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昭JIJI(アキラジジ)の島旅賛歌*参加

日本全国に有人島が434島ほどある。全島制覇すべく島旅を継続中。

大分県の島々へ 1回目 大分県へ

2019-11-29 04:30:00 | 59九州東部・大分県・豊後諸島
今回の島旅は、川崎に住んでいた島旅仲間が大分県の臼杵に引越ししたため、会うことが目的の1つでした。そして、大分県の島々、保戸島、屋形島、深島、大島、大入島、姫島の6つの島々に渡島してきました。

自宅を早く出て、浜松町駅から空港快速に乗って、羽田空港に向かいました。


(空港快速)

レインボーブリッジを眺めながら、羽田空港に向かいました。


(レインボーブリッジ)

羽田空港第2ターミナルビルに到着しました。


(羽田空港第2ターミナルビル)

大分空港へは、バスでの移動と掲示板に表示されていました。


(バスでの移動と掲示板に)

今回は、ツアーでなく、自分での計画なので、自由に行動しています。搭乗口にやってきました。


(搭乗口)

最近は、スマホへの充電設備が整備されていますね。


(スマホへの充電設備)

バスでの移動を開始しました。


(バスでの移動)

バス移動中、東京スカイツリーが見えました。


(東京スカイツリー)

搭乗機に到着し、搭乗しました。




(搭乗)
(写真撮影:2019.04)

宮崎県・大分県の有人島へ 125回目

2013-08-23 04:30:00 | 59九州東部・大分県・豊後諸島
大分空港に戻ってきましたが、まだ、時間があった。滑走路での動きを眺めていました。


(大分空港)

滑走路での動きを眺めていました。小さな飛行機が、出発しました。どこへ行くのでしょうか。


(小さな飛行機)

ヘリコプターも離陸するのに、真上ではなく、斜め前へ向かって上昇していきました。


(ヘリコプターの離陸)

乗る飛行機が着きました。これが折り返しします。


(搭乗予定の飛行機)

大分空港を離陸していきます。


(大分空港)

順調に飛行して、羽田空港に戻ってきました。


(上空を飛行)
(写真撮影:2013.04)

宮崎県と大分県の有人島制覇をしようと計画した今回の島旅、5泊6日は、無事に終わりました。しかし、残念なのは、2日目が天気晴朗なれど波高しで、有人島2島と無人島1島に渡島できませんでした。再チャレンジをしたいと思います。長らくお付き合いいただきありがとうございます。
明日からは、北海道で残っている有人島1島(鴎島)を投稿します。ご期待ください。

宮崎県・大分県の有人島へ 123回目

2013-08-21 04:30:00 | 59九州東部・大分県・豊後諸島
次に向かったのは、両子寺です。


(両子寺の案内板)

駐車場近くに緑の桜、御衣黄桜が咲いていました。


(御衣黄桜)

両子寺は、養老2年(718)仁聞菩薩の開基。六郷満山では中山本寺、すなわち山岳修行の根本道場に当たり、特に江戸期より六郷満寺の総寺院として全山を統括してきました。しかしながら時代の趨勢、明治初頭の神仏分離、第二次大戦等の荒廃、自然災害・人為災難などの遭遇により次第に堂宇は往事の姿を薄れかけてきましたが、歴代住職の懸命な精進と檀信徒の護持によりわずかながらも、面目を保ちつつ今日に至っています。いよいよ平成30年(2018)開創1300年を迎えます。境内は瀬戸内海国立公園、大分県史跡に編入され、全国森林浴百選の指定地として自然に恵まれ、四季を通じて殊に、新緑、紅葉のもみじには遠近を問わず、大勢の参拝客で賑わいます。信仰として、特に子授けの祈願所、安産・厄除け・交通・家内安全・航海安全などの各種祈願や幼没水子・先祖供養等の厳修、新たに寺院墓地、往生極楽浄土苑を開設し一般、檀信徒問わず天台宗の宗旨に賛同する人々へ広く門戸を開放しています。(パンフレットから)








(両子寺)
(写真撮影:2013.04)

宮崎県・大分県の有人島へ 122回目

2013-08-20 04:30:00 | 59九州東部・大分県・豊後諸島
大分空港に着きましたが、出発までには、大分時間がありました。そこで、大分空港の近くの知り合いを訪ねて、久しぶりに歓談しました。そこで、この周りの名所を聞いて、回ることにしました。まず、向かったのは、富貴寺です。


(富貴寺案内板)

富貴寺は、四季折々に美しく表情を変えるみほとけの里、国東。蓮華山富貴寺(蕗寺)は、六郷満山のなかで、満山を統括した西叡山高山寺の末寺の一つ。天台宗に属している。寺伝によると、養老2年(718)仁聞菩薩の開基といわれている。昔この地に、高さ970丈もある榧(かや)の大木がありました。その影は数里を越え、朝は河内の塔御堂、夕には田原の釜割まで届いたそうです。竹田番匠が、この榧の木の一本で大堂を造り、仏像を刻んだといいます。その余材で牛を刻み、それでもまだ余材があったので、刻んだ牛に乗せて熊野に運んだところ、途中で牛が動かなくなりました。その地に建てたお堂が、真木の大堂であると言い伝えられています。国宝・大堂は西国唯一の阿弥陀堂であり、九州最古の和様建築物です。内陣中央には本尊阿弥陀如来坐像(重文)が安置され、堂内の壁画(重文)は平安三壁画の一つに数えられています。境内には国東塔、石殿、板碑、笠塔婆、仁王像、梵字石などが多数あります。(パンフレットから)










