JRの尼崎の駅は歴史のページの旧JR尼崎駅南駅舎(1987撮影)を見ていただければわかるように、ほんの20年前まではどこかの田舎の駅みたいな
ものでした。福知山線はローカル線で隣りの立花駅のほうがまだ乗降客が多かったのではないかと思います。それが片町線と福知山線をつなぐ片福線計画で大阪市内を走る線でつながり(完成した時は東西線という名になりました。)宝塚線なんて名前に変えられ(今でも正式には福知山線だったのですね)ついでに片町線は学研都市線という名前に変わっています。(正式なものか知りませんが、表示はそうなっています)通勤・通学路線になりました。昔は宝塚から大阪まで福知山線で行くなんてとてものんきな話だったのです。でも確かに東西線が開通して尼崎の駅は新快速も止まる様になりどこへ出かけるにも便利になったことは事実です。それは単純に喜んでいたのですが、ATSが装備されていなくて、しかも車体があんなに弱いものだったなんて信じられない気持ちでいっぱいです。
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