24 黄釈子 Blog 「My Days」by Oldman+1(吉住)

コロナ予防接種0回、30年間健康診断0回の後期高齢+1、元原告団長の下り坂人生、日々の戯言。KindleWriter。

下準備

2020年10月21日 | 日記

まあ、自分でもびっくりするほど、朝食後に働いて、あれもこれもと下準備が捗る。一応、あれもこれも全部やって一服、時計を見たら、まだ、午前10時じゃないか!

上出来上出来! それもこれも、このお天気のお陰。もちろん、.........。

で、お昼前にワイフと食料の買い出しに、すぐ近くのワッセに出かけ、午後は、NHKBSで「慕情」を少し見て、陽射しの中、畑で基礎の段取り。半ブロックを4つ。野菜の水やりを済ませて、貰った杭を打ち込む。頭の中で、設計図を描き、今ある材料を考える。すでに、ガレージで塗装なども済ませて、乾かしてあるモノもあるが、材料の準備は、現場で寸法を決定しないと、決められない。まだ途中だが、なんとかなるだろう。

そうこうするうちに、空は曇ってきた。時計が4時半を回ると、少し暗くなりだしたので撤収。明日は雨だというし、ちょうどいい。慌てることはない。頭の中の設計図が、まだ完成していない。

まだ、ほうれん草は芽を出さない。10日ほどかかると、畑ばーちゃんが教えてくれた。

また、1日が終わった。


永遠と無限

2020年10月21日 | 日記

「永遠」というのは、「無限」のことで、無限とは、8の字を横にしたような、そのマークを思い出せば話はわかりやすい。紙テープを適当な長さに切って、端と端をノリでつなぎ合わせて、ワッカを作るとき、裏表を一捻りして、繋ぐと、テープの表面は、表から裏へ、裏から表へとグルグル、回る。

テープの巨大な立体模型を想像して、その上を車で走れば(逆さになっても落ちないとして)道路は永遠に続き、車は永遠に走り回ることができるが、早い話が、平面状の円だって、八の字の道路だって、同じところをグルグル回れば、永遠に走れる。

つまり、無限というのは「繰り返し」であり、底無しではない。時間の経過とともに、同じことを繰り返すことが、つまりは「無限」であり、「永遠」というわけだ。ポイントは、裏も表も繰り返すことだろう。

「永遠」も「無限」も不可能なことではなく、目の前の現実そのもの。日々であり、季節であり、朝晩のことだな。

幻冬舎新書の「アングラマネー」(藤井厳喜著)、7年ほど前の本だけど、世界の現実的な仕組みを知りたければ、そして、少しでも、自分に社会人としての一人前の「知能」があるという「認識」があるなら、一度はざっと読んでおくべきだろうねえ。世界の「常識」。めちゃくちゃ、面白い。

さあ、散歩の時間がやってきた!


家中を透視

2020年10月21日 | 気象

2020年10月21日(水曜日):[  10c/24c/10%  69K98F  ]{ gut0410 }  晴れ

暖かい日になるという。昨日に続いて、今日も晴れて気温が上がる。昨日は、ハッと思い出して、「碁石と碁盤」を探すために、家中(ブラックボックスのような闇が潜むワイフの部屋は除外して)にガレージに物置の隅までを、じっと透視した。そして、家にないことに気づいた。

「捨てた?」「いや、記憶がないし、碁盤は自分がどこかで手に入れたモノだが、碁石は生まれる前から家にあったモノだから、捨てるほどバカではないはず(わからんが)」と己を信じて、ハッ気づいた。思い出したのだ。集会場に持って行った。集会場の備品として寄付したのだが、誰も使うのは見たことがない。「持ち帰ろう!」

決断は素早い。鍵を預かって、朝一番に集会場に行き、持ち帰ってきた。そのうち、全く使っていない古い応接セットの椅子とテーブルも持ち帰ることにしよう。我が家の内部の老人関連家具類をほぼ全部処分したので、おく場所はある。

まあ、早い話が、村の集会場を私の「物置代わり」に使ってきたようなモノだ。申し訳ねえ(?)、少し、反省する。本箱や、本、小型冷蔵庫、今使っている液晶テレビ(建てた当時のブラウン管テレビは、当然使えなくなったので、近年、去年だったか、私が余っている液晶テレビと室内アンテナをセットに持ち込んだ。ちゃんと地上波は映るから。何せ、我が家には、今現在、安物液晶テレビが6台ある。住人は2人だし、世の中は4K、8Kの時代だというのに、全く無縁な液晶テレビ。私の32インチは、超軽量だから気分がいい。)

で、今朝の寝起きに頭脳明晰な我がつるつるの頭を巡らせていたら、またまた、畑の工作に関して、閃いた。「材料、買わなくても、あるじゃん!」なんとか、出費せずに出来そうだぞ。