京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

文藝春秋5月号『特集コロナ戦争』評論

2020年04月19日 | 環境と健康

この特集では新型コロナウィルス感染症(COVID-19)について、数人の識者が意見や考えを述べている。参考になりそうなところを、それぞれ抜き出して紹介する。この号には武漢でSARS様のヒトーヒト感染を最初にSNSで知らせたアイ・フェン(艾芬)さんの手記も載せられている。

 

塩野七生(作家)

『人(国)みな本性を現わす』

新型コロナウィルス (SARS-CoV-2)は、ドイツ系資本の会社で働く中国系労働者と中国帰りのビジネスマンによってイタリアにもたらされたという。ロンバルデャイ州都のミラノの封鎖はイタリアの心臓を止めるようなものである。今のところ感染拡大の防止に目がいってるが、これが及ぼす影響は計り知れない。

中国は医療団だけでなく大量の医療品をイタリアに送り込んでいる。実は都市封鎖も中国の医療関係者の指導で行ったものである。しかし、パンデミックが終息した後、感染された国々が平静をとりもどした後には、中国への不満と反感が頭をもたげるのではないか。それにしても、なぜ発生源はいつも中国なのか、という疑問を突きつける報道関係者がいないのは不思議ではないか?

(庵主考:塩野さんは外出禁止令の出ているローマに住んでいる。修羅場と化したイタリアに住む作者の緊迫感は並ではない。いつもと違って、彼女の文章が少しうわづっている。たしかに現代中国で、どうして何度もパンデミックウィルスが出るのか、研究してみる必要がある。)

 

磯田道史(国際日本文化研究センター准教授)

『感染症の日本史ー答えは歴史の中にある』

日本が向かい合う3つの危機、1)ウィルスによるパンデミック、2)火山の破局噴火、3)津波の中で、最も多くの死者を出すのは1)である。大きな感染症の歴史は人類史上で最近のものだ。牧畜でヒトと家畜の接触が増え都市に定住化がすすみ、結核、コレラ、天然痘、ペスト、梅毒、インフルエンザなどの感染症が大流行しはじめた。さらに、大航海時代から人の移動が地球規模になると、感染症も世界規模に拡大した。

日本には秀吉の頃に梅毒が入り込み、当時の男性の3分の2、女性の3分の1が罹患していた。江戸時代の鎖国は外からの感染症をある程度ふせいだが、1822年頃、コレラが長崎から入って全国に蔓延した。さらに、1858年ペリー艦隊の乗組員の一人にコレラ患者がいて、長崎に寄港したときにコレラが発生して江戸に飛び火し多数の日本人が亡くなった。このエピデミックは、「開国が感染症を引き入れる」とする考えを醸成し攘夷思想が高まる一因となった。幕末のコレラ騒ぎのときに、緒方洪庵らの蘭学医は「事に臨んで賤丈夫(よく深い男)となるなかれ」と弟子を鼓舞して患者を診た。

大正時代のスペイン風邪では、当時の日本内地で45万人、外地で74万人もの人が死んだ。それは3波にわたって襲来し、第一波は1918年5−7月、第二波は同年10ー翌年5月で最も猛威をふるい死者は26万、第三波は翌年1819年12-翌年5月で死者は18.7万人であった。このときのインフルエンザは1年で終わらず、性質を変えながら流行を繰り返した。

日本には清潔をむねとする「禊の文化」と内と外を峻別する「ゾーニング文化」があり、これが衛生思想となってある程度の感染症抑止にはたらいてきたのかもしれない。国民の高い衛生防御力を背景に、コロナウィルスの感染速度をゆっくりさせる「遅滞作戦」を取ることが必要である。

これからの新しい国防とは軍事攻撃にたいする防御よりも、このような感染症ウィルスに対する備えのほうが重要になってくる。「敵国」よりも「敵ウィルス」だということだ。

(庵主考:歴史家らしく、過去の感染症を振り返って得られた教訓を丁寧に示してくれている。磯田氏は「集団免疫」は否としているが、結果としてはそうならざるを得ないのではないだろうか?)

