昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

長崎県南部へ島旅 31回目

2015-04-30 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
ナビに従って、少し違うと思いましたが、左折しました。


(ナビに従って左折)

大きな橋が出てきました。先ほど、眺めた大島大橋です。


(大島大橋)

後で確認すると寺島に渡島しているようです。前に赤い丸い橋が見えました。


(寺島に)

赤い丸い大橋、寺島大橋を渡りました。大島です。


(寺島大橋)

海岸線を走っているといくつかの島影が見られました。


(いくつかの島影)

学校が見えてきました。大崎高校です。


(大崎高校)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 30回目

2015-04-29 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
南串島へ戻る途中、海に突き出したところに神社がありました。


(海に突き出したところに神社)

車を止めて、参拝に行きました。扁額には、「市杵島神社」と彫られていました。


(市杵島神社)

小さな石の社殿に紫と赤の布が巻かれ、注連飾りも飾られていました。新しかったので、最近、奉納されたのでしょう。


(小さな石の社殿に紫と赤の布)

片隅に「移転建設記念碑」と刻まれた記念石もありました。どこかから移設されたようですね。


(移転建設記念碑)

七ッ釜大橋を渡り、南串島へ戻りました。


(七ッ釜大橋)

次の島、前島、鼕泊島(とうどまりじま)へ向かうべく、ナビをセットしました。


(前島、鼕泊島へ)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 29回目

2015-04-28 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
ナビを見ながら、広い道に戻り、少し島内散策を続けることにしました。


(ナビを見ながら)

すぐに本土の大瀬戸町に着き、少し海岸線に沿って車を進めました。


(海岸線に沿って車を)

大瀬戸の港に着きました。ここも行き止まりになりました。


(大瀬戸の港)

防波堤越しに橋が見えました。寺島、大島、蛎浦島、崎戸島へつながる大島大橋です。


(大島大橋)

対岸が南串島です。


(対岸が南串島)

南串島の海岸線で養殖が行われていました。


(南串島の海岸線で養殖)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 28回目

2015-04-27 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
大きな道路に戻ってくると道路脇に大きな赤い鳥居が見えてきました。


(道路脇に大きな赤い鳥居)

通過した時に見ると「ある宗教団体の総本山」でした。


(ある宗教団体の総本山)

その先から細い道に入っていきました。西彼杵半島を横断します。


(西彼杵半島を横断)

ナビに従って走ったので、どういうところを走ったのかよく分かりませんでしたが、反対側の海が見えてきました。


(反対側の海が)

橋を渡って、細い道に右折しました。南串島です。


(南串島)

ここで、南串島の概要を書きます。

南串島は、西彼杵半島の西岸北部、西海町七釜郷と狭い水道を隔てて相対している島。周囲6.5Km、面積0.69Km2、標高86m。南北に細長い島で、七釜郷を護るように入江の前面に横たわり、北部は天然の良港・七ツ釜港(県管理港湾)の一部を形づくっている。南西部は大瀬戸町柳地区と接している。江戸期の「大村郷村記」には難串島と記されている。昭和41年、西彼杵半島県立自然公園に指定された。西彼杵半島西岸を縦断する国道202号線が島の南部を通過しており、同58年には国道改良工事によって七釜郷四釜地区と結ぶ七ツ釜大橋が完成、現在は3本の橋で本土側と結ばれている。集落は水道に面した東側に立地し、運動場などもある。平成12年国勢調査では23世帯81人を数えている。

奥に進めるとすぐに行き止まりとなりました。そこでUターンをしました。


(行き止まり)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 27回目

2015-04-26 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
本土側の小口集落には、たくさんの家々が見られました。


(小口集落には)

また、小口橋を渡り、本土に戻りました。今度は、南串島へ向かいます。


(南串島へ)

鵜瀬島の集落が見られました。


(鵜瀬島の集落)

「又兵衛」という名のバス停がありました。人の名前かと思いましたが、帰って調べると地区の名前でした。


(「又兵衛」という名のバス停)

車を降りて、その辺りを散策しました。「金魚、メダカ、錦鯉養殖センター尾戸」と大きな看板が掲げられていました。ここまでの沿道に何度も立て看板を見ました。


(金魚、メダカ、錦鯉養殖センター尾戸)

