心と体を通して見えてきたもの

個人的な生まれ変わりの体験談。心とは?カルマとは?人間の本質や使命とは?
といったことを考えてます。

第3章 光とともに №1187

2015-01-30 21:22:56 | Weblog
 ポイマンドレースのいう「道義」
ポイマンドレースは、「道義」のないものとして
『堕ちてゆく自然の諸元素』だけでなく、
『下層からうまれた諸元素から、
道義の与えられない、分別なき獣のようなものども、
すなわち「空」には飛ぶものを、すなわち「水」には
泳ぐものを、もたらした(№1086)』といいます。
この「道義」のないものとしてもたらされた
飛ぶものである鳥や泳ぐものである魚などは、
神智学の教えに従えば
デーヴァ進化(№1099)に属する生物でした。
デーヴァ進化について、ベンジャミン・クレーム氏は
『マイトレーヤの使命 第2巻』で
『デーヴァは感性(フィーリング)
、感覚的認識を通して進化します。
私たち人類は知性(マインド)の発達を通じて
進化します。(№1083)』と言っていました。
デーヴァ達は瞬時も絶え間なく生命を感知し、
わずかな波動の違いに関して発達した高度な、
極端に敏感な認識を持ち、より精妙な感覚を
発達させることで成長していきますが、考えたり、
思考したりするような精神活動はないといいます。
これに対して人間は、デーヴァ達と同じように
感覚的認識も行いますが、さらに精神的な活動によって、
まだ存在していないもの、まだ顕現していないもの、
可能性だけがあるもの、マインドのはたらきを
通じて創造されるものを直観するという仕事もある、
とクレーム氏は言います。
このようなマインド(知性)による精神的な活動は、
ポイマンドレースのいう「道義」によるものであり、
「意志と熱慮」をもって「理想界のうつくしき世界を
みてはこれを模倣」したり「元素すなわち生命の種子。
あるいは、みずからの霊魂によって」想像力を
駆使したりすることで行われる、
高度な知的想像力が必要な創造といえます。
このような創造的な活動を人間が行えるのは、神自身である
『万象の父、生命と光たる叡智によって、
自身の似姿を持つ《ひと》として産み』だされたためであり、
そこにはポイマンドレースのいう
「道義」があったからだといえます。
このような《ひと》自身がみずから
『下なる自然の「水」のなかに、
己がすがたが映っているのを見て
これを愛し、それと共に在りたいと願った』ことで、
『その想いはただちに作用し、
道義なき形姿』を生み出しました。
神の似姿として生まれた《ひと》が自ら創り出した
『道義なき形姿』を持つ人間は、《ひと》として
叡智やひかり、神聖なる言葉を持つと同時に、
「道義」を持たない物質形態の肉体を持つために
『地上に生きるものたちを超越しており、
二重性をもっている』ことになります。
№1188につづく

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