2009年1月1日。50年前のこの日、世界史に新たな1ページが書き加えられた。キューバでバチスタ独裁政権が崩壊したのである。メキシコにいたフィデル・カストロやチェ・ゲバラたち82人が定員8人乗りのヨット「グランマ号」でキューバに向かったのは1956年11月。ハリケーンで海が大荒れの日の出発である。それから2年。内部の裏切り、スパイ潜入、ジャングルという環境で発生した病気の危機、銃撃戦などで、一時はわずか12人にまで減ってしまった「キューバ解放部隊」。そんな苦境にあっても「われわれはきっと勝つ」と語っていたのがフィデル・カストロである。まさに「ドン・キホーテ」のような行動であった。しかも特筆すべきは、マルクスやレーニンの理論に依拠しない革命であったことである。現在の日本であれば、ただの傍観者によって、揶揄、嘲笑、冷笑の声が浴びせられたことであろう。それから半世紀。亡命キューバ人からは全体主義との批判を受けても、医療や教育分野での成果を否定することはできない。
フィデル・カストロから弟のラウル・カストロに政権が移ったものの、言論の自由など民主主義の達成には多くの課題が残されたままだ。アメリカによる経済封鎖はバラク・オバマ政権になっても変更の兆しはない。しかしオバマとラウルの首相会談が、キューバ東南部のグァンタナモ基地で行われるという。世界にとっては捕虜虐待で有名となったイラク戦争を象徴する基地である。オバマはこの基地の閉鎖に賛成している。かくて世界は変わりつつある。オバマの対話路線は北朝鮮とも進められることになる。ヒラリー・クリントンの平壌(ピョンヤン)訪問がオバマの金正日との首相会談の地ならしになることだろう。北朝鮮の核問題を解決すべく2003年に動き出した「6か国協議」の枠組みそのものが、もはや時代遅れになる。日本独自の課題である拉致問題を解決するために、その気もない小泉純一郎元首相ではなく、声大きく、威勢だけはいい、拉致問題に取り組んできたはずの議員たちも北朝鮮に乗り込み、交渉するだけの胆力があるかどうかが試されている。
アメリカに対するEUでもフランスのサルコジ政権やイギリスのブラウン政権は域内での独自性を発揮しようとしている。ならば日本もまたインド、中国、韓国などなどアジア共同体の構想を打ち出すべきなのに、何ら具体的な動きは見られない。まさに政治の劣化だ。日本でも一部報道がなされたが、未曾有の経済危機にあって、オバマが大統領に就任する1月20日の翌日か翌々日に「アメリカ発の未曾有のクライシスが起こる」とパウエル元国務長官が発言した。「未曾有のクライシス」とは何か。それがイランを目標とする「新たな戦争」かドルに代る「新たな通貨」=「AMERO」の導入ではないかと噂される。パウエルがいかなる意図と根拠でそう発言したかは不明だ。ジョン・K・ガルブレイスが「私は予想しない」と繰り返し強調するように、「予想というものは、当たったことは忘れられ、外れたことだけが記憶に残る」(『大暴落1929』、日経BPクラシックス)。ならば何が必要なのか。ガルブレイスのように「歴史が生き生きと語りかけてくることを書き留める」選択もあれば、現実という歴史に棹さす選択もある。
ジャーナリストの仕事が歴史家に先駆けて時代をデッサンすることにあるならば、政治に直接触れる者は、この現実の重い扉をこじ開けることにこそ責務がある。私利私欲にまみれた政治家が守ろうとするものは、どんな美辞麗句で飾られようと、その根底には「私」がある。まさに福沢諭吉が「痩我慢の説」冒頭で喝破したように「立国は私なり、公に非ざるなり」である。2008年末から継続しているイスラエルによるパレスチナ空爆の暴挙。子供をふくむ多くの犠牲者が生れている。ここでも日本の麻生太郎首相はイスラエルの首相と電話会談はしても、本気で平和を求めるための世界に向けての発信がない。バーに行くことが悪いとは思わないが、そこに「公」よりも「私」を優先する政治哲学ならぬ、政治私学があることを、すでに多くの国民は気付いている。この自民党政治のもとで暮らす日本人は歴史的にも国際的にも恥ずべき位置に置かれたままだ。「こんな日本」を劇的に変えなければならない。いまや「ドン・キホーテ」ではないだろう。「歴史には意志がある」(半藤一利)。とはいえ「世直し」は一人ひとりの課題である。私は歴史が求める意志に寄り添って、衆議院選挙東京11区(板橋)で勝利するために前進する。