ここで、いつものように大飛島の概要を書きます。
大飛島(おおびしま)は、笠岡港から約29kmに位置する島。小飛島とあわせて「飛島(ひしま)」と呼ばれることが多い。笠岡諸島は古くから瀬戸内海の交通の要衝で、なかでも大飛島付近は瀬戸内海の東西の潮が離合する所といわれ、往来する船がこの地で潮待ちをしていたと考えられる。奈良時代から平安時代にかけての祭祀遺跡が発見され、おびただしい数の奉献品が出土したことからも、重要な地であったことがうかがえる。平安時代がら真鍋島の豪族真鍋氏の支配下にあったとされ、元禄5年(1692)に神島外浦から10戸が移住したのが開拓の始まりという。現在は海運業を中心とする第3次産業が大きな比重を占める島となっており、一周道路に沿って6つの小集落が点在している。かつては島の南東にある大浦港の近くから、東に350mあまり砂洲が鳥のくちばしのように小飛島に向かって延び、紺碧の海面に延びた砂洲は神秘的で、大飛島と小飛島を結ぶ海中の架け橋ともいわれていたが、潮流の変化もあって現在はほとんど姿を消してしまっている。
島内散策を開始しました。早速、大きな建物の方へ向かいました。

(島内散策を開始)
島でよく見かける、「ナンバープレート」が付いていない車が見られました。

(ナンバープレートが付いていない車)
途中、定期船の待合所がありました。

(定期船の待合所)
その横には、「飛島西国三十三観音札所」の案内板がありました。飛島ということで、大飛島と小飛島にまたがっています。

(「飛島西国三十三観音札所」の案内板)
大きな建物には、「笠岡市立飛島小学校」と書かれていました。

(笠岡市立飛島小学校)
その敷地内に「飛島中学校跡」と書かれた石碑がありました。平成15年3月に閉校になっているようです。

(「飛島中学校跡」と書かれた石碑)
(写真撮影:2014.02)
大飛島(おおびしま)は、笠岡港から約29kmに位置する島。小飛島とあわせて「飛島(ひしま)」と呼ばれることが多い。笠岡諸島は古くから瀬戸内海の交通の要衝で、なかでも大飛島付近は瀬戸内海の東西の潮が離合する所といわれ、往来する船がこの地で潮待ちをしていたと考えられる。奈良時代から平安時代にかけての祭祀遺跡が発見され、おびただしい数の奉献品が出土したことからも、重要な地であったことがうかがえる。平安時代がら真鍋島の豪族真鍋氏の支配下にあったとされ、元禄5年(1692)に神島外浦から10戸が移住したのが開拓の始まりという。現在は海運業を中心とする第3次産業が大きな比重を占める島となっており、一周道路に沿って6つの小集落が点在している。かつては島の南東にある大浦港の近くから、東に350mあまり砂洲が鳥のくちばしのように小飛島に向かって延び、紺碧の海面に延びた砂洲は神秘的で、大飛島と小飛島を結ぶ海中の架け橋ともいわれていたが、潮流の変化もあって現在はほとんど姿を消してしまっている。
島内散策を開始しました。早速、大きな建物の方へ向かいました。

(島内散策を開始)
島でよく見かける、「ナンバープレート」が付いていない車が見られました。

(ナンバープレートが付いていない車)
途中、定期船の待合所がありました。

(定期船の待合所)
その横には、「飛島西国三十三観音札所」の案内板がありました。飛島ということで、大飛島と小飛島にまたがっています。

(「飛島西国三十三観音札所」の案内板)
大きな建物には、「笠岡市立飛島小学校」と書かれていました。

(笠岡市立飛島小学校)
その敷地内に「飛島中学校跡」と書かれた石碑がありました。平成15年3月に閉校になっているようです。

(「飛島中学校跡」と書かれた石碑)
(写真撮影:2014.02)
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