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居留地

2018-06-15 | メモ
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 山内 昌斗 広島経済大学
『経済研究論集』   30(3・4) 275-296   2008年 
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   この論文では「グラバー邸」のトーマス・グラバーの「グラバー商会」が、ジャーデイン・マセソン商会、サッスーン商会、香港上海銀行の代理店を兼ねていたと書かれています(278ページ)。  トーマス・グラバーの邸宅は、現在「グラバー園」という観光地になっています。 
 
  ジャーディン・マセソン商会、サッスーン商会、香港上海銀行は、神戸居留地だけでなく、横浜居留地、長崎居留地、上海租界や天津租界にもありました。これは、アヘン戦争やアジアの植民地と関係します。   
 
ジャーディン・マセソン商会」は、神戸外国人居留地83番地にありました。これは、日本銀行・神戸支店の南側の現在の神戸KDCビルの場所です。 
  イギリス東インド会社のスコットランド人ウイリアム・ジャーディンとジェームズ・マセソンが1832年に創った会社が「ジャーディン・マセソン商会」です。 http://oldkobelove.web.fc2.com/kyuukyoryuuti1.html  
 
 「サッスーン商会」は、神戸市明石町48番地にありました。これは大丸の前で、現在の東京三菱UFJ銀行の場所です。 
 
香港上海銀行(HSBC)」は、神戸外国人居留地2番地にあり、神戸では「ウォルシュ・ホール商会」が代理店をしていました。1872年にアメリカ人のトーマス・ウォルシュは長崎から神戸に移住し、1876年に神戸三ノ宮一丁目に「神戸製紙所」を創業します。ウォルシュは1897年に三菱創業者・岩崎弥太郎の長男である岩崎久弥に「神戸製紙所」を譲渡し、これが現在の「三菱製紙」となりました。1897年にアメリカ初代長崎領事で弟だったジョン・ウォルシュが亡くなったことにショックを受けたトーマス・ウォルシュはスイスに移住します。 
 
【アヘン戦争と香港と神戸・大阪】  
 オスマントルコ帝国のバクダットに在住していたユダヤ人ダーウィード・サスーン (David Sassoon:1792 - 1864)は、1832年にインドのボンベイに移住し、「サッスーン商会」を創業します。
 同じ1832年に 「ジャーディン・マセソン商会」が創業されました。  
 
 この「サッスーン商会」と 「ジャーディン・マセソン商会」は、イギリス領インドの阿片を中国で売りまくりました。
   1839年に中国・清国の官僚・林則徐は「サッスーン商会」と 「ジャーディン・マセソン商会」の阿片を没収して、これにより中国清国とイギリスのアヘン戦争(Opium War)が起こりました。
  アヘン戦争を起こしたのが、「サッスーン商会」と 「ジャーディン・マセソン商会」です。 
 
  1842年に「南京条約」で、イギリスへの香港の割譲と、広州、福州、廈門、寧波、上海の5港の開港が決まりました。 
 
  1865年に「サッスーン商会」 「ジャーディン・マセソン商会」などのアヘンの利益をイギリス・ロンドンに送金するために「香港上海銀行(HSBC)」が創業されました。  
 
 1866年から香港では、「香港造幣廠(Hong Kong Mint)」によって銀貨「香港ドル」貨幣が鋳造されます。 
 
  1869年(明治2年)に「オリエンタル・バンク・コーポレーション(英国東洋銀行)」が日本の明治新政府と契約を結び、香港造幣局長トーマス・ウィリアム・キンドル(Thomas William Kinder)の提案を受けて、大阪造幣寮(大阪造幣局)が創られました。香港造幣局の鋳造機械がジャーディン・マセソン商会の仲介で6万ドルで明治政府に売却され、大阪に運ばれました。 
 
  1871年(明治4年)にトーマス・ウィリアム・キンドルは大阪造幣局で明治政府最初の「一円銀貨幣」を鋳造します(参考文献※1)。   
 
   1871年(明治4年)にトーマス・ウィリアム・キンドルは フリーメーソン「神戸ライジングサン・ロッジNO1401」を神戸外国人居留地81番地のフリーメーソンビルに設立しました。 ここは、現在、日本銀行・神戸支店になっています。
  1872年(明治5年)にキンドルは神戸ライジング・サン・ロッジの最初のマスターになっています(first Master of Rising Sun Lodge)。
 
