ここで、中ノ島の概要を書きます。
中ノ島 須崎市の南に細長く突き出た半島の先端・蜂ケ尻地区の西海上に位置するまで、昭和57年7月に中ノ島大橋が架けられ陸つづきとなった。古くから漁業の島で、明治以降は大敷網(定置網)が盛んになり、ブリなどを水揚げしていた。30年ほど前からハマチ養殖が始まり、現在ではタイ・カンパチの養殖が営まれている。
防波堤沿いの道を奥に進んでいきました。
(防波堤沿いの道を奥に)
道沿いを歩いていると大きなミカンが生っていました。
(大きなミカン)
島独特の空き地を使って野菜が植えられていました。
(野菜畑)
そのような畑があちらこちらにありました。
(あちらこちらに)
道の突き当りに家がありました。「中の島地区集会所」と書かれていました。ここも「中の島」です。
(中の島地区集会所)
その建物の横に小さな祠がありました。
(小さな祠)
(写真撮影:2014.11)
中ノ島 須崎市の南に細長く突き出た半島の先端・蜂ケ尻地区の西海上に位置するまで、昭和57年7月に中ノ島大橋が架けられ陸つづきとなった。古くから漁業の島で、明治以降は大敷網(定置網)が盛んになり、ブリなどを水揚げしていた。30年ほど前からハマチ養殖が始まり、現在ではタイ・カンパチの養殖が営まれている。
防波堤沿いの道を奥に進んでいきました。
(防波堤沿いの道を奥に)
道沿いを歩いていると大きなミカンが生っていました。
(大きなミカン)
島独特の空き地を使って野菜が植えられていました。
(野菜畑)
そのような畑があちらこちらにありました。
(あちらこちらに)
道の突き当りに家がありました。「中の島地区集会所」と書かれていました。ここも「中の島」です。
(中の島地区集会所)
その建物の横に小さな祠がありました。
(小さな祠)
(写真撮影:2014.11)