 

佐伯啓思(京都大学名誉教授)

『グローバリズムの復讐が始まった』

非常時の危機対応は、不十分で不正確な情報の中で緊急判断を迫られる。ところがマスコミは「常識」や「寛容」を失い、結果論で非難するだけになってしまう。いままでは戦争、自然災害、疾病が人類の脅威があり、これらに人類は「文明」の力で打ち勝ってきた。ところが、現代文明そのものが新型コロナウィルスの災害を増幅した。

パンデミック(世界的大流行)という語はパン(汎)と「デミア=デモス(民衆)」というギリシャ語を語源としている。ようするに「全ての民衆」=「民主主義」ということである。ウィルスは貧富、階級、年齢、性別に関係なくすべての人々に分け隔てなく感染する。

パニックになっている原因は、このウィルスがなにもかもが未知であることによる。弱小ウィルスの一刺で現代文明は呆気ないほど脆く自壊しているかのようだ。社会の持つべき強靱性(レジリエンス)をグローバリズムが弱体化してしまった。

グロバリズムやマーケット主義から少し身を引いて効率主義や貨幣価値では測れない社会を目指すべきではないだろうか。今の静かな京都こそが、我々の本来の生活の姿なのではないか?この20-30年間のほうが、実は異常=非常時ではなかったと思える。

(庵主考:コロナウィルスは貴賤の別なく公平に感染するパンデモスな生物だそうだ。そういえば、こいつはイギリスのジョンソン首相や立石京都商工会議所会頭さんにも襲いかかった。ただ米国ではCOVID-19の犠牲者は黒人など貧困層の割合が多いそうだ。今の京都の姿こそ本来の姿であるというのは、ほんとうに同感である)。

 

橘玲(作家)

『狡猾なウィルスに試されている』

クルーズ客船ダイアモンド・プリンセス号の隔離処理は大失敗であった。これは2週間も船内でウィルスを「大量培養」したあと、乗客を下船させ公共交通機関で帰宅させてさらに新規感染者を生むという無様な結果を生じた。

厚生省の上級官僚は感染症の素人で専門家は誰もいない。この省には主要課題に対応する専門家がどのレベルにもいない。統計”不正”事件でも明らかになったように、統計処理の素人ばかりでまともな専門家がいない。日本は戦前から無限責任=無責任社会であって、行政も会社も連綿としてその伝統を受け継いでいる。稟議書に判子を並べて皆の責任であるが誰も責任をおわない。

部外の専門家組織がどれだけ警告しても危機が目のまえにこなければ人々は事態を理解できない。感染を拡大したのはウィルスではなく人の本性である。ヒトとウィルスは軍拡競争をしている。ヒトの武器は免疫力で、ウィルスの武器は素早い変異力である。この狡猾なウィルスによってヒト(人)の本性や社会の仕組みが浮き彫りになった。

(庵主考:日本の官僚が駄目になったというのは、この同じ特集で舛添要一氏も述べている。昔は政治家が駄目でも優秀な官僚がそれカバーしていた。しかしダイアモンド・プリンセス号処理の評価は難しい。他のクルーズ船はここでの失敗を見て対処したので、大事にならなかった。ここの教訓がなければ同様の事態をおこしていたかもしれない。)

 

 

 

 

 

 

 

追記 (2021/05/24)

新興感染症の発生源は何故いつも中国なのか?(MERSのように中東が発生地の場合もあるので真正な命題ではない)という、塩野七生の問いを考えてみた。

ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』(草思社文庫:倉骨彰訳)によると、感染症が蔓延する背景には四つの理由がある。

1)一つは人口の総数と密度である。中国は依然世界有数の人口国である。

2 )家畜やペットなど多様な動物を生活圏に密着して飼育している事。中国ではいたるところ、ブタ、ニワトリ、ウシ、ウマ、イヌなどを混合した形態で飼育している。

3 )交通交易が飛躍的に発達し、短時間で感染が地域にも世界にも広がるようになった。

4) 自然の乱開発が行われている。

中国では鄧小平の開放政策以来、経済成長にともなって1~4の要因が急速に拡大している。これ以外に野外動物の食生活(例えばコウモリ)が他国と違っている事も、その大きな要因ではないこと思える。

 


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