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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

椿の絨毯広がる季節に 利島へ旅する3日間  5回目

2009-05-28 04:30:00 | 11伊豆・東京都・伊豆諸島
目が覚めると伊豆大島の岡田港へと近づいていました。空には、三日月が見えました。


(伊豆大島の岡田港)


(三日月)

港に接岸され、乗客の乗降が始まりました。


(岡田港へ接岸)


(乗客の乗降)

しばらくすると朝日が昇ってきました。きれいな真ん丸の朝日でした。


(きれいな真ん丸の朝日)

いよいよ、利島へ向かって、出向して行きましたが、まだ、利島は条件付でした。伊豆大島も朝日に照らされていました。


(利島への航路)


(伊豆大島も朝日に)
(写真撮影:2009.02)

椿の絨毯広がる季節に 利島へ旅する3日間  4回目

2009-05-27 04:30:00 | 11伊豆・東京都・伊豆諸島
船内を散策しました。




(船内を散策)

天気予想図が貼ってありましたが、明日は、何とかなりそうだが、明後日は心配に感じました。


(天気予想図)

客室へ戻り、知り合いと飲んでいるとベイブリッジが見えてきました。土日のみ、横浜港を経由していくようです。


(ベイブリッジ)

横浜港からも乗船はあったようですが、細かいことは、船室にいたので分かりませんでした。しかし、横浜港の夜景は、きれいですね。その後は、グッスリと寝てしまいました。




(横浜港の夜景)
(写真撮影:2009.02)

椿の絨毯広がる季節に 利島へ旅する3日間  3回目

2009-05-26 04:30:00 | 11伊豆・東京都・伊豆諸島
船内の指定場所に行き、荷物を置きました。今回の指定場所は我々だけの場所でした。




(1等船室)

出港の様子を見るために、夜景を見に出かけました。




(夜景)

時間になり、ドラの音が鳴り響きました。船の出港風景は格別ですね。


(出港風景)

タラップが切り離されて、船は動き始めました。


(切り離されたタラップ)

直ぐにレインボーブリッジをくぐり、振り返ると東京タワーがきれいに見えました。


(レインボーブリッジ)


(東京タワー)
(写真撮影:2009.02)

椿の絨毯広がる季節に 利島へ旅する3日間  2回目

2009-05-25 04:30:00 | 11伊豆・東京都・伊豆諸島
東海汽船の案内掲示板を見ると「かめりあ丸 大島、利島、新島、式根島、神津島 乗船時間 21:40 出航時間 22:00」と書かれていましたが、相変わらず、利島だけは、条件付でした。どうなるでしょうか。


(利島だけは条件付)

手続きをして、乗船券を受取りました。今回は、8名が参加しているとのこと。中には、大ベテランのご夫妻も参加されていました。しかし、奥さんは、延泊の女王といわれている人で、今回はどうなるのでしょうか。


(乗船券)

時間になり、乗船場所に並び、乗船を開始しました。










(かめりあ丸へ乗船)
(写真撮影:2009.02)

椿の絨毯広がる季節に 利島へ旅する3日間 1回目

2009-05-24 04:30:00 | 11伊豆・東京都・伊豆諸島
椿の絨毯広がる季節に 利島へ旅する3日間というツアーに出かけてきました。時季は、2009.2.21~2.23です。
この島を渡島すると伊豆7島というか、東京諸島の有人島を全島制覇することになります。

まず、利島の概要を書きます。
利島 東京の南約140kmの洋上にある標高508mの三角形をした美しい島。古くから三角形の山は神が降臨するといわれ、島の中腹にある堂山神社の境内から航海の安全を祈願したとされる祭祀跡が発掘され、数多くの銅鏡が出土し、郷土資料館に展示されている。島の約8割の土地にツバキが植林されていて、例年春先には満開となり、「赤い島」となる。ツバキ油の生産量は日本一を誇る。近年は村の花であるサクユリの栽培もさかんで、7月上旬には白い大輪の花を咲かせる。サクユリの球根を原料にした焼酎「さくゆり」は、新たな特産物として期待が大きい。周囲に豊かな漁場を控え、漁港の整備で水揚げを順調に伸ばしている。

