根津の街かどに重機が入っていました。ここは「あんぱちや」が在った場所です。
景色が変わりました。もう更地にしてしまったのですね? 仕事が早いのは悪いことじゃないけど、もう少し気持ちの整理の時間が欲しかったです。傍観者の利己主義ですけども。
建て込んだ路地に在ったせいでしょうか? 大きなスペースだと思っていたのに、更地になると小さいですね。
建物が取り壊された後は、いつもその敷地の狭さに戸惑います。
(在りし日の「 あんぱちや」)
根津の街かどに重機が入っていました。ここは「あんぱちや」が在った場所です。
景色が変わりました。もう更地にしてしまったのですね? 仕事が早いのは悪いことじゃないけど、もう少し気持ちの整理の時間が欲しかったです。傍観者の利己主義ですけども。
建て込んだ路地に在ったせいでしょうか? 大きなスペースだと思っていたのに、更地になると小さいですね。
建物が取り壊された後は、いつもその敷地の狭さに戸惑います。
(在りし日の「 あんぱちや」)
東京藝術大学音楽部の正門から黄葉の進み具合を覗いたら、塀に工事パネルがめぐらされています。
パネルに説明書き有ります。
正門の地震対策のようです。強化すると共に、卒業生や地域の記憶に残る姿を維持する、とのことのようです。つまり、現状の姿を残すということでしょうか?
現在の塀は大正3年に完成したそうですが、数年前に金属製塀一部(正門から左側)を撤去しました。その結果、煉瓦校舎がよく見えるようになったのですが、上記の「卒業生や地域の記憶に残る姿」って、どれだろう?
私は卒業生でも地域住民でも無いけど、私の記憶に強く残っている東京藝術大学の塀はこの写真の左側に煉瓦塀が有りません。それを復元しようとするのですね?
知っている最古の塀はこの景色です。
今ではフェンスが無くなって、より校内が見やすくなっています。
正門再生プロジェクトの説明板に、「卒業生や地域の記憶に残る姿を維持する」とのことなので、この煉瓦校舎が良く見える造りなら、偽地域の一員としての私に異存はありません。日本芸術最高峰の学び舎なので、そのデザインに間違いは無いと思っています。とプレッシャーを掛けておきます。・・・誰に?