このマンションに引っ越しして来てから未だ未整理だった荷物の中から、ずっと前から気になっていた写真が1週間ほど前に見つかりました。
4年前に母が亡くなり、その直後から、母の子供だった私たち三姉妹で遺産問題でいざこざが絶えず、こんな状態ではあまりにも母がかわいそうと思い、息子がよくお世話になっているスピリチュアルカウンセラーの方に、相談に行きました。
その時に、いろいろ母が望んでいることを聞かされ、今たびたび舞鶴の東舞鶴市役所、西舞鶴市役所、法務局へ行き、手続きしていることを指示されました。
相談に行った事は、二人の妹達には言っていません。
「私のすぐ下の妹・二女がしている事は、お母さんもよく見ておられます。この子は、取るものだけとれば、あとは、今この子が言っているようなことは何もしてくれなくなり、すべてほったらかしにしたり、そのうち売り飛ばすので、後の管理を我が家に、私と息子に任せるので、どんな方法でもいいから、不動産は、人に貸したり売ったりしないで受け継いで欲しいとお母さんが言っておられます」と聞きました。
母の死後3年経った頃から、やはり、聞いていた通りになってきました。
二女が、もう家や畑の管理、村やお寺の付き合いなど、面倒になったらしく、「直接私には、言いませんが、もう一人の妹や、実家の近所の人などに、「姉ちゃんとこには、男の子が二人いるんだから、あちらが継いでくれたらいいのに」と言い出しました。
私は、とうとう来るべき時が来たと思いました。
そしてついに放棄したいようなことを言い出しましたので、私のほうの名義にしてくれるように承諾させました。
この二女は、最初自分が一番近いので自分が後々の面倒をみるからといって、勝手にすべての不動産は自分の名義にして、売るつもりだったのに、今回は、「姉ちゃんとこの名義にしてもいいけど、売ったり貸したりしたりしないで、ちゃんと面倒見てくれんと困るよ」と釘を刺す。
「あんたと違う。そんなことはしません」ときつく言っておきました。
話が、少し横道にそれました。
カウンセラーの人に相談した時、今のこと以外に、「母が、私を抱いている写真があるはずなので、その写真を大切にして欲しい」と言っておられます。ということも聞きました。
結婚して京都に来るときに、持ってきたアルバムの中に、そういう写真があったなという記憶はありましたが、そのアルバムの類は、押入れの奥にしまいこんでいて、その前に他の物をいっぱい置いていましたので、探す機会を延ばし延ばしにして、とうとう先日まで、この写真を見つけ出すことができませんでした。
小さなサイズの写真で、もう半世紀を少し過ぎた写真のため、色も黄ばんでセピア色のようになっていました。
この写真を、今日写真屋さんに持って行って、はがきサイズにのばして貰いました。
そして「カラーに出来ますか」と聞きましたら、
「サイズには関係ないのですが、カラーに変換するのに8,800円かかりますが、いいですか」と聞かれました。
本当はカラーにして、着物の模様など確かめたかったのですが、想像以上に高かったので、今回は見送りました。
でもそのうちにもう一度依頼してカラーで大きくしてもらおうと思っています。
母24歳のとき、私は2人目の子として生まれました。
一人目の男の子は、私が生まれるまでに亡くなっています。
母の顔は、私の妹・三女とその娘、そして私の娘が、母の雰囲気に似ています。
抱かれている私は、男の子のように、また猿のように見えます。
4年前に母が亡くなり、その直後から、母の子供だった私たち三姉妹で遺産問題でいざこざが絶えず、こんな状態ではあまりにも母がかわいそうと思い、息子がよくお世話になっているスピリチュアルカウンセラーの方に、相談に行きました。
その時に、いろいろ母が望んでいることを聞かされ、今たびたび舞鶴の東舞鶴市役所、西舞鶴市役所、法務局へ行き、手続きしていることを指示されました。
相談に行った事は、二人の妹達には言っていません。
「私のすぐ下の妹・二女がしている事は、お母さんもよく見ておられます。この子は、取るものだけとれば、あとは、今この子が言っているようなことは何もしてくれなくなり、すべてほったらかしにしたり、そのうち売り飛ばすので、後の管理を我が家に、私と息子に任せるので、どんな方法でもいいから、不動産は、人に貸したり売ったりしないで受け継いで欲しいとお母さんが言っておられます」と聞きました。
母の死後3年経った頃から、やはり、聞いていた通りになってきました。
二女が、もう家や畑の管理、村やお寺の付き合いなど、面倒になったらしく、「直接私には、言いませんが、もう一人の妹や、実家の近所の人などに、「姉ちゃんとこには、男の子が二人いるんだから、あちらが継いでくれたらいいのに」と言い出しました。
私は、とうとう来るべき時が来たと思いました。
そしてついに放棄したいようなことを言い出しましたので、私のほうの名義にしてくれるように承諾させました。
この二女は、最初自分が一番近いので自分が後々の面倒をみるからといって、勝手にすべての不動産は自分の名義にして、売るつもりだったのに、今回は、「姉ちゃんとこの名義にしてもいいけど、売ったり貸したりしたりしないで、ちゃんと面倒見てくれんと困るよ」と釘を刺す。
「あんたと違う。そんなことはしません」ときつく言っておきました。
話が、少し横道にそれました。
カウンセラーの人に相談した時、今のこと以外に、「母が、私を抱いている写真があるはずなので、その写真を大切にして欲しい」と言っておられます。ということも聞きました。
結婚して京都に来るときに、持ってきたアルバムの中に、そういう写真があったなという記憶はありましたが、そのアルバムの類は、押入れの奥にしまいこんでいて、その前に他の物をいっぱい置いていましたので、探す機会を延ばし延ばしにして、とうとう先日まで、この写真を見つけ出すことができませんでした。
小さなサイズの写真で、もう半世紀を少し過ぎた写真のため、色も黄ばんでセピア色のようになっていました。
この写真を、今日写真屋さんに持って行って、はがきサイズにのばして貰いました。
そして「カラーに出来ますか」と聞きましたら、
「サイズには関係ないのですが、カラーに変換するのに8,800円かかりますが、いいですか」と聞かれました。
本当はカラーにして、着物の模様など確かめたかったのですが、想像以上に高かったので、今回は見送りました。
でもそのうちにもう一度依頼してカラーで大きくしてもらおうと思っています。
母24歳のとき、私は2人目の子として生まれました。
一人目の男の子は、私が生まれるまでに亡くなっています。
母の顔は、私の妹・三女とその娘、そして私の娘が、母の雰囲気に似ています。
抱かれている私は、男の子のように、また猿のように見えます。
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