1月17日、モット・ザ・フープルの元ドラマー、
デイル・グリフィンが亡くなった。享年67歳。
ここ数年、アルツハイマーとの闘病生活を送っており、
亡くなった原因はそれによる合併症。
睡眠中、安らかに息を引き取ったとの事。
モット・ザ・フープルのオリジナル・メンバーだったデイル・
グリフィン(d)は1969年から1976年の解散までフープルに
在籍した。
フープル解散後は、モットやブリティッシュ・ライオンズの
メンバーとして音楽活動を続け。
80年代にはプロデュース会社を設立して幾つかのバンドの
アルバムを手掛けた。英BBCラジオで「ジョン・ピール・
セッション」のプロデューサーとしても活躍したとの事。
※フープルのグループフォト
左隅にいる、ミケランジェロ・ブオナローティが
描いたような顔をした男性がデイル・グリフィンだ。
プロデューサーとしては、BBC向けのセッションを数多く担当。
その数は2000回を超えると言う。
パンク・ハードコアのバンドを手掛ける事も多く、実はパンク
バンドもモットに憧れた者が少なくないゆえ、関係良好な事が
多かった・・・なんて話も。
58歳の時にアルツハイマーと診断されたグリフィンは、
その為に2009年10月のデビュー40周年記念の再結成
ライヴでも参加したのはアンコールのみ。
セカンド・ドラマーとして演奏したという。
2011年にはモット・ザ・フープルのヒストリー映画とも
いえる「すべての若き野郎ども/モット・ザ・フープル」が
公開された。
※原題は「Ballad Of Mott The Hoople」英国 101分
アイランド所属のモットは、名物(奇人?)プロデューサー
ガイ・スティーブンスに、そうとう振り回されてた模様・・・。
1月10日に亡くなったデヴィッド・ボウイがモットに提供して
大ヒットした「すべての若き野郎ども」が頭に鳴り響く。
そして「ロックンロール黄金時代」「メンフィスからの道」・・・。
デイル・グリフィンよ、安らかに。
デイル・グリフィンが亡くなった。享年67歳。
ここ数年、アルツハイマーとの闘病生活を送っており、
亡くなった原因はそれによる合併症。
睡眠中、安らかに息を引き取ったとの事。
モット・ザ・フープルのオリジナル・メンバーだったデイル・
グリフィン(d)は1969年から1976年の解散までフープルに
在籍した。
フープル解散後は、モットやブリティッシュ・ライオンズの
メンバーとして音楽活動を続け。
80年代にはプロデュース会社を設立して幾つかのバンドの
アルバムを手掛けた。英BBCラジオで「ジョン・ピール・
セッション」のプロデューサーとしても活躍したとの事。
※フープルのグループフォト
左隅にいる、ミケランジェロ・ブオナローティが
描いたような顔をした男性がデイル・グリフィンだ。
プロデューサーとしては、BBC向けのセッションを数多く担当。
その数は2000回を超えると言う。
パンク・ハードコアのバンドを手掛ける事も多く、実はパンク
バンドもモットに憧れた者が少なくないゆえ、関係良好な事が
多かった・・・なんて話も。
58歳の時にアルツハイマーと診断されたグリフィンは、
その為に2009年10月のデビュー40周年記念の再結成
ライヴでも参加したのはアンコールのみ。
セカンド・ドラマーとして演奏したという。
2011年にはモット・ザ・フープルのヒストリー映画とも
いえる「すべての若き野郎ども/モット・ザ・フープル」が
公開された。
※原題は「Ballad Of Mott The Hoople」英国 101分
アイランド所属のモットは、名物(奇人?)プロデューサー
ガイ・スティーブンスに、そうとう振り回されてた模様・・・。
1月10日に亡くなったデヴィッド・ボウイがモットに提供して
大ヒットした「すべての若き野郎ども」が頭に鳴り響く。
そして「ロックンロール黄金時代」「メンフィスからの道」・・・。
デイル・グリフィンよ、安らかに。