有田芳生の『酔醒漫録』

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吉村昭の長崎へ

2009-01-23 08:56:27 | インポート

1月22日(木)役員会を終えて長崎へ。板橋を離れたくないのだが、やむない事情が生ずるのが浮き世というもの。浜松町からのモノレールで「産経抄」を書いていた石井英夫さんの講演を読む。文章の秘訣として、「短く、鋭く、素直に」と指摘あり。ハッとした。「辻説法」もまた然り。機内ではバラク・オバマ大統領の就任演説を読む。リンカーンやケネディのような名演説を期待したむきも多かったが、内容はきわめて地味なもの。危機的現実を踏まえれば当然とジェラルド・カーティス教授。人種差別に触れたくだりで涙腺が緩んでしまった。ホテルに荷物を置き、敬愛する作家・吉村昭さんが、しばしば通った「はくしか」で淡味のおでん美味。「雲龍亭」で餃子を食べ、ホテルに戻る。草野裕さんに連絡。草野仁さんお勧めの「庚楽」(かんろ)に明日行こうと場所を聞けば、営業は夜から。それでは飛行機に間に合わない。よしと着替えて再び思案橋へ。


自転車で大山を走る

2009-01-22 09:03:44 | 東京・板橋

 1月21日(水)東武練馬駅で朝の訴えを終わり、大山へ。「骨は若いね」と初海茂院長。背中の傷は落ち着いたが、こんどは左膝だ。歩いていると違和感を感じるようになった。レントゲンを撮って診断してもらうと「左の腰からきている」という。運動不足を解消すれば大丈夫とのこと。そういえば「病院に行くつもり」で通っていたジムも今年はまだ1回も行っていない。大山にも加圧トレーニングのジムができたので、そこに通うかとも迷う。1週間に30分の運動だ。歩数計は毎日軽く1万歩を超えている。しかしこれでは運動をしたことにはならない悩み。1日の後半戦は自転車活用。「華八」店主の自転車を借りて、女将とともに大山を走る。さすが長年にわたって商売を続けてきた人脈は強い。多くの店にご挨拶、ポスターも快く貼ってくださる。


オバマ演説の新鮮さ

2009-01-21 05:55:29 | 人物

 1月20日(火)バラク・オバマ大統領の就任式に200万人もの人たちが集まったという。現地でその瞬間を経験できる長女はうらやましい限りだ。翻ってこの日本の政治。他者への批判ばかりでは主権者はついてこないだろう。これまでのオバマ演説を聞いてそう思う。事務所を出たところを小さな女の子が歩いていた。半ズボンの寒そうな姿。しかもひとりなので、あれっと気になった。午後の街宣に出かけるとき、こんどは反対方向に歩く姿が眼に入った。しかも涙ぐんでいる。これはおかしいと声をかけると「お姉ちゃんがいないの」という。話を聞いても要領を得ないのはまだ4歳ぐらいだから。「おうちはどこ」と聞いて、そこへ向かおうとしたときに、たまたま保育士さんに出会った。「うちの園児です」というのでホッとする。保育園は休園。女の子は風邪を引いていたので自宅にいたようだ。ところが姉はどこかに出かけたので、不安になって自宅を出た。母親は仕事なのだろう。一安心して重点地域へ。せっかく貼っていただいたポスターが剥がされているので、再度お願いに行く。その上にある他党のポスターは健在だった。ある商店などは「ここは自民党と公明党の土地だから貼らない方がいいぞ」と客に言われたそうだ。それでも貼ってくださっているうれしさ。創価学会員が営むある商店も快く応じてくださった。戸別に訪問して大山事務所。初海整形外科で背中の抜糸跡を見てもらい、夜は中野で「日本の医療を守る市民の会」の勉強会。講師は東京保険医協会事務局次長の栗林令子さんで、テーマは混合診療の是非。


カラオケの発明者が大山にいた!

