自転車で走っていたら護国寺に行き当たりました。
これも縁です。
せっかくだからお参りします。
山門をくぐって進みます。
この山門の景色(デザイン)が気に入りました。
途中ここにも同じデザインの照明具を付けた門があります。
石段を上って奥へ進みます。
不老の字が見えます。
大きな本堂です。
お参りします。
知らないでやって来ましたが、本堂の奥で三條実美のお墓に行き当たりました。
説明板を読みます。
「三條実美(1837~91)は幕末・明治前期の公卿・政治家です。
贈右大臣三條実萬の第4子として生まれ、安政元年(1854)に家督を継ぎます。
父の影響もあり尊王攘夷派の公卿として活躍します。
文久3年(1863)8月18日の政変により京都を追われ、一時長州へ下ります(七卿落ち)。
第一次長州征伐後の慶応元年(1865)に大宰府に移り、同3月(1867)の王政復古により京にもどります。
明治政府の副総裁などの要職に就き、明治4年(1871)から廃止される明治18年(1885)まで太政大臣に任じられます。
明治24年(1891)55歳で病死します。」
帰ります。
振り返ります。
広い敷地を持った、良い雰囲気のお寺でした。
再訪したいお寺です。
行き当たりばったりの訪問も良いものです。
これも縁です。
せっかくだからお参りします。
山門をくぐって進みます。
この山門の景色(デザイン)が気に入りました。
途中ここにも同じデザインの照明具を付けた門があります。
石段を上って奥へ進みます。
不老の字が見えます。
大きな本堂です。
お参りします。
知らないでやって来ましたが、本堂の奥で三條実美のお墓に行き当たりました。
説明板を読みます。
「三條実美(1837~91)は幕末・明治前期の公卿・政治家です。
贈右大臣三條実萬の第4子として生まれ、安政元年(1854)に家督を継ぎます。
父の影響もあり尊王攘夷派の公卿として活躍します。
文久3年(1863)8月18日の政変により京都を追われ、一時長州へ下ります(七卿落ち)。
第一次長州征伐後の慶応元年(1865)に大宰府に移り、同3月(1867)の王政復古により京にもどります。
明治政府の副総裁などの要職に就き、明治4年(1871)から廃止される明治18年(1885)まで太政大臣に任じられます。
明治24年(1891)55歳で病死します。」
帰ります。
振り返ります。
広い敷地を持った、良い雰囲気のお寺でした。
再訪したいお寺です。
行き当たりばったりの訪問も良いものです。