荒川三歩

東京下町を自転車で散策しています。

俳人 石田波郷宅跡を探して、

2020年06月21日 | 散文

下町の賑やか商店街「砂町銀座」の西口です。手前の道路は明治通りです。

 

その明治道路を北上すると、新開橋の袂に「石田波郷生誕百年記念碑」が立っています。

 

彼が砂町に住んだのは僅か12年でしたが、妻の生家があったこの街を「第二の故郷」と愛しました。30歳で従軍し結核に侵された波郷は、56歳で死ぬまでずっと闘病の人生でした。故郷の先達正岡子規と同様の生涯で、その作品は「療養俳句」と評されています。

 

新開橋の下は彼の俳句に幾度か登場する小名木川です。「雪敷ける町より高し小名木川」 徳川家康が造った、江戸へ物資を運ぶ運河です。隅田川まで一直線に流れています。

 

振り返ると、小名木川より低い砂町界隈です。周辺は戦前からの大工場地帯で、大量の地下水を汲み上げた結果地盤沈下しました。この先に「砂町銀座」は在ります。

 

今日は石田波郷の住んだ場所を探す散策です。やって来たのは「志演尊空神社」です。初めての訪問です。

 

梅雨時の緑に覆われて「しん」としています。

 

神社脇の路地を通り過ぎます。

 

そこに波郷の居宅跡が在りました。

 

説明板の後ろは庭です。

 

門柱には、ここは会社である旨の表示が在ります。

 

中を覗きます。ここに住んでいたのですね。清洲橋通りと貨物専用線の近くです。

 

案内板に促されて隣のお寺に行きます。ここには波郷は眠っていません。永く清瀬で療養していた彼の墓は深大寺に在ります。

 

境内を行きます。

 

山門脇の藪に石碑が在りました。

 

「はこべらや焦土の色の雀ども」波郷

 

紫陽花の季節です。

 

石田波郷記念館はこちら。

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