港へ着くと、仲間が大きな袋を持っていました。中をのぞくと色々なミカンが入っていました。どうしたのかと聞くとお話をしていた人から頂いてきたとのことでした。島では、こういうことがよくあります。ありがたいことです。

(島民から頂いた色々なミカン)
大下島にお別れして、小大下島へ向かいました。

(さようなら大下島)
丘の中腹に大下灯台が見えました。

(大下灯台が)
小大下島へ近づきました。

(小大下島へ近づく)
早速、上陸しました。

(早速、上陸)
ここで、小大下島の概略を書きます。
小大下島(こおげしま)は、関前諸島の中央に位置し、西は岡村島、東は大下島と接する。明治初期に本格的な石灰岩採掘が始まるまでは無人島で、岡村島と大下島の入会地だった。現在でも島の山林の西半分は岡村分、東半分は大下分となっている。島中央にある凹部の沼は採掘の跡地である。第一次大戦を契機に、日本セメント、アサノセメント、住友鉱山など大手企業の鉱業所が立地し、昭和30年ころまではたいへんな活況を呈していた。同年の国勢調査で人口665人を数えている。その後、採掘可能量の減少とともに鉱業所も閉鎖された。山神社は鉱山の安全と繁栄を祈願して建てられたもので、毎年6月3日前後に祭りが催される。土壌がミカン栽培に適しており、小規模ながら柑橘類が栽培されている。
散策を開始しました。

(散策を開始)
(写真撮影:2011.06)

(島民から頂いた色々なミカン)
大下島にお別れして、小大下島へ向かいました。

(さようなら大下島)
丘の中腹に大下灯台が見えました。

(大下灯台が)
小大下島へ近づきました。

(小大下島へ近づく)
早速、上陸しました。

(早速、上陸)
ここで、小大下島の概略を書きます。
小大下島(こおげしま)は、関前諸島の中央に位置し、西は岡村島、東は大下島と接する。明治初期に本格的な石灰岩採掘が始まるまでは無人島で、岡村島と大下島の入会地だった。現在でも島の山林の西半分は岡村分、東半分は大下分となっている。島中央にある凹部の沼は採掘の跡地である。第一次大戦を契機に、日本セメント、アサノセメント、住友鉱山など大手企業の鉱業所が立地し、昭和30年ころまではたいへんな活況を呈していた。同年の国勢調査で人口665人を数えている。その後、採掘可能量の減少とともに鉱業所も閉鎖された。山神社は鉱山の安全と繁栄を祈願して建てられたもので、毎年6月3日前後に祭りが催される。土壌がミカン栽培に適しており、小規模ながら柑橘類が栽培されている。
散策を開始しました。

(散策を開始)
(写真撮影:2011.06)
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