出典:(財)日本離島センター発行の「日本の島ガイド SHIMADAS シマダス」から


今回の旅行は、久しぶりでの夜の船での出発でした。浜松町駅から竹芝桟橋までを夜景を見ながら歩きました。昼間とは違った趣がありますね。




(竹芝桟橋)

竹芝旅客ターミナルへ着きました。




(竹芝旅客ターミナル)

今回の添乗員さんは、初めて出会う人でした。


(集合場所)


(案内看板)
(写真撮影:2009.02)

黒潮真っただ中に浮かぶ孤島 日本一小さな村 青ヶ島へ 19回目/19回目

2007-04-24 04:18:33 | 11伊豆・東京都・伊豆諸島
大坂トンネル手前の展望台から、八丈小島と八丈富士の眺望を眺めているところに青ヶ島からの定期便のヘリコプターが飛来して来ました。昨日、あれに乗れていれば八丈富士に登山できたのになあと思いました。


(大坂トンネル手前の展望台からの八丈富士)


(定期便のヘリコプター)

その後、黄八丈の工房へ出掛け、


(黄八丈めゆ工房)


(黄八丈の糸の説明)


(糊を落して、洗い張り)

八丈島空港へ戻り、伊豆大島経由で羽田空港へ戻りました。


(八丈島空港待合室)


(伊豆大島経由で羽田空港へ)

島旅に出掛けて、初めての延泊でしたが、それはそれで楽しい島旅をしてきました。伊豆諸島で残るのは、利島だけとなりました。早く企画したいと思っています。お疲れ様でした。
(写真撮影:2007.2)

これで、青ヶ島は終わりです。
明日からは、「春の有明海から大村湾の島めぐり さだまさし氏所有の詩島・ハウステンボス3日間」を投稿します。お楽しみに。


黒潮真っただ中に浮かぶ孤島 日本一小さな村 青ヶ島へ 18回目/19回目

2007-04-23 04:23:11 | 11伊豆・東京都・伊豆諸島
その後、大里の玉石垣に出向きました。玉石垣とは、荒波に削られ角のとれた丸い石だけを使って積み上げられた石垣のこと。島内の随所で見ることができますが、かつて島庁がおかれた大里地区の玉石垣は規模、保存状態ともに最良のもので観光ポスターなどにもたびたび登場しています。これらの玉石は、流人たちが1日の糧を得るために海岸からひとつひとつ運び、丹念に積み上げて築いたものといわれ、景観の美しさだけでなく八丈の歴史の上でも貴重な資料となっています。また、構造的には、1つの石を中心に6つの石で囲まれています。




(玉石垣)


(1つの石を中心に6つの石で囲まれている)

そこからしばらく歩いていくと、ふるさと村がありました。
八丈島歴史民俗資料館の裏から、ふるさと村へ通ずる道路は、昔は馬路と称し、八丈島の最も古い由緒ある道で、昔のおもかげを今に伝える貴重な所です。ふるさと村のこの民家は、母屋、高倉、マヤ(牛舎)、閑所(便所)などが一式揃っていて、八丈島の民家のたたずまいを知る上で、貴重な存在です。母屋内部に壁が無いとか、畳の敷き方の違い等にも注意を払って見てくださいといわれました。


(母屋)


(母屋内部)


(母屋内部)


(マヤ(牛舎))


(閑処(便所))


(便所の踏み板)


(高倉)
(写真撮影:2007.2)

黒潮真っただ中に浮かぶ孤島 日本一小さな村 青ヶ島へ 17回目/19回目

2007-04-22 04:53:04 | 11伊豆・東京都・伊豆諸島
ヘリコプターは「旅客の手荷物」以外の貨物輸送を行っていないため、添乗員さんは青ヶ島行きの手荷物として荷物を預かっていました。
しばらくするとブルブルという音が聞こえ、ヘリコプターが見えてきました。着陸すると八丈島から9人の乗客が降りてきました。この人たちも昨日の欠航で八丈島に過ごした人のようでした。