大村湾に雲海が見られました。

(大村湾に雲海)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 26回目

2015-04-25 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
舗装された道をドンドン奥に進んでいきました。周りには、何もありません。


(舗装された道を)

ついに行き止まりになりました。ここを慎重にバックして、戻ることにしました。


(ついに行き止まり)

帰る途中、行く時には気付きませんでしたが、墓石のようなものと何かが祀られていました。


(墓石のようなものと何かが)

やっと家が何軒か見えました。


(やっと家が何軒か)

行く時にも移動してもらいましたが、帰りも作業しているミキサー車がいて、また、移動していただきました。ありがとうございます。


(ミキサー車)

小口橋近くに戻ってくると眼下に何軒も家が見えました。


(眼下に何軒も家が)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 25回目

2015-04-24 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
本土側の小口港に着きました。


(小口港)

名前は、小口橋となっている短い橋を渡りました。


(小口橋)

大村湾側の港にすぐに着きました。


(大村湾側の港)

ここで、鵜瀬島の概要を書きます。

鵜瀬島は、波静かな大浦湾の西岸に位置する周囲4Kmの小島。昭和23年に架橋され、平成8年に架け替えられている。対岸とはわずか10mの小口瀬戸をはさむだけで、かつては両岸にわたされた綱をたぐって船が往来し、干潮時は徒歩で行き来もできた。この鵜瀬島がある琴海町の名の由来は、江戸時代の著名な史家・頼山陽が大浦湾の別名を「琴湖」と呼んだことに始まるといわれ、複雑に入り組んだリアス式の海岸と、島の砂浜に打ち寄せる琴の調べにも似たさざ波の音が調和して風光明媚である。島の周囲の入江では、良質の真珠養殖が盛んに営まれているほか、ナマコなどの新鮮な魚介類が水揚げされ、関東・関西方面にも出荷されている。

ここでUターンして、別の道をたどりました。


(別の道を)

途中で、大村湾を眺望できました。


(大村湾)

途中、ミカンの保管倉庫がありました。その下にたくさんのミカンが捨てられていました。そこに野鳥が群がっていました。


(大量に捨てられたミカン)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 24回目

2015-04-23 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
今回のホテルには、夕食が付いていなかったので、仲間が宿泊した民宿で一緒に食事をしました。

(民宿の食事)

前夜は、飲んだので、民宿に車を置いてきたので、翌朝は、仲間に迎えに来てもらいました。小雨の中、鵜瀬島へ向かいました。


(鵜瀬島へ)

今日は、大村湾にある島へ向かうべく、長崎市内を通過するため、また、女神大橋の下を通過しました。


(女神大橋の下を)

丁度、通勤時間となっていて、少し渋滞しました。


(少し渋滞)

長崎市内には、市電が走っていました。


(市電が)

大村湾に出てくると雲海が見られました。


(雲海)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 23回目

2015-04-22 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
以前は、船でしか行けなかった「伊王島・沖ノ島」には、今は、伊王島大橋でつながっています。


(伊王島大橋)

沖ノ島にわたりました。教会が見えてきました。


(沖ノ島)

沖ノ島教会です。


(沖ノ島教会)

仲間をここにある民宿に降ろして、私は、隣りの島、伊王島へ向かいましたといっても、沖ノ島と伊王島は、30mくらいの橋で繋がっています。このような橋は、3本あります。


(伊王島へ)

今夜の宿泊する宿です。長崎温泉やすらぎ伊王島です。


(長崎温泉やすらぎ伊王島)

宿泊した部屋です。広すぎました。


(宿泊した部屋)
(写真撮影:2015.02)

長崎県南部へ島旅 22回目

2015-04-21 04:30:00 | 65九州西部・長崎県
四郎ケ島の入江には、漁船が停泊していましたし、生簀もありました。


(四郎ケ島の入江)

台形の島が見えました。高鉾島のようです。


(高鉾島)

宿へ向かうことにしました。


(宿へ)

丘に教会が見られました。カトリック木鉢教会です。


(カトリック木鉢教会)

また、女神大橋を渡りました。


(女神大橋)

また、香焼島に戻ってきました。


(香焼島)
(写真撮影:2015.02)