あるBOX(改)

ボクシング、70年代ロック、ヲタ系、日々の出来事などをウダウダと・・・

モット・ザ・フープルの元ドラマー、デイル・グリフィン死去

2016年01月19日 | 英国ロック
1月17日、モット・ザ・フープルの元ドラマー、
デイル・グリフィンが亡くなった。享年67歳。

ここ数年、アルツハイマーとの闘病生活を送っており、
亡くなった原因はそれによる合併症。
睡眠中、安らかに息を引き取ったとの事。

モット・ザ・フープルのオリジナル・メンバーだったデイル・
グリフィン(d)は1969年から1976年の解散までフープルに
在籍した。

フープル解散後は、モットやブリティッシュ・ライオンズの
メンバーとして音楽活動を続け。
80年代にはプロデュース会社を設立して幾つかのバンドの
アルバムを手掛けた。英BBCラジオで「ジョン・ピール・
セッション」のプロデューサーとしても活躍したとの事。


※フープルのグループフォト
 左隅にいる、ミケランジェロ・ブオナローティが
 描いたような顔をした男性がデイル・グリフィンだ。 

プロデューサーとしては、BBC向けのセッションを数多く担当。
その数は2000回を超えると言う。
パンク・ハードコアのバンドを手掛ける事も多く、実はパンク
バンドもモットに憧れた者が少なくないゆえ、関係良好な事が
多かった・・・なんて話も。

58歳の時にアルツハイマーと診断されたグリフィンは、
その為に2009年10月のデビュー40周年記念の再結成
ライヴでも参加したのはアンコールのみ。
セカンド・ドラマーとして演奏したという。

2011年にはモット・ザ・フープルのヒストリー映画とも
いえる「すべての若き野郎ども/モット・ザ・フープル」が
公開された。
※原題は「Ballad Of Mott The Hoople」英国 101分
 アイランド所属のモットは、名物(奇人?)プロデューサー
 ガイ・スティーブンスに、そうとう振り回されてた模様・・・。

1月10日に亡くなったデヴィッド・ボウイがモットに提供して
大ヒットした「すべての若き野郎ども」が頭に鳴り響く。
そして「ロックンロール黄金時代」「メンフィスからの道」・・・。

デイル・グリフィンよ、安らかに。

ジョルジオ・ゴメルスキー亡くなる

2016年01月19日 | 洋楽
1月13日、ザ・ローリング・ストーンズ初代マネージャーの
ジョルジオ・ゴメルスキー氏が癌で亡くなった。82才。

60年代、ロンドンのクロウダディ・クラブを所有しいた彼は、
ザ・ローリング・ストーンズを箱バンとして起用。

1963年にアンドリュー・ルーグ・オールダムに代わるまで、
ゴメルスキーはザ・ローリング・ストーンズのマネージャーを
務めた。

当時の英国ロックは百花繚乱の時期(またはその前夜)。
ストーンズの後釜として白羽の矢が当たったのはヤードバーズ。

立て続けに人気バンドを手掛けるゴメルスキー氏にも注目が
集まった。



ストーンズとの決裂後はバンドと反目。「スタジアムで演奏して
大金を稼ぐ方法に誘惑されてしまった」とコメントしている。
※これには私も同意です。

60年代後半にはレコード・レーベルを運営。
結果的に短命なレーベルとなったが、契約アーティストには
ブライアン・オーガー、ジュディ・ドリスコール、ジョン・
マクラフリンなどが居たという。

プロデューサーとしても、関わったミュージシャンには
アレクシス・コーナーやグラハム・ボンド、ジェフ・ベック、
ジミー・ペイジ、ロッド・スチュアート、ソフト・マシーンら
(主に初期)の名前が挙がっている。

そうなんですよ、
ストーンズやモッズシーン絡みで胡散くさい(過剰な)仕掛け人の
ように思われるゴメルスキー氏ですが、ジャズ・ロックなどの
プログレ畑でヨーロッパ~英国の橋渡しをした人物でもあるんですよね。

その後、ニューヨークに移住したゴメルスキー氏は、ポスト・
パンクのバンドを手掛けたり、クラブやスタジオを経営したり、
クラブDJを務めたり・・・と自由な活動していたという話。

若い素材を見いだし、そのミュージシャンが自力でスタジオ・
ワークやプロデュースを行なえるようになるまでの後見人の
ような・・・そんな印象でした。

※ゴメルスキー氏本人はズッと手の中にしときたかったけど、
 相手が羽ばたいて行ってしまったのかな・・・。

60年代もっとも熱かったロンドン音楽界で活躍した人物。
ジョルジオ・ゴメルスキー氏よ、安らかに。

協栄ジムの元トレーナー新井史朗氏が横浜市にジムをオープン

2016年01月19日 | ボクシング
1月17日、協栄ジムの元トレーナー新井史朗氏(42才)が
会長を務めるK&Wジムが横浜市内にオープン。
記念パーティーが行われたとの事。