2009-01-20 09:46:32 | 東京・板橋

1月19日(月)090119_15200001 早朝の東武練馬駅での訴えを終えて、大山、下赤塚、大山西町と歩く。60年も営業している総菜屋を発見。「ふかし卵」が美味しい。大山に戻ってきたとき、あるタバコ屋のご主人と会話をしていてびっくり。日本で初めてカラオケ機器を作ったと教えられたからだ。根岸重一さんである。これまでカラオケを発明したとして別人が報じられている。それはビジネス化した人物であって、世界に広がったカラオケ機器は、実は根岸さんの発想によるものであった。根岸さんが特許も意匠登録も取らなかったのは、1967年当時としては大金の20万円から30万円もするからであり、手続きに3年かかるからだという。零細企業を営む根岸さんにそんな余裕はなかった。こうしたことの詳細は鳥賀陽弘道さんの『カラオケ秘史』(新潮新書)がはじめて明らかにした。カラオケの「幻の発明者」は板橋の大山にいたのだ。その根岸さんが手作りで制作している「かもめ」を実費で譲っていただき、事務所の入り口に飾る。帰宅して歩数計を見れば、17150歩になっていた。


巣鴨「刺抜き地蔵」で拉致問題を訴える

2009-01-19 05:55:15 | 東京・板橋

 1月18日(日)1232272205 巣鴨の刺抜き地蔵通り商店街で東京ブルーリボンの会、拉致問題を考える川口の会、そして特定失踪者のご家族など35人で拉致問題の解決を求める署名運動。2時間ほどで約900人の署名が集まった。議員は新年会が忙しいらしく誰も参加できず。ならばやるしかあるまいとハンドマイクで7回から8回ほど訴える。終わり近くになって保守系議員の方が駆けつけてくれた。身辺防衛上のいくつかのアドバイスをいただく。近くの店で「塩大福」を買って大山の事務所へ。リーフレットを持って歩く。大谷口町で御夫婦に声をかけられた。後援会の案内が入っていたけれど、周囲のこともあるので入会はできないとのこと。「でも寄付をしようと思って事務所に伺おうと話していたんですよ」。ありがたいことだ。永田町では第二次補正予算の「3分の2」条項による衆議院採決で自民党議員の造反があるはずだから、内閣総辞職で総裁選挙を行うか、解散だという話が流れている。何が起ろうとも、とにもかくにも歩け、歩け!


チェ・ゲバラの恐怖心

2009-01-18 09:49:25 | 人物

 1月17日(土)阪神大震災からもう14年。あのとき取材でニューヨークにいた。最初は「小さな地震」との報道からどんどん犠牲者が増えていった驚き。紀伊国屋書店の前にそのお名前が貼り出されていたことをいまも鮮明に思い出す。「区からの補助金も使って耐震工事をしました」と岡田裕之・法政大学名誉教授。ご自宅で「きけわだつみのこえ」について依頼を受ける。成増、赤塚新町を歩く。自民党あるいは公明党のポスターが貼ってあるところでも快くポスターを貼らせていただく。都内某所へ。統一教会に反対する家族の会で報告、後援会リーフレットを配布。再び板橋へ戻る。電車のなかで戸井十月さんの『ゲバラ最期の時』(集英社)を読みはじめる。チェ・ゲバラがはじめから優れたゲリラ兵士であったわけではないと、当時をいっしょにすごしたオルランド・ボレーゴが証言。時代と環境のなかで人間は変わっていくのだ。ボレーゴはこうも語っている。「チェだって人間だから、恐怖心は当然あっただろう。問題は、それを乗り越えられるだけの信念なり意識があるかどうかなんだ」。意識が鮮明で強固であることなのだという。


事務所周辺に異変あり

2009-01-17 10:36:49 | 東京・板橋

 1月16日(金)090116_16540001 どうせ同じ1日ならば少しはアクセントをと思い、「万歩計」を持って歩くことにした。正確には「3Dセンサー搭載歩数計」。板橋で街宣をしているときにしばしば通る「タニタ」の製品で、ポケットに入れておくだけでいい。下赤塚での訴えを終えて大山の事務所へ。選挙管理委員会の許可証を貼った看板に異変があることを発見。吐瀉物が塗りたくってある。高さのある看板上方に吐けるはずがない。嫌がらせかといぶかしく思うが根拠はない。民主党本部に「板橋の候補者は誰か」と問い合わせた若木町のある商店に向かい、しばらく懇談。快くポスターを貼ってくださり、その周辺を戸別におじゃまして挨拶。午後遅くに事務所に戻り、昼食に「福しん」の手もみラーメン。380円でこれがさっぱりして美味しいのだ。整形外科、耳鼻咽喉科に行った帰りに周辺を歩き、何軒かでポスターを貼ってくださる。夕方の空気にもほのかに春の気配を感じる。