  ※1:「大阪造幣局の建設とオリエンタル・バンク」 立脇, 和夫 長崎大学 東南アジア研究所 『東南アジア研究年報』 (28), pp.49-83; 1986 
 
 【ジャーディン・マセソン商会と薩長】
  1832年に 「ジャーディン・マセソン商会」が創業され、1839年にアヘン戦争が起こり、1842年に香港が割譲されると、 「ジャーディン・マセソン商会」は香港を本拠地にします。 
 
 1844年には上海に「ジャーディン・マセソン商会」が出来ます。  
 
   1859年(安政5年)には、創業者ウイリアム・ジャーディンの親類ウィリアム・ケズウィック(William Keswick)が「ジャーディン・マセソン商会」を横浜・山下町居留地1番館(英一番館)につくりました。  
 
 1863年(文久3年)5月12日には、「ジャーディン・マセソン商会」ウィリアム・ケズウィックは「長州五傑」をイギリス留学に送り出します。「長州五傑」とは、伊藤博文、井上馨、野村弥吉、山尾庸三、遠藤謹助です。遠藤謹助は後に大阪造幣局長となり、「桜の通り抜け」をつくりました。  
 
 1863年(文久3年)5月18日には、伊藤博文などの「長州五傑」は上海に着き、ジャーディン・マセソン商会上海支店の支店長と会談し、11月にロンドンに着きました。旅費と留学費用はすべて「ジャーディン・マセソン商会」が負担しました。   
 
   1865年(慶応元年)に「長州五傑」は、ロンドンで「薩摩藩遣英使節団」と出会います。「薩摩藩遣英使節団」とはトーマス・グラバーの船でロンドンに密航した留学生です。グラバー商会の親会社は「ジャーディン・マセソン商会」です。
 
  1866年(慶応2年)に帰国した「薩摩藩遣英使節団」の薩摩藩士・五代友厚(ごだい・ともあつ)は、トーマス・グラバーと共同事業で長崎小菅に現存する「そろばんドック」をつくり、ここから三菱重工業・長崎造船所が発展し、2015年に世界遺産に登録されました。  
 
   1868年(明治元年)に、「薩摩藩遣英使節団」の薩摩藩士・五代友厚(ごだい・ともあつ)は明治新政府の参与職外国事務掛となり、大阪に赴任して、大阪造幣局!!!を創り、トーマス・ウィリアム・キンドルを香港から招聘し、初代大阪税関長となります。この五代友厚(ごだい・ともあつ)が、大阪商業会議所をつくったので、大阪商工会議所前には五代友厚(ごだい・ともあつ)の銅像があります。 
 
 【サッスーン商会】 
  オスマントルコ帝国のバクダットに在住していたユダヤ人ダーウィード・サスーン (David Sassoon:1792 - 1864)は、1832年にインドのボンベイに移住し、「サッスーン商会」を創業します。この「サッスーン商会」がアヘン戦争を起こしました。 
 
 ターウィード・サッスーンの長男アルバート・アブドラ・サッスーン初代男爵(Sir Albert Abdullah David Sassoon:1818ー1896)は、「インドのロスチャイルド」と呼ばれました。アブドラの代の1865年に「香港上海銀行(HSBC)」が創業されます。
 
  子孫のエドワード・サッスーン2代目男爵(Sir Edward Albert Sassoon:1856-1912)がアリーン・キャロライン・ド・ロスチャイルド(Aline Caroline de Rothschild:1867–1909)と結婚しました。本物のロスチャイルド一族となったエドワード・サッスーンは「新サッスーン商会(E.D.Sassoon & Co:新沙遜洋行)」を創りました。 
 
  この時期の上海・香港を支配したのは、
ジャーディン・マセソン商会(Jardine,Matheson & Co:怡和洋行)、
サッスーン商会(E.D.Sassoon & Co:新沙遜洋行)、
香港上海銀行(HSBC:Hongkong & Shanghai Banking Corporation:匯豊銀行)、
バターフィールド&スワイヤ商会(Butterfield & Swire Co.:太古洋行)でした。
  バターフィールド&スワイヤ商会も、神戸の北野町2丁目3の「三本松広場」にありました。スワイヤは、現在、「香港上海銀行(HSBC)」の個人筆頭株主でキャセイパシフィック航空のオーナーです。バターフィールド&スワイヤ商会は横浜・山下町居留地7番館に1867年(慶応3年)に開業しています。 
 
 現在、サッスーン財閥の当主ジェームズ・メイヤー・サッスーン男爵(James Meyer Sassoon, Baron Sassoon)は、2010-2013年にイギリスの財務大臣を務め、ジャーディン・マセソン商会の取締役でマンダリンホテルのオーナーです。2005年にはホテル「マンダリンオリエンタル東京」が開業しました。 

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