京都楽蜂庵日記

ミニ里山の観察記録

イグナーツ・センメルヴェイスの悲劇:COVID-19で「手を洗え手を洗え」という医者の贖罪

2020年04月03日 | 環境と健康

ドイツの切手(イグナーツ・センメルヴェイス)

 COVID-19(新型コロナ感染症)で世界的に手洗いの励行が呼びかけられている。

医学界で手洗いの重要性を主張したのはイグナーツ・センメルヴェイス (1818-1865)である。センメルヴェイスはドイツ系の裕福な商人であったヨージェフを父として、ハンガリーのブダで生まれた。1837年ウィーン大学法学部に入学したが、翌年医学部に転学している。卒業後、ウィーン総合病院第一産院のヨハン・クライン教授の助手となった。

当時、ヨーロッパでは女性が産褥熱で死亡するケースが急増していた。最悪の場合は女性10人あたり4人が分娩期に死亡した。センメルヴェイスは、これは医師のせいだと考えた。当時、産婦人科医は病棟で手を洗わないで、妊婦に触れて診断したり赤ん坊を取り上げていたのである。

センメルヴェイスは次亜塩素酸カルシウムで手を洗うことを奨励した。これが実行された病院では、産褥熱で死亡する妊婦の数は激減した。彼は1861年にこれらの成果を『"Die Aetiologie, der Begriff und die Prophylaxis des Kindbettfiebers』(産褥熱の病理、概要と予防法)と題する本にまとめて出版した。

ところが、保守的で頑迷な当時の医学界はこれを認めようとせず、センメルヴェイスに怒りを示したり嘲笑したりする医師さえいた。産褥熱は患者の腸の不衛生の結果であるとか、解剖室の「瘴気」のせいだとか訳のわからない理屈に固執していたのである。1865年、センメルヴェイスは神経を患い精神科病棟に入れられた。そして、ここで看護士から受けた暴行の傷がもとで感染症のために死去した。47歳であった。

センメルヴェイスの死後、パスツールの「細菌説」のおかげもあって医師は手を消毒しはじめ、いまでは産褥熱による死亡はほとんどなくなっている。

1960年代に「ベン・ケーシー(Ben Casy)」というアメリカのテレビドラマが放映されていた。病院を舞台とした比較的社会性のある作品だったが、外科医である主人公が手を洗う場面が何度も出てきた記憶がある。それほど病院では手洗いが重要な衛生作業の一環になっていたし、いまでもそうである。

最近になってCOVID-19がパンデミックとなりWHOをはじめ、感染防止に手洗いの奨励がかしましい。無論、接触感染も可能性としてあるので(少ないとは思うが)、そうするにこしたことはない。ただ、COVID-19の主要な感染ルートは、状況証拠的には接触感染よりも飛沫感染や空気感染だ。すなわち『3密』状態での口→空気→口への感染が多い。

 しかし医学評論家はほとんど異口同論で接触感染を主因として、おまけにマスクの無効用を主張しているのは何故か?庵主思うにこれは、その昔センメルヴェイスを迫害して殺してしまった贖罪のつもりではないか?いわばセンメルヴェイスの亡霊におびえているのでは?

追記(2022/03/04)

医学界の権威者が想像力や論理性が欠如して、真実を語るものを冷遇した歴史的エピソードの一つはジョン・スノウである。スノウはコレラの原因が飲料水にあることを、疫学的調査で発表したが、当時の医学界はそれを認めず、彼の説を非難した。スノウは麻酔学者としてしか業績を認められなかった。 

 

参考文献

ブライアン・クレッグ(「世界を変えた150の科学の本」:石黒千秋訳、 2020、創元社)

サンドラ・ヘンペル 「医学探偵ジョン・スノウ」大修館書店 2021

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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