 事務所に戻るときに再び異変を発見。ある商店に貼っていただいたポスターが、おそらくカッターナイフで縦に切り裂かれていた。その上にある他党のポスターはそのままで変化がない。剥がそうとした跡があるから、それがうまくいかずイライラして切り裂いたのだろうか。看板にポスター。同一道路上の行為だ。そういえば先日の朝もこんなことがあった。スタッフが事務所に入ろうとしたとき、玄関ドア前に犬の糞が塗りたくってあった。おかげで清掃用箒が匂いで使えなくなった。これまた意図的行為の可能性が出てきた。夜になり地元有力者の訪問を受ける。時間ができたのでハッピーロードにある大地屋書店。有馬哲夫さんの『昭和史を動かしたアメリカ情報機関』(平凡社新書)を入手。ポスターを貼ってくれている喫茶店でホット一息。8時からはこれまた地元有力組織の役員さんたちと懇談。帰宅すると歩数計は1万歩を軽く超えていた。


ある一致

2009-01-16 06:27:35 | 東京・板橋

 1月15日(木)役員会を終えて国会経由で大山の事務所。Iさんの運転で成増、赤塚、蓮沼。再び事務所の戻ればD君がこれまでポスターを貼っていただいたところに赤いピンマップを刺してくれていた。整形外科へ。背中の傷はまだまだ。事務所を出て上板橋へ。文藝春秋の羽田昭彦さんの年賀状にこんな内容があったことを思い出した。昨年10月10日に「ロス疑惑」の三浦和義さんが自殺した。マスコミは気付かなかったが、その日は、銃撃を受けてその後亡くなった妻の一美さんとの結婚披露の記念日だったという。偶然なのか、それとも意味があったのだろうか。


小沢一郎代表が突然やってきた

2009-01-15 09:00:46 | 東京・板橋

 1月14日(水)Unknown 「やぁー」と言って民主党の小沢一郎代表が大山の事務所にいきなり入ってきた。本蓮沼の駅頭でリーフレットを配布し、地元に戻り、さらに周辺を歩いて戻ってきた午後のことだった。最近の情況を伝えて、いくつかのアドバイスをいただく。今朝も自民党のポスターを貼っていたお宅に挨拶に行ったところ、快くポスターを貼ってくださった。そうした経験のいくつかを伝えたところ、「もう自民党支持というのは崩れているんだよ」と小沢さん。世論調査の結果がこれほど大きく変化したことはないというのだ。とはいえ、ここ東京11区ではまだまだ課題が多いとお伝えする。記念に何枚か写真を撮ったところで小沢さんは事務所を去っていった。そのすぐあとに新聞三社、通信社一社がやってきて「小沢さんは何と言っていましたか」と取材を受ける。「大衆のなかへ」につきる。さらに千客万来。作業をしていた次女の後輩と祖母、さらには民主党員のNさん、ボランティアのNさんがやってきて作業を手伝ってくれた。さらには朝の駅頭ではじめてお会いした古参自民党員から電話があり、ポスターを貼ってくれる会社を紹介していただく。さっそく貼りにでかける。ありがたいのはこうした人の縁だ。北朝鮮問題で情報が入ってきた。オバマ政権は2月16日の金正日誕生日、あるいは4月15日の金日成誕生日に、国務省高官(ヒラリーの可能性もあり)が訪朝する予定だという。すでに国交回復後の大使館予定地も決まっているそうだ。日本では拉致問題での新たな行動が求められている。


新・路上の光景(9)

2009-01-14 06:02:01 | 東京・板橋

 1月13日(火)090113_12390001 ポケットに一冊の文庫本を入れて街頭へ。ドライバーのIさん、次女とともに第二の重点地区へ。「うん、やはりな」とある不動産屋さんで実感。ポスターを貼ってくださいますかとお願いしたところ、社長は迷った末に「いいですよ」。ところが専務は保守系議員からの仕事がなくなるかもと困惑。「陰ながら応援さえてはいただきますが」とのことで、結局はダメ。世間は「しがらみ」で縛られている。ある豪邸。足元に柿の実が落ちているので見上げれば鳥たちがついばんでいた。季節はこうして移ろいゆく。眠気がさすほどに歩き、大山の事務所。整形外科に行けば、抜糸はまだ。背中の傷がいささか身に染みる。「あおい珈琲店」で疲れを癒す。小さな不安が出てきたときの安定剤はマックス・ヴェーバーの『職業としての政治』(岩波文庫)。「政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板を力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である」とある。この「駆使しながら」という部分をこれまでは読み過ごしていた。新たな発見だ。