(飛来してきたヘリコプター)

引き続き、我々はプロペラが回ったままのヘリコプターに乗り込むとあっという間に離陸し、手を振る人々が小さく、集落が小さくなり、青ヶ島の断崖絶壁が背後に広がっていきました。


(ヘリコプターへ搭乗)


(ヘリコプター機内)

20分後には、八丈島に無事到着しました。添乗員さんは、依頼された荷物を渡していました。
大島経由の飛行機で帰ることになりましたが、それまで時間がありましたので、八丈島を観光することになりました。


(八丈島の三原山)


(八丈小島)

最初に向かったのは、南原千畳岩でした。背後には、八丈富士が聳えていました。八丈富士は慶長10年(1605)の噴火を最後に、火山活動は停止している休火山ですが、それ以前、悠久の昔から噴火活動が繰り返され、その都度吐き出された膨大溶岩が、裾野を覆い、海にせり出して、このように広大な千畳溶岩の景観を造り出したようです。




(南原千畳岩海岸)


(八丈富士)


(八丈小島)
(写真撮影:2007.2)

黒潮真っただ中に浮かぶ孤島 日本一小さな村 青ヶ島へ 16回目/19回目

2007-04-21 05:16:37 | 11伊豆・東京都・伊豆諸島
後は、昨日の昼食場所であったふれあいサウナの休息室に行き、地熱釜で昼食を作り、食べました。午後はやることがなく、休息室で青ヶ島のビデオや青ヶ島でロケされた映画を見たりして、ノンビリと過ごしました。


(地熱釜での料理)


(二日目の昼食)

最後にもう一度三宝港へ行きましたが、今日は、波が高く、桟橋には近寄れませんでしたので、早々に宿へ帰りました。


(高波に洗われる三宝港)

三日目朝も天候的に不安定でしたが、臨時便のヘリコプターは飛んでくるようなので、宿を出て、ヘリポートへと向かいました。


(不安な気持ちで宿を出発)

丁度、登校時間でしたので、小学生が三々五々、登校していく姿を見ることが出来ました。


(登校する小学生)

ヘリポートでは、ヘリコプターと気象状況の交信をしていました。


(ヘリコプターの待合所)


(ヘリコプターとの気象交信)

何とか飛来してくれそうです。横のテレビには三宝港の状況が24時間映し出されている港チャンネルを見ることが出来ました。今日も人影を見ることが出来ませんでした。


(三宝港を映し出している港チャンネル)
(写真撮影:2007.2)

黒潮真っただ中に浮かぶ孤島 日本一小さな村 青ヶ島へ 15回目/19回目

2007-04-20 04:29:36 | 11伊豆・東京都・伊豆諸島
天気は、夜半から雨が降り始め、朝には風雨が激しくなり、更に、霧まで出たため、早々にヘリコプターは欠航になりました。よって、帰るに帰られず、もう一日青ヶ島で過ごすことになりました。
その内に、天候も回復してきましたので、昨日行っていないところを案内していただくことになり、出掛けました。最初は、神子ノ浦へ出掛けました。長く青ヶ島の玄関口をつとめた場所で、断崖を辛うじて下りて、艀を出して航行していたようで、神子ノ浦展望公園から見下ろすと巨大な玉石が折り重なっていました。


(神子ノ浦展望公園)




(神子ノ浦)

その後、佐々木卯之助記念碑の前を通り、


(佐々木卯之助記念碑)

東側のはずれに向かいましたが、道路崩壊があり、行き止まりになっていました。その眼下には、三宝港を補う第2の港となる予定であった大千代港が眺められました。道路崩壊に巻き込まれた人の遺体も見つかっていないと聞きました。その中に案内人のお兄さんも入っていたとのことです。合掌。


(道路崩壊)


(道路崩壊慰霊碑)


(大千代港)
(写真撮影:2007.2)