えられたそうだ。
1952年のヘルシンキ大会以降は正式競技からは外されたが、五輪開催
都市は今も「芸術週間」を設けて、「芸術祭」を開催することが、
オリンピック憲章で義務づけられているという説明もあり。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/36/f3100c4a25f800cc9af62d9d9e0c1cc1.jpg)
たとえば2000年のシドニー五輪。
高橋尚子選手が金メダルを獲得したマラソンコースの背後に何度も
映し出されたオペラハウスでは、連日のようにオペラがオリンピック
芸術祭として上演されていたという。
ほかにも絵画展や映画祭なども行われ、『鉄腕アトム』や
『ジャングル大帝』『もののけ姫』などの日本のアニメも
上映されていたそうだ。
司会の五嶋龍氏に「時期が時期ならオリンピックに出られていたよ」と
話を振ると「ぜひ出たいです!」と一気の盛り上がり。
※五嶋氏と玉木氏は旧知の仲。~というか、五嶋氏の幼少期から
知っているそうな。
意外と言っちゃなんだが、五嶋氏は文武両道を地で行く人物で
NYの街を空手胴着でランニングしていたという!
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/a7/e85e5485e803e4285f980d716e62eb35.jpg)
さてさて
スポーツとクラシック音楽の結びつきは、オリンピックに限らず。
たとえば1990年のワールドカップサッカー・イタリア大会の決勝
前夜には、パヴァロッティ、ドミンゴ、カレーラスの「三大テナー」が
ローマで歌い合い、オリンピック以上とも言われる規模の世界大会を
盛り上げた。
この時は重病から復帰したカレーラスを祝い、チャリティとして
行われたが。
これが余りにも評判が良かったため「三大テナー・コンサート」は
4年に一度のW杯サッカーの恒例行事となったという。
そもそもカレーラス復帰を祝ってといいつつも、サッカー好きの三人は
「ぜひW杯の期間中に」と決めたというし。
いまは亡き大テノール歌手のパヴァロッティは、高校時代にはゴール
キーパーとしてイタリアの全国大会に優勝したほどの実力あり。
一時は「歌手になるかプロのサッカー選手を目指すか」悩んだ
なんていうエピソードがあるのだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/1d/9ad01374ea04510e5ca2359766f7942a.jpg)
クラシック楽団もサッカーチームを結成し、親善試合が行われるのも
好例なんだそうな。
※これはHR話だが、サッカーファンのリッチー・ブラックモアの
来日時に日本のレコード会社の急造(?)チームと「親善試合」を
行なったなんて話を思い出しましたよ。
気を使ったろうなぁ。ある意味で接待試合だもんねぇ~。
最後の東京五輪エピソードには私も感動…。
やっぱ終戦後アジア初の五輪ですからね。
玉木さん宅に皆が集まり、大人は笑顔だけど泣きながら各国選手の
入場を見たなんてグッときますよ。
泣かせるだけじゃないのが玉木さんで、作曲者の古関裕而先生を
早稲田大学応援歌、慶應大学応援歌を作曲したマーチ作りの名手と
紹介しつつも「六甲おろし」のエピソードも披露。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/5b/5222c224c5cc23162c900c0b7fdd8008.jpg)
阪神優勝でブームになった時、
「先生、凄いブームになってますよ!」と言いに行くったら
「そんな曲、作ったっけ?」と返事され、
玉木氏、思いっ切りコケちゃった…なんてオチで会場は大笑い
~なんて事もありました。
※浪速のモーツアルトみたいなエピソードで御座います。
古関先生の作曲量も相当のモノでしょうからねぇ…。
意外だったのは
最後の1964東京オリンピックのテーマを五嶋龍氏が「初めて聴きます」と
語った事。これには驚いた…。
※好青年の五嶋氏、ウソはつけなかったんでしょうね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/d1/15b7099864b60ec73a186516151d73fb.jpg)
ちなみに収録終わった直後に「サプライズ」あり。
なんと五嶋氏の誕生日ケーキが登場。ハッピーバースデーの合唱。
「まさか」と本当に感激しまくる五嶋クン。
声を震わせながら感謝の挨拶。なんて素直なナイスガイなんでしょ!
※ここをTVがカットしたのは意外!
当日、外は蒸し暑い夕刻だったが、会場内は爽やかな空間でありました。
スポンサーの出光興産さん偉い。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/f3/687616c040b05a183a3ea6a613784b56.jpg)
外資系と合併なんてしなくてイイです。
芸術文化活動を支援する企業として、これからも活動を継続して
欲しいと思います。
「題名のない音楽会」
これからも毎週楽しみにしていますよ。
機会があれば、また観覧に出かけたいとも思いました。