(富貴寺)
(写真撮影:2013.04)

宮崎県・大分県の有人島へ 121回目

2013-08-19 04:30:00 | 59九州東部・大分県・豊後諸島
昨日、宿泊した旅館で朝食を食べて出かけました。


(宿泊した旅館)


(朝食)

旅館から昨夜見た風景ですが、高崎山が今日も見られました。また、湯けむりもよく見られました。


(高崎山)

今日は、同行している仲間が行っていない島、姫島へ向かいました。私は、以前、「きつね踊り」を見に渡島したことがありますので、私は行かないことにしました。発券売場には姫島の案内板がありました。


(姫島の案内板)


(発券売場)

仲間を見送って、大分空港へ向かいました。途中から海上に姫島が見えてきました。


(姫島)
(写真撮影:2013.04)

宮崎県・大分県の有人島へ 120回目

2013-08-18 04:30:00 | 59九州東部・大分県・豊後諸島
臼杵石仏の写真の続きを投稿します。
パンフレットなどにも出てくる代表的な石仏ですね。




(古園石仏中尊の大日如来像)

以前来た時には、 このように頭部が下に落ちていました。その時の方が大きく感じました。目の錯覚でしょうか。


(以前の古園石仏中尊の大日如来像)

臼杵石仏の見学を終わらせて、別府へ向かいました。今回最後の夜ということで、旅館に泊まることにしました。


(別府での宿泊旅館)

別棟だったので、本館へ夕食のために向かいましたが、高崎山が見られました。


(高崎山)

お品書きが付いた夕食です。これ以外にも色々なものが出てきました。ユックリと食事を堪能しました。


(お品書きが付いた夕食)
(写真撮影:2013.04)

宮崎県・大分県の有人島へ 119回目

2013-08-17 04:30:00 | 59九州東部・大分県・豊後諸島
パンフレットから「国宝 臼杵石仏」の概要を書きます。臼杵石仏は、凝灰岩の岩壁に刻まれた60余体の磨崖仏群です。平安時代後期から鎌倉時代にかけて彫られたといわれていますが、誰がどのような目的で造営したのか、はっきりしたことは分かったおらず、今もなお多くの謎に包まれています。昭和55年から14年間に及ぶ保存修復工事が行われ、その際に永年頭部のみの姿で親しまれた古園石仏中尊の大日如来像も胴と一体になりました。そして平成7年6月、臼杵磨崖仏4群59体が、磨崖仏では全国初、彫刻においても九州初の国宝に指定されました。木彫りとみまがうばかりの見事な彫刻技術と仏の数は、他に類をみることなく、国内外の文化遺産として高い評価を得ています。いくつかの写真を投稿します。












(臼杵の石仏)
(写真撮影:2013.04)

宮崎県・大分県の有人島へ 118回目

2013-08-16 04:30:00 | 59九州東部・大分県・豊後諸島
三浦按針碑設立記念詩碑がありました。


(三浦按針碑設立記念詩碑)

ウィリアム・アダムス(三浦按針)やヤン・ヨーステンが乗船していたリーフデ号が、慶長5年(1600年)に漂着したとされる地、黒島へ上陸したことの経緯が書かれた案内が3枚ありました。


(上陸経緯の案内)

三浦按針記念公園があり、そこには、3つの像がありました。左から「エラスムス像」「ウィリアム・アダムス像」「ヤン・ヨーステン像」です。


(3つの像)

その横には、上陸時出会いの情景を描いた絵画「出会い」がありました。


(絵画「出会い」)

三浦按針上陸記念碑もありました。各々には、説明が書かれた案内板がありました。


(三浦按針上陸記念碑)

オランダ船「リーフデ号」は、写真の右寄り沖合に漂着したといわれています。


(「リーフデ号」漂着場所)
(写真撮影:2013.04)

宮崎県・大分県の有人島へ 117回目

2013-08-15 04:30:00 | 59九州東部・大分県・豊後諸島
その記念碑の横にお堂がありました。「願かけ夢観音」と書かれていました。この夢観音には、三十三の利益があるといわれているようです。




(願かけ夢観音)

宿泊施設沿いに歩いて行きました。


(宿泊施設沿いに歩く)

その先に「デ・リーフデ資料館」がありました。



その中には、「リーフデ号の模型」がありました。鍵がかかっていて、外からの見学となりました。


(リーフデ号の模型)

その先には、来島したオランダ大使らが記念植樹したものがありました。また、2000年には、400年記念で、オランダの皇太子も来島され、記念植樹をされていました。


(いくつかの記念植樹)
(写真撮影:2013.04)