新井氏が20年のトレーナー・キャリアで関わった世界王者は
勇利アルバチャコフ(WBCフライ級)、
オルズベック・ナザロフ(WBAライト級)、
亀田興毅(協栄ジム当時はWBAライトフライ級)、
佐藤洋太(WBCスーパーフライ級)ら合計6人。

「直々に育てた」とは言えない選手もいるが、旧ロシア選手など
トレーナーとして同伴してきたジミン氏から吸収した部分も
多かっただろう。

オープンに馳せ参じた佐藤洋太氏(31才)はエールを送り、
ジムの垣根を越えて駆けつけたWBO世界スーパーフライ級王者
井上尚弥(22才/大橋)も自身のホームタウンに近い場所にジムが
出来た事を喜んだ様子だったとの事。

駆けつけたのは和気慎吾、井上拓真のトップ選手のほか、大橋秀行
日本プロボクシング協会会長、ファイティング原田名誉会長や、
協栄ジムOBの佐藤修、坂田健史ら元世界王者も。

なお、K&Wジムの住所は、横浜市緑区十日市場町。
駅から徒歩で約2分という好立地。

ジムと同じ建物内にはサウナやプールも併設されてるという。
※おっ、スイミング・プールがあるの!?

~というか、
ビルの3フロアを占める「協栄スポーツクラブ十日市場」内にある
のがK&Wジムで。
神奈川県内や中国北京にスイミングクラブを数ヵ所展開する、
若林敏朗氏(75才)に誘われ、新井氏がプロジム設立に乗り出した
そうだ。

同ジムは既に日本プロボクシング協会に加盟、若林氏が代表だとの事。

~というか、
若林敏朗氏といえば協栄グループの「協栄スイミングクラブ町田」の
代表として聞き覚えあるお名前じゃないか!

元ボクサーにして故・金平正紀氏の側近だった人物じゃないか!

私、「自称マスターズ・スイマー」だった頃、都内から町田まで
フリーで泳ぎに行って、その時に「代表」として現場で名前を見てる
じゃないか!(2005年の事でした・・・)

http://blog.goo.ne.jp/aru-rodgers/s/%BC%E3%CE%D3%C9%D2%CF%AF

協栄グループ、頑張ってらっしゃるなぁ。
「協栄スイミングクラブ町田」のHPなんて見ると、ホント地元の
ちびっ子やマスターズの皆さんに楽しく過ごしてもらおうと努力されて
いると感じますよ・・・。

町田協栄スイミング・プールにも、実はボクシングジムが併設されて
いたんですよね。

今回はビル3フロア分だから、もっと規模が大きいって事か。
いいなぁ、ウチの近くにも出来ないかなぁ。

・・・なんて、最近は運動不足な私が言っても説得力ないか。

2015年のMVP候補は内山高志、山中慎介、井岡一翔

2016年01月19日 | ボクシング
1月18日、都内にてボクシング2015年年間表彰の
ノミネート会議が開かれた。
日本ボクシングコミッションと東京運動記者クラブ・
ボクシング分科会は、各賞の候補者を決定。

最優秀選手賞(年間MVP)は、
世界王座11度防衛中のWBA世界Sフェザー級スーパー王者
内山高志(ワタナベ)、
9度防衛中のWBC世界バンタム級王者・山中慎介(帝拳)、
世界3階級制覇を達成したWBA世界フライ級王者・井岡一翔
(井岡)の3人を候補として選出した。

タイトルマッチが対象となる年間最高試合賞には、
山中慎介vsアンセルモ・モレノ
三浦隆司vsフランシスコ・バルガス
八重樫東vsハビエル・メンドサ
井岡一翔vsファン・カルロス・レベコ第二戦の4試合が候補に
上がった。

表彰は22日に発表される。
「ファイト・オブ・ザ・イヤー」はバルガスvs三浦だろうが、
MVPは誰になるか予想がつかない。

内山の強さも圧巻だったが、あまりにも圧勝続きだったし、
山中もモレノ戦は接戦だった。
井岡の三階級制覇も相性のイイ相手を選んでのモノだったし
(それでも再戦でのKOは立派だったが)、なかなか難しい。

実際、階級の違う国内ライバルの競い合いは、各々が どれだけ
強い相手に勝っていくか・・・で測られる。

2015年は誰がなっても恨みっこなし。
2016年が勝負。

そんな気がしますねぇ。