Angela Garden

シンプルに、そしてエレガントに。試行錯誤しながらも、そんな人生を送りたい。

鳥取 仁風閣

2013年01月23日 | ★ヴォーリズ&その他近代美建築(西日本)

 

 

 

鳥取で訪問したかった洋館は、こちらでした♪

白亜のシャトーのような「仁風閣」 

この「仁風閣」は、1970年(M40)の、
当時の皇太子(後の大正天皇)の山陰地方行啓に合わせて建てられた、
まさに、迎賓館です。 

鳥取藩主の池田家の14代公爵が、
宮内省匠頭、片山東熊に依頼して建てたものです。 

片山東熊氏、といえば、あのジョサイア・コンドルの弟子の1人で、
辰野金吾氏と同期生です。

日本一美しい宮殿建築、迎賓館赤坂璃宮をはじめ、
京都国立博物館、奈良国立博物館、など錚々たる宮廷建築を残している
建築家です 

私の大好きなフレンチ・ルネッサンス洋式を基調としています。 

もともと皇太子殿下のための宿舎として作られたので、
室内のお部屋の名称が、すべて「御」の字付きです。 



こちらは、元、「御風呂場」だったお部屋です。 

当時の家具と共に、陳列ケースがたくさんあり、
その中に、当時使われた鳥取藩主池田家ゆかりの、
モノ、資料が展示保管されています。
一番目を惹かれたのが、洋食器 



陳列ケース内は、撮影禁止なので、画像はありませんが、
創業して間もない、「ノリタケ」の洋食器でした
シンプルな丸型ではなく、優雅な形状の食器で、
金線、そして金でモノグラムも付けられた食器で、
今でも欲しくなるような食器でした
オールドノリタケで良く見られるヤジロベイの裏印でした。 

鳥取では、この「仁風閣」で、初めて電灯が灯されたそうです。
文明開化と騒がれた当時でも、
この白亜の洋館と光り輝くシャンデリアに、
地元の人達は、びっくりしたでしょうね 

「仁風閣」は、その後市の公会堂、県の迎賓館などに使用され、
また鳥取震災で、被害を受けたものの修復され、
県立の科学博物館としても使われていたそうです。 

その間、熱心な仁風閣保護運動が続けられていて、
県から、市が譲り受け、1973年(S48)に、
重要文化財指定を受け、修理復元されて、
公開されるようになりました。 

仁風閣保護運動に尽力したのが、鳥取の医師、吉田璋也氏です。
吉田璋也氏は、柳宗悦に師事し、民芸運動に情熱を注いだ人物です。
鳥取駅前近くに、その吉田璋也氏が建てた「鳥取民芸美術館」があり、
日本の生活様式の美、を楽しむことができます。

窓ガラスが、揺らめいているのが見えますでしょうか?
このゆらぎが、ほっとさせてくれるんです~ 

使うことは出来ませんが、優雅な螺旋階段があります。 

支柱が一切無い螺旋階段
木材をどうやったら、こんなふうに細工することが出来るのでしょう? 

登ってみたいけれど、ちょっと怖そう~ 

 

こちらは見学コースの階段です。ゴージャスな階段です 

 

 

 

「仁風閣」という名前は、当時皇太子殿下の行啓に随行した、
海軍大将、東郷平八郎の命名 だそうです。
そして、東郷平八郎の直筆による書だそうです。

すごい柱が・・・
正面は「御寝室」です。 

畳の間に、マントルピース。 

そして、こちらは「御座所」。
「仁風閣」で一番豪華な室礼のお部屋です

大好きです~こういう家具
洋家具に見えますが、漆塗りに菊花の金蒔絵仕上げの家具です。
以前、明治村の洋館内でも見たことがあります。 



こちらは、入り口からしか見学できないので、
間近で見られないのですが、
カーテンボックスも装飾が凝っています 

マントルピースは、、イタリア産の黒大理石で作られたもの
左右にグリーンのタイルが見えますが、
それは、当時イギリスで有名だった陶芸家、
フラックスマンの作品なんだそうです。 

今では見られない、優雅な家具、インテリアを見られるのは、
本当に、うっとりします 

 

 

 

 

庭園は、池泉回遊式庭園、と言う造りだそうです。
お庭も、様々な様式や格式があって1つの世界を造っているので、
奥の深い世界なのでしょうね。 



まだまだ、ゆっくり過ごしたいと思いましたが、
宿へ向かう時間が近くなってしまったので、
もう出なくてはなりません・・・ 



本当に、美しい、建築でした 

 



鳥取駅から倉吉までは、この、名探偵コナンの
とっとりライナーに乗りました
コナン君、好きなので、思わず写真撮りました
コナン君の作者が鳥取出身なんですね~ 

こちらの電車は、ドアは自分で、手動ボタンを押して
開閉して、乗り降りするんです。
以前、新潟の電車もそうでしたが、結構びっくりします
思わず、ボォ~と、ドアが開くの待ってしまいます。
下手したら、そのまま乗りそびれて電車が行ってしまいますね。