下町の賑やか商店街「砂町銀座」の西口です。手前の道路は明治通りです。
その明治道路を北上すると、新開橋の袂に「石田波郷生誕百年記念碑」が立っています。
彼が砂町に住んだのは僅か12年でしたが、妻の生家があったこの街を「第二の故郷」と愛しました。30歳で従軍し結核に侵された波郷は、56歳で死ぬまでずっと闘病の人生でした。故郷の先達正岡子規と同様の生涯で、その作品は「療養俳句」と評されています。
新開橋の下は彼の俳句に幾度か登場する小名木川です。「雪敷ける町より高し小名木川」 徳川家康が造った、江戸へ物資を運ぶ運河です。隅田川まで一直線に流れています。
振り返ると、小名木川より低い砂町界隈です。周辺は戦前からの大工場地帯で、大量の地下水を汲み上げた結果地盤沈下しました。この先に「砂町銀座」は在ります。
今日は石田波郷の住んだ場所を探す散策です。やって来たのは「志演尊空神社」です。初めての訪問です。
梅雨時の緑に覆われて「しん」としています。
神社脇の路地を通り過ぎます。
そこに波郷の居宅跡が在りました。
説明板の後ろは庭です。
門柱には、ここは会社である旨の表示が在ります。
中を覗きます。ここに住んでいたのですね。清洲橋通りと貨物専用線の近くです。
案内板に促されて隣のお寺に行きます。ここには波郷は眠っていません。永く清瀬で療養していた彼の墓は深大寺に在ります。
境内を行きます。
山門脇の藪に石碑が在りました。
「はこべらや焦土の色の雀ども」波郷
紫陽花の季節です。